2010年10月31日日曜日

うっとうしい雨の日、料理と人形、二題

その一、料理
 今日は巷ではハロゥーンと称する日、いったい何をして何を食べるやら知らんが、私は27日のブログで書いた「おいのこさん」にこだわりその食べ物について書く。
 50年以上も前の記憶を頼りに書くから間違っているかもしれんことをお断りしておく。
 「いももち」 
 おいのこさんにはいももちを作った。
 今ではちょっとやそっとではつくれないおやつである。まず
材料:ぼけいも、ささげ、砂糖、うどん粉、きな粉、塩少々
 どうです?現代の人。材料聴いただけであきらめたでしょう?
 第一、材料がわからん。ぼけいも、ささげ、なんなん?
 昔、サツマイモは救荒作物、すなわち飢饉の時、命をつなぐよりどころの作物であった。作るにあたって重要なことは、やせ地、荒地でつくれること、収量の多いことである。それがサツマイモの一種「ぼけいも」である。
 鳴門金時なんど食べなれてる現代の人には甘味のすくないまずいものである。砂地にできる箱入り娘の鳴門金時などと違いやせ地に手間いらずでできるボケイモは不揃いで形もさまざま。芋だが飢饉に備えるため炊いて厚い輪切りにして干した「ゆでぼし」は保存がきく。
 私が子供の頃、おやつはまだ「ゆでぼし」を食べていましたぞ。

 ささげ、小豆に似た少し大きい豆。これも小豆に比べ収量が多く、少しでも収穫をあげるため小豆の代わりによく作られた。小豆ほどきれいな色が出ないのが欠点。ボケイモの畑にいく筋か作る。

 まず、ささげ餡をつくる。ささげを一晩水につけて、翌日水をたっぷり入れて柔らかく炊く。それを臼で搗き、布巾に入れて絞ってから水気を抜き、砂糖をいれ炊く。餡の出来上がり。
 つぎにボケイモの皮をむいて、お釜で炊いて湯を捨てる。それをすりこ木で搗く。このつぶしたイモの熱々の中へうどん粉を少々入れてさらに搗くと、そのうちにうどん粉に火が通る。餅状になる。これでささげで作った餡を包み、きな粉をつければできあがり。
 おいしいおやつのなかった半世紀前までは、おいのこさんという祭りに作るイモもちは何よりのごちそうでした。もし、今、上記の材料、方法で作ることができれば、そのお菓子は万金にあたいするでしょう。
 付け加えますと、このボケイモ、ゆでぼし、があったため、江戸後期、飢饉が発生したとき東日本では多くの犠牲者がでましたが、この作物を作っていた西日本では餓死者が出なかったといわれています。我々のホンの五世代前までの先祖の命を救ってきたのです。このイモがなければ我々はここにいなかったかもしれませんね。


その二、人形
 雨の降る中、午後、菊人形会場へいく。見学者は私と4,5人のじいちゃんやばあちゃんのグループだけ。写真をとったので紹介します。

藤井寺から焼山寺への道で空海にであった女 「ぼんさま、実は・・・・・」
 
竜馬の日本初となる新婚旅行。後ろは桜島
見ての通り
若き日、竜馬は姉から剣術の手ほどきを受ける。

2010年10月29日金曜日

るりのさかずき夜光の杯、葡萄の美酒を注げば、この世は天国、あ、こりゃこりゃ。

青年に手づくりのガラスの盃をもらった。
今日、思いもかけず青年にもらった。朝、いっしょにコーヒーを飲んでいて、「ガラス、持ってきました。」と言われたとき、一瞬なんのことやらわからなかった。前、手作りのガラス器の写真をを見せてもらったとき、「いいなあ、ちょうだい」となにげなくいったことを青年は本当にうけとり、私に持ってきてくれたのである。
 青年に対してすまなさとありがたさが同時にこみあげてきて、お礼を言う口もしどろもどろで、なんてそのときお礼を言ったか思い出せない。
 心を込めて作った手作りの品を頂いてほんとうにうれしかった。既成のものは時々もらうが創作作品なんかもらったことは何十年絶えてなかった。
うれしさと感謝をささげたいため、よせばいいのにお礼の俳句を貧弱なあたまからひねりだし、恥を重ねる
 秋冷や 御物にまさる 玻璃の杯
でも私にとって正倉院御物、白瑠璃の椀よりもありがたいものでした
普段は酒など飲まないが貰った盃に買ってきた葡萄酒をいれ、手で盃をももぐりながら、ちびちび飲む
上が私が飲んでる葡萄酒の杯、したが正倉院 どうです
いいでしょう
ほろ酔になったところで、漢詩を吟ずる
(涼州詞、七言絶句)
葡萄の美酒夜光の杯
飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
酔うて沙場に臥す君笑うこと莫れ
古来征戦幾人か回る
犬が呼応して吠えまわる。芸術のわかる犬ではなさそうです。
 


頂いたガラス器






瑠璃の椀

A君と相対性理論について話したこと

若い衆(わかいし)は一度は相対性理論にはまるのか
お昼に二十歳のA君と話をしていたら、彼の口から相対性理論の話が出てきたので、おや、と思いました。私も二十歳くらいのときこの理論に魅力を感じ、入門書や青少年向けの解説本を読み漁ったことがあったからです。
 私がはまっていたときは、アインシュタインをまるで新興宗教の教祖なみに思っていました。
 絶対普遍の所与として「空間」「時間」は幾何学の公理・公準と同じに動かしがたい前提として初めから存在するもの。と思っていました。
 ところがそのあたりまえの常識を誰も異議をさしはさむことのできない完璧な理論で打ち砕いたのですからラディカルな青年の心をとらえるのも無理はありません。
そのうちそんな理論は日常生活どころかかなり専門的・技術的な理論にもほとんど関係ないことがわかり熱が冷める。
 相対性理論の衝撃的な例えを御神輿のように担ぎ、もてはやしたが、地上にへばりついて生活する身には関わりのないこと。高速で宇宙を旅行するのを思い描く絵空ごとにもあきる。
 物理的に時間が早まったり遅れたりすることよりも加齢とともに一年がだんだん短くなる「時間」の方が気になる。
            なして?
そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
流れる時間のなかで自分の死はなんなんだろう。通り抜けて流れるものか、そこでプッツンか主観と客観、梵と我の対立は死でどうなるのか
            わからん!
とまあA君、私はこのような軌跡をたどってきました。でもA君のような未来人はもっと違った時間の体験が待っているかもしれん。
       期待してるよ







2010年10月27日水曜日

よく似た祭り

 洋の東西を問わず収穫を感謝する祭りはあるものです。
 穀物の収穫が中心になるので季節は秋になります。
日本ではその祭りの一つに「亥の子の祝い」があります。徳島の西部では「おいのこさん」といわれています。陰暦10月の亥の日に、子供たちが
何人かの子供ばかりで各家々をまわります。そしてわらで作った棒束で庭や玄関前を「おいのこの歌」を歌いながらたたきます。終わった後、家々では用意してあった「おいのこ菓子」を子供に与えます。季節は晩秋。この亥の日に炬燵をだす習慣もありました。
 この風習、よく考えてみてください。冬が始まる手前、子供たちが家々をまわり、あるパフォーマンスをやり、家の大人からお菓子をもらう。なにかに似てませんか。そうです。米国で盛んで、最近日本でもやる
 ハロゥィ~ンです
 万聖節にもとづくこの米国の行事は年々盛んになる一方、「おいのこさん」は我が郷土で絶滅といっていいでしょう。
 私が子供のときはまだやってました。伝統ある、おいのこさん、を絶滅させ、キリスト教にもとずくあちらの行事をもてはやすのはどうでしょう。しかたのないことなんでしょうか。
 ま、それはそれとして、10月31日はハロイーンです。ケーキを食べ、酒を飲み、騒ぎましょう。
え!ちょっと違うって、じゃあ、なん、したらええん。おせえて。
     

2010年10月25日月曜日

鴨島大菊人形

10月22日から始まった鴨島大菊人形のご案内いたします。
会場は吉野川市役所前広場です。
テーマは「坂本竜馬」です。駅前にも展示があります。
現在開催中で11月23日まで開かれています。
夜の9時頃まで見られますのでお仕事帰りにでも大丈夫です。
下の写真は鴨島駅前のものです。初日に撮影したので菊も新しいものです。萎れたりすると当然取り替えますが、大変な作業です。
クリックすると拡大されます。 
地図も入れておきますのでご利用ください。


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人形浄瑠璃を鑑賞しました

 24日、日曜日は文楽を見に行きました。幾つか見た中で「玉藻の前旭袂」(たまものまえあさひのたもと)をご紹介します。これが実際に見た舞台です。またイメージとして動画もご紹介します。

 右の二人の姫君は義理の姉妹です。恩ある人を助けるためどちらか一人の姫の首を差し出さなければならないにですが、どちらの姫も自分が犠牲になる、といって譲りません。そこで双六をして決めるところです。
 このあと意外な展開になるのですが、それは見てのお楽しみということにしておきます。
 

 みなさん九尾の狐って知ってますか。尾の先が九つに分かれた妖狐なのです。おそらく何百歳にもなると思います。こいつがとんでもない悪さをするのです。ちょっとやそっとの悪事ではありません。国を滅ぼしてしまうのです。絶世の美女に化けて国王に取り入り国を傾けるのです。文字通りの傾国の美人です。
 その悪事は世界を股にかけたものなのです。千年も前に世界を股にかけるってそんなことって可能なのと、聞かれそうですが、可能なのです。天竺、唐で悪事をし尽くすとジェット機も及ばないほどの速さで他国へ飛び去るのです。化け物狐のゆえんです。
 こいつがあろうことか鳥羽天皇の御代、日本に飛び来ったのです。そしてこの文楽のヒロインである姫にやがて乗り移るのです。
 なんだかおとぎ話みたいで史実、はどうなんでしょう?美しいものに魅かれるのは人間のさが、美人に魅かれるのは当たり前なんですがそれが度を過ぎたらどうでしょう、国王のような為政者だった場合、政務がおろそかになったり、寵愛からえこひいきをしたりすれば差しさわりがでてきます。それを戒めるために作られた話しだと思うのです。
 美人ていいことばかりのような気がするんですが、歴史上いいことばかりではないんですよ。国主に寵愛を受けていてもなにか政治上の不都合が起これば妬みや嫉みから、あれは妖狐がとりついているといって追い払われたりします。西洋でも魔女だとして美人が男を誑かすと裁判にかけられたりしました。
 この文楽のヒロイン「玉藻の前」は実際いた人かどうかはわかりませんが絶世の美人ということでずいぶん悪役に仕立て上げられているおもいます。こののち玉藻の前は陰陽師に正体を見破られ、福島県で石になったという伝説が残っています。ちょっとあんまりな末路だとは思いませんか。

2010年10月24日日曜日

おなじみの定食屋

 この日は誘われて県南へドライブに行く予定だったが、相手の都合が悪くなり取り消し。いい風景の写真やうまいもんの報告ができると思っていたのに残念。特に目的もすることもない一日となりました。しかし何もない一日ではいけないのです。わからないなりにブログを始めて二日目、今日は食べ物に関する主題でブログを書くと予告していたのです。さあ、困った。
 など、思いつつ、朝食。まずいパンと残りもんで頂いた牛乳でぼそぼそ咀嚼、嚥下。「あーぁ、朝からなんちゅう食生活じゃ。」 せめてBGMだけでもゴージャスにとインターネットでモーツァルトを聴きつつお茶を飲む。この時、前日、MさんやTさんとモーツァルトのオペラ「夜の女王のアリア」の話をしたのを思い出し、インターネットで検索、教えてもらったニコニコ動画である。おなじアリアの中に下手なアリア歌手とあったので聴いたが、これが想像を絶するくらい下手。腹をかかえて大笑いする。なるほど!ニコニコ動画とはこんなもんか、と納得する。
 徳島に置いてある自転車の前輪の空気が足りなかったことを思い出し、空気入れを刀のように持ち列車に乗り徳島へ行く。行ったついでにハローワークへ寄り、情報を検索する。終わればちょうどお昼頃でおなかもすいてきたのでおなじみの定食屋へ行く。
 みなさんが見ればパッとしない定食屋だとおもいますが、私にはうんと思い入れがあるのです。なにせ付き合いの長さははK先生、MさんOさんBさんT嬢の生きて来た年齢以上ですから。私が18歳で夜間へ通い始めてからですから42年でしょうか。もちろん42年間同じ回数通っていたわけではありません。徳島に通わなくなれば疎遠になった時期もありますが、たまに徳島へ行き、おなかがすけばよくここで食べました。ここ数か月、平日は訓練のため徳島へ毎日通っているのでちょくちょく寄ります。
 昔風の食堂です。最近の食堂はその名称もカタカナやおしゃれな名前をつけていますが、ここは伝統を感じさせるような屋号の名前を持っています。そして屋号にふさわしく暖簾も。店の大将ももう80歳を越えると言ってました。
 往時ほど繁盛はしていません。私が18歳の頃は学生で大賑わいでしたが、その頃学生だった人は今、60歳を越えます。店とともに客も年老いたのでしょう、今は年配の人が多いです。
 そんなことを思いながら18歳の時私が食べていた同じ位置に60歳の私が腰を掛け定食を食べています。42年間何回食べただろうか?夜間へ通った寒い冬、食べたアツアツのおでん定食。金がない夜間の学生のため頼んで二階で開いたコンパの料理。社会人になっても忘れられず食べに来た定食の数々。物価は42年間でうんと上がりましたが、よそと比較しての定食の安さは変わりません。
 今日行くとおかみさんから「昨日はいいこと教えてくれてありがとう。」とあいさつされました。実は前々日、グーグルアースを見ていて、この定食屋の表示と案内をなんと宇宙からズームして見つけ、我がことのように嬉しくなりおかみさんにそのことを話してあったのです。その日おかみさんも息子さんに見せてもらったそうです。お互いパソコンには詳しくないものですからこんな些細なことにも感動を共有するんですね。
 いつもの多彩な盛りの定食470円を食べます。実は大きな声では言えないんですが、おかみさんはサービスにいつも一品つけてくれます。寒いときは熱いものだったりします。470円の定食でどれだけの利益が出るんでしょう、そんなことを考えると心苦しくなり、おかずがたくさんあって食べきれないからいいですよ、といってみるんですがいつもしばらく間をおいて、テーブルにコトンとおいてくれます。今日はなすの油炒めの小皿をつけてくれました。
 私が通った夜間の学校。今はありません、交通の大動脈の55号ができ、木造校舎もプールも消えました。青春の思い出はセピヤ色の写真アルバムの中にのみ。と言いたいですが、そんな気の利いた残っているアルバムもありません。ただわたしの頭の中に夜間時代の思い出が焼き付いています。しかしここ定食屋はまだ形あるものとしてあります。私の青春がまだ店の片隅に残っていそうな錯覚をおこさせる。昔と変わらぬ定食屋なのです。
 今日、おかみさんから、「先ほど40年ぶりに来てくれたお客さんがいるんよ。」と聞きました。大変懐かしがったそうです。おそらく学生のときよく通ったのでしょう。それから県外へ出るかして疎遠になり、40年ぶりに来たのでしょう。まだあることにきっと感動したに違いありません。はるか昔の青春の思い出が残っているのはうれしいものでしょうからね。
 最近、80歳の大将が冗談か真か、「もうじき店、終わるけんな。」と常連のおじいさんにいっているのを聞きました。大将の年齢や息子さんが別の職についているのを考えるとあながち冗談ではないかもしれません。私としてはいつまでも続いてほしいけど。始まりがあればいつかは終わりがあるのが世の定め、仕方ないかもとおもいつつなんだか悲しくなります。
 店をでると空はくもり。堀端を通り城内の砂利道を空気を入れてやけに弾む自転車に乗って駅へ向かいました。
 

2010年10月22日金曜日

中世の武士の服装(編集その1)

 武士の服装は、当然ながら戦いやすい服装であるのが基本であるが、江戸期も中期以降になると武士もサラリーマン化し、戦いの機能は重視されなくなる。
 その点中世の武士の服装は戦いのために極めて適した服装である。直垂というのであるが、中世でも少しずつ変化してきている。最も完成された姿は室町時代の後期である。
 江戸時代は裃が一般化したが、それでもこの当時としても武士の最上位の式服は直垂であり、徳川の将軍宣下のときの式服は直垂であった。
 私は鎌倉時代の直垂姿の武士が好きである。りりしさの中にも草莽のたくましさ、野性味が残っている姿が大好きです。この図は13世紀の武士、「一遍上人絵伝」から頂戴したものです。怒って今まさに刀を抜こうとしているところです。中年のオヤジみたいであまりカッコ良い姿ではないかも知れませんが、武士は戦うのが本職です。強いのが、そしてその上に正義なのが美徳なのです。
 直垂姿の若武者、みたいなあ。タイムマシンでもなければ無理だろうな。強くて、正義で、女性に対してはシャイで、少し禁欲的で。りりしいだろうな。
Mさん、Oさん、Bさん直垂着ませんか。かっこいいよ。それから女性のTさん、壺装束で虫垂れの絹の恰好、いいよ。みんなで着れば、京都時代祭。祖谷の平家祭。