2011年12月31日土曜日

年越しの酒


還暦を迎えた年も終わろうとしている。

「何とか今年もながらえたなぁ」

喜びの酒か、自嘲の酒か、麦焼酎をなめるようにちびちび飲む。

あと5分で新年だ。

おせち料理


 先ほど手作りの「おせち料理」を持ってきてくれた。
 ありがたい。
 正月でもいつもと変わらぬ食生活をしようと思ったが、ちょっと人並みにおせちを食べられる。
 餡餅も一つくれた。
 
 感謝しております。
 ありがとうございました。  


飲まずにいられぬこととは


 さっき今夜のウォーキングから帰ってまいりましたが、ちょっとドキッとすることに遭遇しました。いつものように車の少ない通りを通るため、裏通りとか横丁を通ります。
 今日もいつものコース、飲み屋横丁を通りました。8時台、いつもは赤い灯、青い灯がついて賑わっているんですが、今日は大晦日のためネオンや看板の灯がついてる店も数件、人通りも全くない。

 速歩で抜けようとすると、暗い路地に黒い塊が横たわっています。一緒に持ち歩いているライトで照らすと、自転車がひっくりこけて、その横に男の人が長々と寝そべっています。ほとんど車の通らない飲み屋横丁とはいえ、タクシーなどは遠慮なく入ることもありますから、

 「もしや、交通事故では???」

 近寄り、男の人に大丈夫ですかと声をかけると、熟した柿のようなにおいが、私はほとんど飲みませんが、

 「ああ、これはへべれけで酔ったせいで自転車ごとひっくり返ったんだな。」

 と推測できました。案の定、

 「大丈夫!大丈夫!」

といって起き上がろうとします。自転車を私が起こしてあげ隣の塀に立て掛けていると自力で立ち上がり

 「いや~、すんまへん、大丈夫、だいじょうぶ。」

 しかし、見ると両方の履物も脱ぎとばし、靴下の裸足、立ったとはいえふらふらしています。とりあえず自転車の立てかけてある片側に誘導し、靴も足下においてあげました。

 「もうだいじょうぶ。すんまへん、すんまへん。」

 事故でもないし、いつまでもかかわっているわけにもいかないので

 「車も来ますから、気を付けてくださいよ。」

 そう言って去って行きウォーキングを再開しました。

 年齢は私ぐらいの初老男性。習慣的なものだろうか、それとも大晦日、何か特に酔っぱらう理由があったのだろうか。
 あのへべれけ状態はちょっと異常だ。常時あれだけ酔っ払いを繰り返せば体がもつまいとも思う。

 私が通りかかるまで、冷たいアスファルトの上に寝ていたのだろうが、奥さんや、家族はこの大晦日どうしているんだろうか?それとも私のように孤独な独り暮らしなのだろうか?今までのこの人の仕事や人生はどうだったんだろう?
 別れて歩きながら考えると、何か他人事とは思えずなぜか涙がでてきた。

 私は自分は飲まないが、酔っ払いに対しては、人に迷惑をかけない限りで、大目に見るところがある。
 というのも私は意志の弱い人間で、人より多くの弱点を抱えているし、おまけに対人的な適応障害もある。もし、体がアルコールを受け付ける体質ならば、それから逃げるため、あるいは癒すため「酔っぱらった」であろうと思うからである。

 ウォーキングの折り返し点もすぎ、我が家に近づきながら、サン・ティグジュペリの『星の王子様』の「酔っ払い編」をちょっと思い浮かべた。

酒飲み男の星

王子さま「こんにちわ。ここで何をしているの?」
酒飲み男、たくさんの空のビンと酒の入ったビンを前に酔っ払って座っている。
酒飲み男「(暗い声で)酒を飲んで酔っ払っているんだ」
王子さま「なぜ酔っ払っているの?」
酒飲み男「忘れるため・・」
王子さま「何を忘れるため?」
酒飲み男「・・・」
王子さま「あの、顔色がすごく悪いよ」
酒飲み男「俺は・・恥ずかしいことを忘れたいんだ」
王子さま「何が恥ずかしいの?」
酒飲み男「・・・」
王子さま「ねえ、何が恥ずかしいの?」
酒飲み男「こうして酒を、飲んで、酔っ払うことが!」
酒飲み男、急にコップの酒をグビッと一気に飲み干しまた下を向く。
王子さま「・・・」
「大人というのは、確かにとても変わった人たちだ、という思いをますます深めながら、王子さまは旅を続けた」

 サン・ティグジュペリの酔っ払いを見る目は私同様優しいものがあります。

苛政は虎よりも猛きものなり


 地デジニュースは見ないので知らないが毎年、大晦日には「今年の十大ニュース」とか銘打って一年のダイジェストをやっているから、今年も多分やっているんでしょう。
 十個ともなればピックアップするのに迷うものも出てくるだろうし、その順位もつけたりしなければならないのでずいぶんとわずらわしいだろう。
 私に10個選べと言われれば困ってしまう。しかし2つ選べと言われるならば、迷わず
 『東日本大震災』と『北朝鮮の首領死去、どうなるか北朝鮮の人々』を選ぶ。

 東日本大震災は自然災害の最たるもの。そして北朝鮮の一連のニュースは、人が作り出した制度、教条、のもっとも恐るべき災害と私は思っている。

 二大ニュースだからあえて上下をつけなくてもいいんだろうけど、やまさんが無理に一位、二位をつけるとすると「北朝鮮の一連のニュース」を上に持ってくる。

 見も知らぬ外国なのになぜ?と思われるかもしれませんが、近くに世界地図があるなら出してみてください。この徳島から北朝鮮までは大震災が起こった東北地方とはほとんど等距離。北海道ならば北朝鮮よりずっと遠くなる。

 そんな身近にいる隣人が、ある一人の男、そしてそれが作り上げたまるでSFの世界のような国家によって数百万の単位で、餓死させられたり、収容所で虐殺されたりしている。そしてその男は生物学的な死を迎えても、その相似形のクローンが2代、3代と続いていく。そして災厄はさらなる新しい災厄を生み続ける。

 これらのニュース映像を見るたんびに

 「あまりの醜悪さに反吐が出そうになる。」

 「なんで、いまの世にこのようなことが許されるのか?」

 人の歴史は人々を幸福に導くように、いや、それは遅々としたものであっても、時には逆戻りすることがあるにせよ、よいほうに向かっていることだけは信じたい。しかし、このニュースを目にするたび、信じるこころが萎えていく。

 政治制度の上では古代・中世(日本は中世になったら封建時代でひとりの君主に絶対権力が集中することはなかった。)の王朝国家。国土、人民、国富を王朝の君主の世襲財産としか思っていない。だから、今、世襲で3代目になっている。
 国号の下につく呼称が「民主主義人民共和国」とは!たちの良くない冗談としか思えない。

 千年に一度といわれる大震災。それと数百万の国民を死に追いやりこれからもつづく国家的人災。どちらのニュースも軽重つけがたいと思われるかもしれませんね。

 ここで古代の孔子さんに登場願ってちょっと意見を聞いてみましょう。

『 孔子が泰山の近くを通りかかると、墓に向かって泣いている婦人がいた。
孔子は密かにその泣き声を聴いた。
孔子は弟子の子貢(子路)を使わせて婦人に尋ねた
「奥様の泣き声を聴き、かなり悲惨なことに遭ったように感じました」と。
婦人は、
「私の舅は昔、虎に殺された、夫も虎に殺され、今回は息子も虎に殺されました」
と答えました。
孔子が婦人に、
「どうしてここを離れないですか」
と訊くと、婦人が
「この地域は重税がない」
と答えました。
孔子は弟子達に向かって
「よく覚えておきなさい。重税と痛みを国民に押しつける政府は虎より酷いものだ。」
と言いました。』

孔子さんは
 「苛政は(人災)は虎(自然災害)よりも猛きものなり」
 と言い切っていますね。
 私も今年のニュースの一番に現代のこの地上での最大の苛政をあげました。

 来年はこの国の国民がこの苛政の桎梏から解放されていることを願わずにはいられませんが・・

 さっきBSニュースでこの3代目のことを
 「我が人民の先頭に立つ革命の指導者・・・」

 「どこをどう見てマルクスの言う革命の指導者なんだろ?恥も知らず、面の皮が鉄でできていても人間ならばこんな言葉なんかつかえないはずだが。」

 『革命』をこのように使うから、正常な人間は『革命』をなにか恐ろしいもののように思ってしまう。ホントはそんな意味じゃないんだけど、こいつらが『革命』の価値を逆に変え、地に落としてしまった。

 「革命の革命が必要である。」

紅白前座特集 その2 旅情演歌 北の旅人



 今年の大晦日はおだやかな日を迎えましたね。昼過ぎは風もなく日差したっぷりで暖かかったですね。今年は大きな災厄が降りかかりましたが、最後の締めくくりの日の良い天気は、天の「まことに申し訳ない」というせめてものプレゼントでしょうか。(去年は大晦日から元旦にかけて冬の嵐で元旦は雪でした。)

 ここ南国徳島では、北の旅人の旅情を味わうのは難しいですが、主題演歌の「列車」、「港」、「連絡船」を徳島の街に求め、撮影しました。

 今年の紅白はみませんがネットで調べたら、昨日の大川栄作は出演してませんが、石川さゆりは出てるんですね。今、知りました。それもなんと今日私の下の動画と同じ曲。大昔の曲なのにまた歌うんですね。
 結局、彼女もこの歌を越える曲が出なかったということか。さらに女性のトリですね。

 なんで大昔の『津軽海峡冬景色』がトリなのか?東北日本の大震災で東北ご当地ソングのアッピルか、単に流行った冬景色の歌だからか。でも締めとしてはちょっと暗すぎますね。

 まあ、本番はどうでもよろし。やまさんのこのブログの旅情演歌は、「列車」、「港」、「連絡船」以外にも大晦日のあわただしい市場の様子も入っています。どうぞご覧ください。

2011年12月30日金曜日

欲しいままなお好みはえらい目にあう


 寒い冬、あったかい食べ物と思い、夜ごはんを考えているが、パターンが決まってくる。

 豚汁⇒湯豆腐⇒おでん⇒キムチ鍋⇒すき焼き⇒何かわからんがともかくなべ・・・カレー汁、⇒振出しに戻る。

 どれも独り暮らしのお一人様分と行きたいが、自分で作るとなると一回分では終わらない。おでんなんかした日にゃあ、時によると3~4日おでんが続きしまいに嫌になる。

 直近では3日前にすき焼きをした。これがようやく今日のお昼に食べ終えた。最後は何回も煮すぎたため何もかもグズグズになってしまい。最後の昼飯はグズグズ汁をかけ、一応『牛丼風汁かけ飯』。

 今夜はちょっと変わったもので一回コッキリで食べられるものと思い考え付いたのが

 『お好み焼き』

 関西風ソースも買い、材料も用意した。

 私はお好み焼きにキャベツ以外の野菜では「ネギ」「もやし」を入れるのが好きなので野菜はそれ。

 卵はもちろん豚、それとちくわも入れる(これも私の好み)。

 チーズもおいしい。餅もいい。

 で、アホなやまさんは思いつくまま好みのものをどんどん取り入れました。

 鉄板で焼くときから

 「うわ~、超デカ!」

 分厚く火のとおりは悪いわ、表面だけは遠慮なく焦げて異臭を放つわ、で焼くのにさんざん苦労しました。ひっくり返すとき円盤が半分に割れ、無理にパンパンたたいて元の円盤に戻すやらで大変でしたがともかくできました。

 さらにのせると直径30センチ、分厚いピザのできそこないのようなものが・・・・・
 端を少し齧ったものが下です。

 表面は焦げてカリカリなのに中はべちゃべちゃ、

 「おいしくな~ぃ!」

 欲張りすぎて材料を放り込みすぎた結果です。

 「誰のせいでもありゃしない。みんなおいらが悪いのよ。」

 半泣きで、怒りのもって行きようがなく、どくれいきにしゃにむに食べました。しかし、半分が限界、もう放り出しました。

 「でも、明日、たべよ~っと。」

紅白前座特集 その1 演歌の花道


 わが町の向麻山(こうのやま)に登りながら、冬の花、山茶花およびその仲間のカンツバキを動画に撮りました。
 明日はいよいよ大晦日、紅白歌合戦があります。全盛時代は昭和50年代だったでしょうか、今は昔ほど多くの人は見ないようですね。我が家も地デジが受信できないため見られません。もっとも見られたとしても見ませんが。

 知ってる歌手は5人ほど、それも高齢者歌手ばかり、容姿も声も衰え、見るに忍びない歌手もいます。電波を受信できないことに対し、残念と思うより良かったと思っています。

 今日、明日と2日、見られない紅白のその代りとして紅白前座特集をアップいたします。

 今回は余計なキャプションは極力入れませんでした。歌を中心にお楽しみください。



2011年12月29日木曜日

やまさんの夜のウォーキング


 前は夜のウォーキングに毎日行ってなかったが、最近は毎晩小一時間ほど歩いている。習慣になったみたいで行かないと気色が悪い。幸い寒くても雨は降らない天気が続いているので2週間以上とぎれず続いている。

 今晩は携帯で夜のウォーキングの様子を撮ったのでご紹介します。

2011年12月28日水曜日

ボヤキ納め、今年もあと三日になったではないか


 午後からは風もなくずいぶん暖かくなった。クリスマス寒波も一息ついたようである。また冬至もすぎ、昼過ぎはこころなしか光も強さを増したようだ。12月初旬の日の入りが最も早い時期からはもうやがて一月が経とうとしている。そのためか今日の夕方の日を見ると傾くのも遅くなった気がする。

 光は早くも春の歩みを始めた。ただ寒さはまだまだこれからで、インフルエンザも流行るかもしれないから、年寄りの試練はこれからである。

 気づくと今日は28日、今年もあと3日ではないか。今日は「御用納め」と言っていたが、歳時記的にはこのような言葉は許されるとしても、へらへらへっと公務員や大企業のものが

 「今日は御用納めじゃ!」

 なんどといって次の日から当たり前のように休むのを見ると少し腹が立つ。『御用』???あぁ~~~ん?

 「こりゃ!庶民どもよ!お上の御用であるぞ!畏まれ!」

 「へへ~~ッ、」

 というようなイメージを持つ。上から目線の言葉である。今、28日から来年の3日まで休めるお仕事って多くはないだろう。みんな年末年始も一生懸命働いている。休みが悪いとは言わぬが「御用納め」などという言葉はやめたほうがよい。
 病院や役所、それにわが町ではごみ収集も準公務員であるため休みである。病気もちの人や必要に迫られている人は苦々しく思っているはずだ。

 「上から目線の御用納めという言葉は聞きたくない。」

 「え?もしかして、御用納めという言葉、今、使っていない?」

 「地デジのニュースなんか見てないから知らない。使わなくなったのなら結構である。」

 年末はそれにしてもあわただしい。なんでこんなにバタバタしてるのか。町へ出てみるとわかる。つい数日前の25日までジングルベ~、と言ってたのに、クリスマスのお飾りが一夜にして正月飾りに早変わり、ほとんど魔法である。

 こんな変化の激しい年末は日本のみである。欧米はクリスマスの飾りは大晦日、新年を迎えてもそのまま放りっぱなしだし、日本以外のアジア諸国は「正月」は1月末か2月上旬の旧正月で祝うためクリスマスと正月そのものがわずか1週間でくっついてはいない。

 ガキどもも早々と休みになり(冬休みが早すぎる!)舞い上がってバタバタに寄与している。クリスマスで喜び駆けずり回り、正月は銭をもらい握りしめ駆けずり回る。

 師走とはよく言ったものである。字に「走る」が入っている。

 まあ3日たてば落ち着くだろうか。3日たち明ければ

 「おめでとうござぃ~~」

 何がめでたい?

 門松や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし一休禅師)

 「一つ年寄ってあの世に何歩も近づいたわ!」

 町の正月飾り


 我が家の百均で買った正月飾り


  今晩、唯一受信できるBS・NHKプレミアで「マヤ文明の謎、2012年12月に世界は滅びる」というのがある。見るつもりである。
 もしかすると正月もこれ一回コッキリで終わるかもしれん。人間、長生きしても誰にでも最後の正月はあるから、世界みんなで一緒に仲良く最後の正月を迎えられるのはある意味

 「めでたかろう」

 おすすめDVD

   昨日、しんさまのコメントで『ミッションインポ』の紹介があったが、これは私はすでに見ていた。お正月、皆様、やることがある方はいいですが寝正月で家でDVDでも見ようかという人によかったら見ていただくお奨めのモノを紹介いたします。
 もちろん私の独断と偏見ですのでそこはご了承ください。
 どれも旧作ですので安い店なら50円でレンタルできます。

 サスペンスもの
 「インソムニア」
 「ゾディアック」(2つあるが、ジェイク・ギレンボルの主演の方)
 ファンタジーもの
 「世にも不幸せな物語」
 戦争もの
 「太陽の帝国」
 コメディー
 「スクール・オブ・ロック」
 アクション
 見ないのでわからない
 ホラー・SF
  「シックス・センス」
 恋愛もの
 「ロミオとジュリエット」 十四歳の布施明の前の嫁はんが良かった。私が高校2年生の時、このスクリーンミュージックも最高!
 「樹氷悲歌(エレジー)」 かなり昔ですが篠田三郎と関根恵子(現、高橋恵子)の美少年、美少女の純愛もの。最近篠田三郎で盛り上がっていますので(どこで???)あえて入れてみました。
 

2011年12月27日火曜日

映画、Gパン、ケーキ


 数年ぶりになるだろう。今日、映画館へ足を運んで映画を見た。連れは何か別の映画を見たかったようだが私の意向が強引に通った。

 見たのは、『源氏物語』副題「千年の謎」。連れはいろいろ不満があったようだが、私は娯楽として充分楽しめた。王朝絵巻をそのまま映画にしたような絢爛、色彩の乱舞。衣装の華麗さ、つややかな流れるような長い黒髪。視覚的にみんなみんな素晴らしかった。

 最近、映画は最新モノもみんなDVDで見てしまうが、映画の良さを見直した。当たり前だが映画は暗い中、椅子に座ってお行儀よく前を向いて集中して見る。一つの作品を芸術として鑑賞するのはそれが当たり前である。しかし、DVDで安易に見られることでそれを忘れていた。

 「いい作品をほんとに鑑賞しようと思ったらやはり映画館で見るに限る!」

 連れの評価はあまり高いようでなかったが私はかなりな高得点をつけることが出来る。まあ、こういう古典が主題の映画は人によって好みもありますから、あえて皆様にはお勧めしませんが、平安絵巻を素晴らしいと思う感性を持っている方、また、漫画でもいいですが源氏物語を読んで興味を持たれた方にはお勧めできる映画です。

 やま爺さんにとっては、最近、視覚も聴覚も衰えていましたが、目を見張ったり、耳をそばだてるような、少し興奮させるようなところもある映画でした。といっても、やま爺さんの好きな下ネタじゃないですよ。

 聴覚面で一つだけ言うとそれは

 『衣擦れ』(きぬずれ)

 の音でした。最近の若い方は、着る素材はニットや新素材などですから、絹織物の召し物が歩くたびにすれある衣擦れの音など知らないでしょうが、映画の中で女房装束でしめやかに歩く時の衣擦れの音が何とも艶かしく、感動しました。
 後で連れにその衣擦れの音を云ったら女のくせに

 「ほうで!しらなんだわ。」

 視覚面で一つ言うと

 『六条の御息所が長い黒髪を水で洗いながら、芥子の匂いが抜けないと嘆くところ』

 もうぞくぞくするような場面です。(といっても若い人が期待するような性的興奮の場面ではないですよ)

 下は映画館の前の源氏物語の写真屏風の前で撮りました。場違いな「翁」(おきな・じじいのこと)が入ってせっかくの美的な写真がぶち壊しですが出たがりのじじいめでごぜぇます。お許しください。
 
 せっかくここまで(富士グラン)来たんだから夢タウンに行こうというので行きました。

 上の哀れなじじいの格好を見てもわかりますが、Gパンが擦り切れかかっていたので買ってもらい、さて、念願のケーキということでタウン内のケーキ店の喫茶店に入りました。

 しかし、ロールケーキ専門店みたいでモンブランもビーナスニプルもなし!一番おいしそうな『ポン・ミエル』とかいう御大層な名前のケーキを食べましたがいまいちでした。

2011年12月26日月曜日

マロン、ビーナスニップル、もう一つの運命交響曲


 いつものように今朝のやまさんの心象風景

 マロンスイーツが出てきたブログを見てたら、欲しくなった。
 モンブラン。遥か昔に食べたことがある。

 それで26年以来、食べたくても食べれなかったあるマロンスイーツを思い出した。

 映画『アマデウス』の中でモーッアルトの嫁はんが旦那に隠れて訪問したところで食べたお菓子

 『ヴィーナスニップル』(美の女神の乳首!)

 物凄いネーミングですね。マロン(栗)といえば以前に良識ある紳士淑女の眉を顰めるようなゲサクなブログ(←クリックでそのブログに飛びます)を書いたやまさんにとって大いに興味あるスイーツです。
 でもなかなかお目にかからず、いままで見たこと食べたことありません。

 しんちゃんのブログで忘れていたそれを思い出しました。映画の中でモーッアルトの嫁はんに勧めた人が言ってましたが、マロンをブランディに漬けてつくるとのこと。
 幸い、ネットを引いたのですぐ調べました。
 すると、これやはりモーッアルトゆかりのオーストリアのザルツブルグの銘菓らしいのです。下がそれです
 ある旅行者のブログから引用したものです。チョコレト菓子といってましたから、映画で出てきたものとは少し違うような気がしますが、形はこういうのでした。しかし映画では、マロンの地肌も見えてましたがやはり違うかなぁ。

 朝、茶飲み友達が来たので「ケーキ買うか、食べに行こ!」といったら、「今急いでる!」といって、車からミカンと黒豆の煮物を下して手渡され、去って行きました。
 でも久しぶりに明日、映画館へ一緒に行くのでマロンスイーツをどこかで食べるつもりです。こういう機会でなけりゃ、食べられない。

 もう一つの運命交響曲

 ベートーベンの運命交響曲5番は有名であるが、モーツァルトにも『運命』を暗示するような曲想の交響曲がある。今日はそれをあるスイーツの動画に載せてご紹介します。

 ベートーベンの運命交響曲5番は出だしに重々しく「運命」が扉をダダダダ~ン、と4回たたく。いかにも荘重で逃れられぬ運命の非情さを感じる。
 これに対しモーツアルトの「運命」の方は、まるで軽くダンスのステップを踏むように運命が軽やかに扉を叩く。モーツアルトにあっては運命は、たとえ暗転を繰り返そうが悲壮であろうが軽快で美に満ちている。

 年末が来るとなぜかベートーベンの「第九番・合唱』や『第五番・運命』が流行るが、今日はモーツァルトの運命といわれる交響曲25番ト短調をお聴き下さい。

2011年12月25日日曜日

寒い冬を動物と一緒に乗り切るやまじいさん


 その1 猫なべ

 
  その2 猿団子


 その3 さる温泉

風花


 午前9時過ぎ、朝はだんだん遅くなっているがそれでもこの時刻になると朝日が真横から射し込むようになる。ふと窓を見ると

 「晴れているのに、雪が舞っている。」

 このように晴れた青空を背景に雪が何片も舞うことを桜花が散ることになぞらえたのだろうか

 『風花が舞う』

 という。

「艶めかしい花びらと真逆の冷たい無機質な雪の結晶を花に例える!」

 これは非常に美しい例えであり昔の人の美意識に思いをはせると同時に、このような美しい言葉を残してくれたことに感謝したい気持ちになる。

 昨日、新聞でグーグルの創始者ジョブスが京都の「枯山水」をみて感動し、禅的な美意識に目覚めたというようなことを書いたコラムを読んだ。
 まったく水のない岩と小砂利の枯山水もそうだが、冬枯れ、凍てつくような冬の風物、などふつうは美の対象になりえないものに「美」を見出すのは日本人のみだという。

 このことを考えると、日本人にうまれてよかったなぁ、と窓外に舞う「風花」を見つつおもう。

クリスマスに受けた小さな親切


 ブロ友のコメントを見ると、なんと今日は夜勤ではないか!イブの夜くらい家族のもとで過ごさせるようにシフトを組めないものかと思う。こういう時のために高い給料を取っている管理職がいるのであって、社長を筆頭に管理職が夜勤に総出し、『イブの夜は社員は家族のもとで、』という発想がどうしてできないものか。

 やまさんなんかはキリスト教徒ではないが、小さいころのクリスマス奇跡譚の童話はうんとこさ聞いたから、クリスマスは慈悲・慈善に過ごすものと思っているぞ!
 クリスマスイブに平の社員を閉じ込め、無慈悲にこき使うとは!ディケンズの「クリスマスカロル」を知らないんだろうか。願うわけではないがこの管理職もスクルージ爺さんのように思わぬ恐ろしい体験をすることになるぞ。

 「心するがよいぞ!」

 ってまあ、嫌味な話はここまでで、実は今日は小さな親切を受けて、クリスマスということもあり、やまさんとっても気分がいい。

 こんな爺に親切をかけてくれたのは絵にかいたような16~7歳の美少年と美少女のカップル。でも少年は今風。ちょっと突っ張った感じがしたし、ズボンはパンツが半分見えるほどずり落とした例のファッション。

 さて、駅で降りて自転車に乗ろうとして自転車置き場に行ったが、私の自転車を含め6~7台が北風でひっくり返っている。私の自転車を起こそうとしたが、ハンドルがほかの自転車のペダルの隙間にに複雑にいり込んで離すことができない。

 カップルの少年も自転車を出していた。こちらはひっくり返っているわけでないので、そのまま行ってもよさそうだが、私が自転車同士を引き離そうとしてるのを見て

 「おっちゃん!やったげるわ」

 といって手伝ってくれた。さすが機敏な若い力!難なく離せました。

 こんな少年から親切にしてもらったことないので、もう涙やら鼻水やら流さんばかりにうれしかった。孫にやさしくしてもらったじいちゃんの心境ってこんなものなのだろうか。

 何度もお礼を言ったが、照れた感じで去っていく少年の後ろ姿を見て最後に

 「ありがとう、いいクリスマスイブをね。彼女もね。」

 というと一緒にいた美少女のほうも照れまくっていました。駐輪場から少年は自転車を押して出ながら少女に向かって

 「おい、後ろに乗れや!」

 少女は私が見ているのもあってか

 「うぅん。私はいい。」

 私も自転車に乗って去って行きましたからそのあとは知りませんが、たぶん、少女は少年の漕ぐ自転車の荷台に乗り、少年の胴を抱きしめ、寒風の中、ぴったりと頬を少年の背中につけて二人して乗って行くのでしょう。

 「ああ、いい親切を受けたな、そして美しいものを見た。これもクリスマスの日だからかなぁ」

 「伊勢物語」は美しい男女の恋愛譚がたくさん入っています。その中で私が一番好きなランデブーは、恋人を背負って逃げるものでした。

 今の世、いくら好き同士でも彼女を背負うというのはないでしょう。それに代わるものがまるで背負うようにぴったり男の背中に愛する彼女が接する「自転車二人乗り」です。

 あの二人が仲よく二人乗りしてるのを想像すると心がバラ色に染まります。親切にされたことといい今日はいい日でした。

2011年12月24日土曜日

皆さんどんなイブをお過ごしですか


 やまさんは前のブログのBGMの「クリスマスイブ」の曲と同じイブを過ごしております。

「一人っきりの~♪。クリスマス~イブ~♪・・サイレントナイト(静かな夜)~♪」

 そして先ほどいつもの夜のウォーキングから帰ってきました。外も歌と同じで、時雨れていましたが、山や、そして夜遅くには雪へと変わる気配を感じます。

 ウォーキングに出発するときは寒かったけど、小一時間ほど歩いて帰るころには暖まっていました。

 帰るまでには時雨れも止んでいました。家に入るとき西の空高くすでにオリオンの三ツ星とそれを追いかけるかのようにシリウスが上がり、瞬いていました。

 ハイボールでも飲もうと思ったんですが後で頭痛がするのも嫌ですので、コーヒを立てて、今飲みつつブログを書いております。

 今夜は冷えますね。クリスマスのごちそうたらふく食べましたか。少しお酒など召されるのも温まっていいですね。

 私はこれからいつものように入浴で温まります。皆さんは今夜は横に暖かくしてくれる人がいるんじゃないかな・・などと野暮なことは聞きません。それぞれのクリスマスイブを過ごしてください。

 風邪などひかないようにいい年末を過ごしましょうね。

 我が家のパソコン画面と美術全集キリスト芸術の巻と百均のツリーを入れて写真に撮り『クリスマスカード』を作りました。
   (パソコン画面は5年前富良野に行ったとき、左の厩で生誕の図は美術全集、そして中央は百均のツリーです)


としちゃんのギャルも出演するやまさんのクリスマスイブ

2011年12月23日金曜日


 私は猫が好きである。育てられた祖父母の家にはいつも猫がいた。あまり長期に生きた猫はいないみたいで、18歳になるまでに記憶にあるだけでも4匹は代替わりしていた。
 名前は代々

 「ミーコ」

 縞トラだろうが三毛だろうが、白黒のブチだろうが、(黒はいなかったなぁ~)みんな祖母がミーコと名づけていた。
 性別はどれもメス、オスはこれまた祖母が嫌ったみたいで子猫を毎年のように産んでもメスを飼い続けた。
 今から思うと我が家の猫はみんなおとなしく人懐っこく、家からあまり離れたがらなかったのはメスだったからではないだろうか。

 今晩のような寒い夜、布団を敷いて寝はじめると必ず布団のそばにやってくる。ウンと小さい頃は抱いて寝たりもしたが、中学高校になるとさすがに不潔な気がしたし、抜け毛や蚤が心配で入ってきたらおいだした。そのためもあってか私が目覚めているうちは遠慮してか足の方の掛布団の上に体を丸くして寝る。

 しかし私が眠ってしまうと布団にそっと潜り込んでくる。深夜や朝、目覚めると布団に深く潜り込んでいる。
 でもあえて追い出しはしなかった。悪い気もしなかった。寒い夜、一緒に丸まって寝ながらの猫毛のふわふわした感触や温かさは気持ち良いもので、猫のゴロゴロいうのどの音も心地よかった。

 猫嫌いの人がこんな話を聞くと

 「おぇ~~~、気色悪~~!」

 というでしょうね。

 その猫との暮らしも高校卒業までで、以来猫とは暮らしていないが、今でも猫は大好きである。

 私はどのネコでも街中で猫を見ると必ず口中で舌打ちながら猫をチュッチュッと呼ぶ。もちろん猫は警戒心の強い動物で滅多に自分から近ずいてこない。しかし逃げても猫の習性で距離を置いたあたりで立ち止まり、必ず振り返る。その時、私は猫とにらめっこする。これが面白い。猫も私から目をそらさない。そうなるとにらめっこの根競べだが、飽きっぽい猫はやがてふいと目をそらし去っていく。
 中には何を思ったのかその場所で急に体をねじり尻をついて毛づくろいを始めたりするから面白い。

 猫が私の視界から完全にいなくなるまで時間がかかってもジッと見守る。これがとっても楽しいしなぜか一見無意味なことのようでも、ずいぶん心が癒される。

 18歳以降猫は飼っていないが、このようなちょっと変な猫好きの、隠れ猫ファンである。

 今年の5月頃、MOTOさんがブログをアップしてかわいい子猫もらってくれませんか。といったことがあった。飼いたかったが子猫の寿命より私の寿命が短いことを考えあきらめた。

 その6匹いた猫がみんないなくなったとのことで今日のブログでMOTOさんが悲しんでいた。私も話を聞くと悲しい。
 かわいそうな死を迎えたのではないかと心が痛む。

 そこで以前、MOTOさんの子猫に出演頂いた動画があったので下に貼り付けておきます。どこかでいい人に飼われて幸せな猫人生を送っていることを祈りましょう。
 最後の方にMOTOさんちの子猫が出てきますからねぇ~。

2011年12月22日木曜日

こここ、こりはききき、効いた~~


 今、ユズ湯からあがりましたが、これがまた、ただことないくらい効きました。

 前のブログで紹介したユズがポッカリポッカリ湯船に浮かんでいる写真は、ブログを見た人がユズであるとわかるために、入る前に取った写真です。
 入るときは、揉みまくって種や果実が散らばらないようにこのようにまとめてネットに入れました。


 そして湯船に入ってから、モミモミしてますとユズの良い香りがして、色もユズ色に濁ってきました。
 しばらく香り、色、香油から発散するアロマを満喫してましたが、そのうち
 ピリピリと体中がしてきました。ちょうど擦りむいた皮膚に夏ミカンの酸っぱい汁をもみ込んだような感じです。辛抱して入りましたが我慢できず。いつもより早く出ました。
 どうも揉み過ぎて酸が出過ぎたようです。しかし、風呂から上がった後、いつもと違う爽快感、温か感ですこぶる気持ちがいいです。
 今晩は体がポカポカして安眠できそうです。

 入るまでは、冬至の縁起物で名ばかりだろうと思ってましたが・・・・・・・

 「こりは、き・き・き・効きましたわ~」

冬至は湯治で南近は南瓜(カボチャ)


正午の空、薄雲を通して冬至の弱日(よろび)が
 今日は冬至です。太陽南中高度がもっとも低くなり、昼が短く、夜が一番長い日となります。
 現代人は夜型人間が多く、夜が好き、という方も大勢いらっしゃいます。しかし、電灯が発明される以前、大昔の人は、

 「夜が好き!」

 などと言おうものなら、性的変態か、盗人の類か、遊び人のやくざな輩としか思わなかったでしょう。夜は寝るものであり、灯をつけて起きて何かをするのはよほど必要に迫られてのものでした。
 そうはいっても、この冬至の頃は夜が長いため暗いからといってそうそう寝てばかりもいられません。灯りと暖房の両方かねた「囲炉裏」(いろり)のそばに寄り集まって、夜なべの仕事をしたり、せいぜいお話に興じたりしたのでしょう。

 ともかく夜が長いのは昔の人は嫌ったはずです。おまけに日が短くなるにしたがって寒気も募ってきます。だから冬至はあまり歓迎されなかったのではないでしょうか。

 しかし、この日から一転、太陽は高度を高め、光は少しずつ強さを取り戻し始まます。弱った太陽が元気を回復するスタートがこの冬至でもあるのです。

 まあそのためか、人の体もそれに合わせて回復するように願ったのでしょうか、この日は

 『ユズ湯に入って元気を回復』

 『かぼちゃ(南瓜)を食べてスタミナ回復』

 というのが冬至の行事みたいになっております。ちょっとミーハーの気があるやまさんはさっそくそれを実践するためお店に買いに行きました。
 まずかぼちゃ(南瓜)、見ると四分の一のかぼちゃが500円近くします。

 「高~~~!」

 やめまして、お総菜コーナーのかぼちゃを探し、しめて298円のこの2品を購入しました。

 そして最後はユズ湯、一個58円のユズを2個買って御覧のように今晩のお風呂は

 『ユズ湯だぁ~』


 さて、こういう歳時記的なブログはシャレでしめたいといろいろダジャレを考えました。
 ユズ湯はすぐ思いつきました。

 「冬至はユズ湯で湯治なんちゃって・・・・・」

 次はかぼちゃ、これがなかなか思いつかない。そしてかぼちゃの別名、南瓜でようやくダジャレが

 「冬至は太陽がもっとも南に近接する。つまり冬至は南近南瓜じゃ~」

 ちょっと苦しかった!

 今日から寒気がやってくる。夜になってグッと冷え込んできた。この寒気かなり強く長引く。クリスマス寒波と言っていた。
 寒いのは嫌いだがクリスマス寒波だけは許す。ホワイトクリスマスになるといいな。雪がちらつくだけでもいい。

 今夜は一番夜が長い。冷え込んできた外気の中、公園のイルミネーションが一段と冴えた光を放っていた。

クリスマス企画その3 名画で見る降誕物語

  わかりやすくするため動画に編集しました。学芸員の解説付きです。
 お一人はしんちゃん学芸員。
  もうお一人はジョージ学芸員です。
 BGMはみなさんあまり聴かれたことのない曲です。
 中世ヨーロッパで歌われた「グレゴリオ聖歌」より「天よ、上より雫をしたたらせよ」です。
 ヨーロッパ音楽の源流となった音楽です。厳粛で敬虔な雰囲気を醸し出しております。


 それではどうぞ。


2011年12月21日水曜日

カルト


 今日のテーマは「カルト」いったいどんな話なのか?と思われましょうね。そのカルトの話に入る前にちょっと論理の話をしたいと思います。
 論理といっても、所詮はやま爺さんのええ加減なブログ上での話ですから、あまり真剣にはとらないでくださいね。

 「ことわざ」とか昔から使われる「言い回し」、「慣用句」などはなかなか言葉の論理上示唆に富む面白いものがある。
 たとえばこんな、

 「へ~、お前、宝くじ買ったんか?それで?3億円当たるってか!馬鹿馬鹿しい!」

 「当たれば、西から日が昇るわ!」 「当たりゃ、晦日(旧暦の30日)に月がでる」というのもある。

 のような。
 この言い回し、非常に不思議な言い方だけど言葉の論理上は全く正しいのです。

 『〇〇ならば、△△である。』のこの「〇〇」に絶対あり得ぬことを持って来れば、結論の「△△」にどんなあり得ぬことを持ってこようが、全体としては論理的な文となるのです。

 ちょっと作ってみましょう。

 「月が西から登るなら、ナポレオンは俺のおふくろさ。」

 どうでしょう?納得しがたいかもしれませんが論理上は正しいのです。(これはやまさんがいっているのではなく論理学の真理なのです。)

 いったい何が言いたいか?

 「あり得ぬことを前提に置くならば、それから導かれる結論はどんなあり得ぬことも可。」であるということなのです。

 あり得ぬことの羅列でありながら、言葉の論理としては矛盾に至らない。こんな本知りませんか?

 その始まりは、
 「人の男の種も体内に入らないのに、処女懐胎する。」
 この世の中では絶対あり得ぬことです。しかし、その前提で話が進めばどんなあり得ぬ「奇跡」もそれからは導かれます。

 この教祖は今から2000年も前の人ですから、いまさらとやかく言ってもどうにもなりませんが、もし、このような様々な奇跡をおこなったという教祖が今生きていて、このような教祖の奇跡に基づく「経典」をつくれば、どうでしょう。

 まあ信じる人は勝手でしょうが、世間はこの教祖・教団に「カルト宗教」のレッテルを貼るでしょうね。
 本家は2000年前、奇跡の中でも最もすごい奇跡。「死んだラザロという男を墓から生き返らせます。」
 つい数年前、こんなことを言う教祖の爺さんがいてカルト教を起こし、死体遺棄か冒涜か保護責任者遺棄かなんかで捕まってましたなぁ。この爺さんも2000年前だったら立派な教祖になってたかもしれませんね。

 「カルト教」と認定するためにはマイクル・シャーマーが示したカルトの特徴(←これはクリックでリンクしてます)9つ備えてるか見るのがいいようです。
 ご本家は今や押しも押されもせぬ世界宗教になってますからとっくの昔にその特徴はなくなってます。現在、カルト教は「新興宗教」に多いですね。

 ところが、宗教ではないんですがもうどこをどう見ても生粋、純粋それ以外の何物でもない「カルト集団」を発見しました。もちろん上記のカルトの特徴9つは立派に備えております。

 消される可能性があるので名指しは避けます。

 いま教祖は三代目、アドバルーンのように太った漫画みたいな20代の男です。
 信者は2500万人、治外法権でやりたい放題です。軍隊もなんと100万人擁しております。
 恐ろしいのは核兵器まで持っていることです。

 三代目といいましたが世襲です。神がかった出自神話を作り上げ、奇跡としか思えないような偉業を本人がたびたびするそうです。なんでかハーレムもあるそうです。
 わずらわしくなるのでこれ以上書きませんが、すべてカルトの特徴にぴったり当てはまります。

 公称2500万の信者の中には理性的な人もいるでしょうに・・・恐ろしいことです。

2011年12月20日火曜日

冬の日のサイクリング


 どこへ行ったかって?まあ、見てくださればわかります。



 おさつの勧め

  鳴門金時のちびイモを日曜日、袋いっぱい150円で買ってきた。
 サイクリングで疲れて家へ帰ると小腹がすいてきたのでオーブントースタで焼いた。
 おいしくて腹が膨れ満腹感いっぱいになります。ビタミンC、植物繊維がたくさん含まれています。カロリーも低く、脂肪はほとんどありません。ヘルシーな天然のおやつ「おさつ」をみなさん!食べませう。
 こんがり、ぱりぱり焼けた皮ごと食べると最高にうまい。ホクホク、アツツが何ともいえん!

 「う~ん、栗(九里)よりうまい十三里じゃ!」

2011年12月19日月曜日

年の暮れニュース雑感


 地デジを受信しなくなってテレビのニュースを見ることが少なくなってきた。最近は主にパソコンでネットのニュースを見ている。
 少し古くなったがニュース項目に「今年の漢字」というのがあって見ていた。今年の特徴を漢字一字で表すものだ。投票の多さで選ばれるそうで、今年選ばれた漢字は「絆」(きずな)だそうだ。

 東日本大震災での経験から、助け合い、心のふれあい、お互いのいたわり、の大切さを思い人と人を結びつける「絆」が選ばれたのであろう。

 人が「絆を大切に」という場合は、肉親愛、友情、隣人愛、助け合い、思いやり、などの意味でつかわれる。
 この意味で今年の大災害を経験した人々を慮ってこの文字を選んだのは納得できることである。

 ただし、「絆」には別の読み方、意味もあることをお忘れなく、と、天邪鬼でねじけたやまさんは思う。
 この「絆」の今年の文字の発表は清水寺で行われたみたいで、ネットの動画ニュースを見ると清水寺の徳の高そうなお坊さんが大きな紙に大きな筆で書いていた。この仏教のお坊さんなどは「絆」の別の意味もよく知っているだろうなぁ。と思いながら見ていた。

 「絆」は(ほだし)とも読む。本来の意味は馬の足をつなぎとめる縄。手かせ足かせ、の意味がある。転じて、人間が生きる上で出来た様々な目にみえぬ、行動ばかりか心の自由もつなぐ鎖、という意味になった。

 よくいわれる「悪縁」、「しがらみ」、というのもそうだろう。切ろうとしても切れない縁、結びつきである。
 「絆」(ほだし)は決して厭うべきばかりのものではない。それは(ほだし)は、上記の良い意味の「絆」に変わりうるからである。愛すべき人、愛しい我が子、これも人をつなぐ(ほだし)ともなるのである。このような絆(ほだし)は自由を束縛する目に見えぬ鎖かもしれないがそれを厭う人はあまりいないだろう。
 多くの人はその(ほだし)の為につなぎとめられ、また、自由に羽ばたきたくてもできない。しかしまた多くの人はそれで満足している。人の人生はそのような(ほだし)がありその中で精いっぱい生きていくのである。
 生きる上で人は誰でも(ほだし)を持っている。どこにも結わえられてない全く自由で空中に浮遊するような人はいまい。

 「絆」のもう半分の意味に思いをはせていると・・・・・・

 正午前、ネットニュースの速報が・・・・・・・・・

 北朝鮮の金正日総書記死去

 の第一報が流れた。分刻みで流れるニュースにしばらく釘づけになる。「なんで?なんで?なんで?」・・・
 つづく速報はよほどあわてていたのだろうか、文字変換の間違いが

 「2日前、列車内で急逝心筋梗塞で亡くなる」

 おいおい、急逝、でなく急性だろうが!

 ともかくこれは大ニュースである。年の暮れになって大きなニュースが出てきた。これからいったいどうなるのだろう。
 普通の国ではない。核弾頭を持っていて日本の諸都市が射程に入るミサイルを持っている。おそらく照準も日本の都市に合わせているだろう。

 「核を持ったまま国が崩壊する可能性がある。その混乱でどうなるのだろう。」

 首領の死去がどんな影響をもたらすか、私ごときが予測することはできないが、核ミサイルがこちらを向いたままというのは確かである。

 「どさくさで飛んできたらどうなるのか?」

 恐ろしいことである。考えたくないが、もし大阪上空500mで炸裂したらどうなるか?いま北朝鮮が持っている核は「プルトニューム型」で威力は長崎原爆と同程度、TNT換算で2万トン余、と仮定すると。

 大阪中心部は爆風熱線で壊滅、瞬時に死亡は数万人、最終的死亡者は数十万人、その十倍ほどの被害者、さらに無数の放射能被害者。
 恐ろしいことである。

 これは日本にとって考えうる最悪の事態である。
 まあ私などは、「我々はそんなことにはなるまい」と楽観して安心したいが、少なくとも危機管理の専門家は最悪の事態を想定して対処してほしいと思う。

 「史上3発目の核も日本で使われました!」がニュースにならないように祈る。

2011年12月18日日曜日

戦争と平和

敵艦見ゆ

 今日の「坂の上の雲」見ましたか。最近はドラマなど見てもあまり興奮しないんだけど、今日は久しぶりに興奮しました。それは大脳の理屈をつかさどる理性的な部分の興奮でなく、理屈抜きで否応なく湧いてくる感情・情緒に訴えかけるようなちょっと危ういものでした。

 こんな興奮が起こる部分に「民族感情」だの「愛国心」だの「天に代わりて不義を撃つ」、「勇気や正義の称賛」の感情・情緒があるんでしょうね。

 国の命運をかけた「日本海海戦」。それに望む場面で

 まず「軍艦マーチの演奏」
 これで興奮に火がついた。

 そして戦闘始まりの檄を飛ばす電文

 『・・・敵艦見ゆ、との報に接し・・・
 (そして結びが極めて簡潔、きっぱりしてジ~ンと来ます)
 ・・・天気晴朗なれども、波高し。』

 そして

 『皇国の興廃この一戦にあり。』

 でもうエクスタシー状態に。

 もちろん百年たった今から見れば何もかもわかっているんだけれど、この時代この瞬間、本当に国家の浮沈をかけた世紀の海戦の開始だったのです。

 ナレーションで司馬も言っている通り、この海戦は戦史に残る大海戦となります。

 テレビの前で動きもせず見守っているだけなのにアドレナリン出まくりで、興奮の極に達したところで 

 来週に続く。

 興奮冷めやらぬ私は、上半身裸になり、庭に出て竹刀を持ち素振りを繰り返し・・・・・・・
 というのは嘘で、いつもの夜のウォーキングに出ました。

 さて、ここで今日のテレビであまり皆さんが注目しないある軍事技術にちょっと焦点を当ててみましょう。ロシアのバルティック艦隊が対馬海峡か津軽海峡を来るのか、その予測が大問題となります。そして対馬沖でわが艦の「信濃丸」がロシアの艦隊を発見します。

 この発見の報は、当時、発明されてまだ数年しかたっていないマルコニの無線電信でいち早く送信されます。

 「敵艦見ゆ」、と

 海上はるか離れていても情報を送れる無線電信は当時の最新ハイテク技術。我が国は情報戦の機先を制する新技術を持っていたのです。
 もし無線がなければどうなっていたでしょう?発見の報はすぐには届かないでしょう。その結果、悲惨なことになっていたかもしれませんね。

 今日のテレビから写しました。時代考証はどうかわかりませんが、当時の無線はマルコニ式の火花発信機です。火花が飛んでいるか目を凝らしましたがちょっとわかりません。下のような装置でした。NHKさん。これ正確なんでしょうね?


 下は受信側、紙テープ印字式である。

 情報戦を制する者は、戦いに勝つ。
 後の太平洋戦争では「レーダ技術」に遅れを取り、ミッドウェイ海戦、そのほかの海戦に負けたのはご承知の通り。

平和な日本
 
 戦争の話から一転、平和な平成の御世の日本の年の暮、青少年センターを爺やんのくせにうろうろしてたらホールで人だかりが・・・
 なんじゃろかいと、みたらダンスをしてた。動画に撮ってみた。


 阿波の美少女(???)が何やらニューヨークのハーレムの黒人っぽい(?)踊りを踊っていた。何の踊りかわからない。知ってたら誰か教えて。

 本場モノと比べるとリズムのノリ、キレがいまいちのような気がするが、それでも我々の世代の2か4拍子の盆踊りのリズム感と比べたら、8ビート、16ビートで育った子だから隔世の感があるなぁ~

2011年12月17日土曜日

あったかくなるもの


 こう寒くなってくるとあたたかいものが恋しくなる。暖房器具を利用すれば即、暖かくなるが、貧なる者にとっては光熱費が気になる。

 四国では冬は晴天が続くため、温室のようね「サンルーム」を作れば、日中の間だけだが太陽光で暖かく過ごせる。散歩していて時々南向きに造られた天井近くまでガラス張りのサンルームテラスをみる。しかしこんな特別な建物を建てているうちはどれもみんな裕福そうである。これも貧乏人には縁が薄いようだ。

 夏の暑い時期、納涼のため「怖い話」を聞いたりすると涼しくなるそうだが、寒い冬に関しては暖まる話などはなさそうである。
 家の中でダンスをするくらいか。

 冷暖房に関してよくバカなことを考える。冬の寒い冷気を保存して夏に、夏の暑く湿度の高い空気を保存して冬に放出できぬものかと。
 これなら冷暖房費もいらずいい方法だがな~、
 しかし、具体的にどのような設備にするかと問われるとわからない。これもだめだなあ。

 でも、雪の多い地方の公民館かどこかだったと思うが、下に大きな地下タンクを作り、冬の大雪をその中に蓄えると夏まで持つそうである。そこに夏が来ると空気を送り冷気を吸い上げるそうである。この天然の冷房は実用化しているそうである。だが、暖房は聞かないなあ~。

 「年~寄ると、寒さがこたえる。筋肉、関節は痛くなるし、肩はこわばって凝ってくるし、しょんべんはますますちこうなるし。冬はよくない。私の場合夏がましである。」

 早く極楽へ行くのがいいかもしれない。何かで読んだが極楽は晴れた晩春頃の昼下がりの気候がずっと続いているそうだある。年寄りにはいいが、なにせ、見も知らぬ遠いところで、口コミの情報もないから、やっぱり多少苦しくともなれた「この世」を離れるのは不安だ。

 結局、まあ毎年同じような暖房となるのだが、今年は石油ストーブはやめた。
 パソコンに向かうとき、机と椅子のスタイルなので周りの空気を暖める必要があるが、これはエアコンを使っている。
 そして座って本を読んだりビデオを見るときはポットカーペットのみで足や腰に布団を巻いている。

 酒が強ければ内燃機関で「飲酒」はあったかくなるのにいいんだろうけど、残念ながらすぐ頭が痛くなり暖まるどころでない。

 私にとって最もあったかくなるのは、寝る前に入る「おふろ」である。これはいちばん効く。
 くつろぐし、筋肉、関節もほぐれ血行もよくなり、すぐお布団に入れば冷えずぽかぽかして気持ちよく眠られる。名湯の素など入れて気分を出してはいるのもいいい。

 「やっぱり、お風呂が一番。」

 しかし、風呂の灯油ボイラーは設置して26年になるいつ壊れても不思議でないポンコツである。壊れぬことを祈るばかりである。

 町内に「銭湯」があればたまに行きたいがわが町内では絶滅してしまった。

 「銭湯の広い湯船は暖まるのには、また格別なんだけどなぁ~」


 名画より、女性大衆浴場をご紹介します。こんな銭湯ないかしら・・・さぞや暖かく・・・

 ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル (1780-1867)  トルコ風呂 より

2011年12月16日金曜日

寒い一日


 
 日中も寒かったけど夜になってグンと冷えてきましたね。
 皆さん暖かくして風邪などひかないようにしてくださいね。


2011年12月15日木曜日

憎(肉)らしい肉


 時々、近くのファミレスでランチをする。材料によっては自分の家で作るより安くつくときがある。なにせ、食後のコーヒも入れて529円だから、スーパなどで幕の内の弁当パックと缶コーヒを買うより安上がりである。
 おまけに冷暖房効いて、一時間くらいは食後のコーヒを飲みながらぼんやりしたり、本を読んだりもできる(コーヒはおかわり自由である)

 今日も日替わりのランチ、コーヒ付き529円にしようと昼前に入った。テーブルを見ると本日限定メニューが出てる。

 「おっ!ステーキが599円か。たまにはステーキもいいな。」

 「食後のコーヒとセットでも729円。大散財するけど今日はこれにしよう。」

 よく見ると、ほ~、メキシコ産、うまそう~


 で、ライスとセットで鉄板に乗って出てきたが


 「かかかか・・かて~~ぇ、何じゃこりゃ!革靴の底soleか?」

 安いからこんなもんなんでしょうか?半泣き状態で憤慨のあまり、噛むのにえらい力が入ったおかげで何とか飲み込むことはできましたが・・・

 「本日はステーキの日と銘打ってこの肉か!」

 「ああ~あ」

 食後のコーヒを飲みながら、この程度の値段ではこんな安っぽい肉だわなぁ。メキシコ産って言ってたけど、もしかして闘牛の用済みの老牛じゃないのか、古牛だとこんな固さになろう。
 こんなのなら、普段の日替わりランチにしとけばよかった。後悔しました。

 ビンボ人はなんでも安く上げようと思って結局損をする。金持ちになりたいわ~

で、いつものようにやまさんの今日の心象風景と教訓 
 (イソップ寓話「犬と肉」より)

 橋の上から見ると自分と同じように肉をくわえてる。

 「あいつ気の弱そうな犬だぞ。」

 「吠えて脅かし、あの肉を手に入れてやろう。」

 
 貧(ひん)すれば貪(どん)し
 貪(どん)すれば損(そん)す
   おお!韻を踏んでるではないか」

 今日は明礬泉にしました。

 今晩あたりから気温がグッと下がってきます。明日は真冬の気温だそうです。

 入浴の素、今晩は「明礬泉」にしました。

 「明礬泉」って少ないんですよ。温泉の素にもほとんどありませんし、貴重な泉質なんです。

 天然の「明礬泉」では北海道の屈斜路湖・摩周湖近くの「川湯温泉」が有名です。

 屈斜路湖の大パノラマを思い浮かべながら今晩は川湯温泉に入ったつもりになります。

2011年12月14日水曜日

クリスマス企画その2 ホンマにその日なん


 クリスマスは12月25日、キリストの誕生日である。しかし昔から不思議に思っていた。誕生日の25日よりなんで24日の前夜のイブに盛大にお祝いされるんだろう?
 確か厩で生まれたのは聖書によれば夜。25日の夜だから、25日がキリスト誕生日すなわちクリスマスになるのだろう。25日のほうを祝うのでなければおかしい。

 この疑問が氷解したのはわりと最近でした。
 当時のユダヤ人の一日の概念では一日とは、日没から次の日没までなんです。今のように深夜の午前0時に日が変わらないのです。
 つまり日が没したらもう次の日になるんです。ということは24日の夜は当時のユダヤではもう25日になっているわけです。
 だから誕生日は25日だけど生まれたのは今の日の概念では24日の夜、イブとなるわけです。

 誕生に関してはキリストは厩で生まれたことになっておりますね。昔、近所のキリスト教系の幼稚園で子どもが厩での降誕劇をやってるのを観劇しました。ホントに馬小屋で生まれたのかなぁ。

 で、今、聖書を読んでいるのでその個所を探すと、4つの福音書では1つのみ(ルカ書)がそれに触れています。

 「・・・布に包んで飼い葉おけに寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所はなかったからである。」

 明確に馬小屋とは言っていないが、宿に泊まれず、飼い葉おけに寝かせたのだから、まあ、馬小屋だろうと推測するのは当然である。

 ところで肝心の誕生日、25日は本当だろうか?
 4つの福音書を読んでみましたが、いつが誕生日と書かれているのはありません。
 現代のキリストに関する本を見ると、このクリスマスが誕生日という根拠は全くないそうです。

 実は、聖書を読んでいて誕生日までは推定できないが、誕生の季節は推測できる記述を発見しました。以下、(ルカ書)

 Now there were in the same country shepherds living out in the fields,keeping watch over their flock by night.
(その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。)

 これはマリアがキリストを生んだ夜の様子です。

 この地方の羊の放牧を調べましたが12月は冬で夜、野原で羊を放牧し、羊飼いが夜通し野宿で番をすることなどないそうです。
 この地方は暖かいと思われましょうが、われらの住む四国と緯度は変わらず、半乾燥地だけに冬はむしろこの四国より寒いかもしれません。この記述にあるような牧歌的な放牧が12月の25日頃おこなわれたいたとは思えません。

 大胆に私の予測するところ晩春頃じゃないでしょうかね。

 ようするに12月25日が誕生日というのは聖書や当時の文献からは見つけることはできません。

 それじゃあ、なんで12月25日がクリスマスになったんでしょうね。
 考えられることは、この2~3日前は冬至であることである。太陽が地平に段々ちかくなり、光も衰えてくる。しかし、冬至を境に高度は上昇に転じ、光も回復してくる。それが影などでようやくわかりだすのが冬至を数日過ぎたこの日あたりからなんだそうです。

 古代においては太陽は原始信仰の中心です。その太陽が衰えきり、ようやく回復する日は、めでたいものとして特別な祭り、催しがあったに違いありません。冬至祭り、一陽来復祭りとでもいうのでしょうか。

 どうもキリスト教はその古代からの重要な祭り日を自分の聖なる祭りに取り込んだと思われるのです。
 キリスト教のどずんべらこいところは、古い、そして自分が圧伏した土着の宗教の聖地に教会を建て、その土着の宗教の祭日を自分の聖なる祭日と重ねてしまうのです。
 すると前の信仰を捨てきれずに持っている人々は何か郷愁に近いものを感じて、その昔の場所にあった教会に出向いたり、同じ祝祭日を重ねたために意図せずともキリストの聖なる日を祝うこととなるのです。

 なかなかうまいやり方ではありませんか。

 だからキリスト教徒でなくともクリスマスは昔の冬至祭り、あるいは再び回復した太陽を祝う祭りだ、くらいに思い、異教徒の我らも大いに楽しみましょう。

 今日、100円ショップでクリスマスツリーを買ってきました。これで100円!いったい誰が作っているんだろう。信じられないくらい安い。
 パソコンの横にお飾りしておきます。

2011年12月13日火曜日

目立たぬ冬の花


 冬に咲く花でも人が鑑賞する花は大輪できれいな花が多い。山茶花、三色スミレ、椿、水仙・・・・・などなど。最近は四季咲きのバラもあり、徳島城公園のバラ園では露地ではあるけれども、何輪か咲いている。

 観賞用ではないが冬、けなげにも咲いている花がある。全く目立たないため知らない人も多い。また実がなるため花が咲くだろうことは知ってはいるが、いつ咲くか知らない人も多い。花の身になるとちょっとかわいそうな気がする。

 今の時期から真冬にかけて咲いているんだけど、さて、写真を見て何の花かわかりますか?



 ところどころ薄茶色の皮のようなのから白いものが飛び出していますが、この密集しているポップコーンのようなものが花なんです。

 ちょっと上の写真の一部を拡大してみます。

 どうです。花らしいでしょ。

 もうみなさんはこの花を知らなくても葉っぱから推測がついたんじゃないですか?これは

 「枇杷の花です」

 今を盛りと咲いてますが、知らなかったんじゃないですか。

まったく目立たず、ひっそりと冬に咲く花だけど、6月にはあま~い、おいしい実をたくさんつけます。果樹の中でも消毒や手入れをあまりしなくても実を供してくれるのが枇杷です。

 冬の寒さに耐えつつ、目立たず地味な花をひっそりつける枇杷の木、でもその成果は6月にたわわに実ったおいしい実となります。

 人に例えればこういう人っていいですよね。咲いていることも知られないような花。華やかさもなく、人々はもてはやしてくれることもない。しかし、時期が来れば、手入れしなくても放っておいてもたくさんの実がなり人に恩恵をもたらしてくれる。
 枇杷の花木のような人、世間はこういう人にもっと価値を認めて欲しいですよね。

 今日、ジョージ君が某資格試験に受かった。青少年センターでお会いしてお聞きした。

 ジョージ君に捧げる為、一句浮かびましたよ。

 合格や 枇杷の花咲く 年の暮れ
 
 おそまつでした。

2011年12月12日月曜日

城山原生林その2


 今日も城山原生林を散策した。
 早くも咲いているヤブツバキを何輪か見たので撮影した。
 
 椿も恋の花である。
 有名な小説にデュマの「椿姫」がある。悲恋物語である。
 初めて読んだとき(高校生の時)

 「へ~、ヨーロッパにも日本の新派のような悲恋物語があるのだ。」

 と感心した。
 というのもわが身は高級娼婦、それでも青年を心底愛しているのだが、青年の父親に懇願され、愛しながらもこの青年の為、心にもない愛想尽かしをして、泣く泣く別れるのである。そしてそれが元で死ぬのです。
 どうです?まるで日本のお涙ちょうだいの新派劇みたいでしょ。

 まあともかく悲恋な花なんですよ。

 下の写真を見てください。大都会の(四国の田舎者にとって徳島市は大都会です)まん真ん中にあってまるで深山のような山道である。徳島の中心地にあるとは信じられない。車の音さえ響いていなければ山奥のような錯覚を覚える。

 実は、歌舞伎の「蔦紅葉宇津ノ谷峠」(黙阿弥の按摩殺しの芝居)の宇津ノ谷峠の細道ようにこの細道で昔、そう私が高校の頃だからもう40数年も前、殺人事件がありました。まさか城山が殺人現場とは!みんなびっくりしました。
 そして数年後、この細道を降りた城の堀に今度は地元でも有名な美人の娘の死体が浮いてました。殺傷による殺人事件でした。この犯人は捕まっていません。

 もう私ぐらいの歳でなければ覚えていないでしょうが、確かにこの細道、そして降りたところの堀端で殺人はあったのです。
 怖い話だけど事実です。
 そう思ってこの写真を見るとちょっと不気味な雰囲気ですね。

 山の道の端に紫の小さな実をつけた植物がありました。名前はしりません。だれか教えてください。

初恋の味ってどんな味


 列車の中で飲もうと缶コーヒーをコンビニで買った。いろいろな種類があるが、興味を引いたのでこれを買った。

 コーヒ系の缶飲料だが、初恋の味らしい。商品名は『初恋ブレイク』、キャッチコピーは

 「甘く、ほろ苦い口どけ。」

 初恋の味といわれるとなんとなくわかりそうな気もするが、よく考えるとホントに初恋ってこんな味?と思ってしまう。

 甘い、だの、ほろ苦いだの、しょっぱい、あるいは酸っぱい、味にはいろいろある。いくつか混ぜ合わさった微妙な味もある。はたしてどれがぴったりするのか。

 古くは大正か昭和の初め頃、カルピスが新発売されたとき、
 
 「初恋の味」 

 という宣伝文句で有名になった。大昔、乳酸飲料など知らなかったわれらの曾爺さんくらいの世代にとって初めての乳酸飲料は、甘いがちょっと酸っぱく切ない味だったのだろう。これが初恋のイメージに当時としては合ったのだろう。
 なにせ、男女7歳にして席を同じくせず、の時代である。中等学校からは男女別である。手を握ったこともない者同士が、ちらと見る、ような形での初恋が多かったのだろう。
 恋というより
 「お慕い申しております。」
 などという感じが近いんじゃないだろうか。
 そのような感情を、当時としては高級でハイカラな飲み物の味として初恋の味に結びつけたのは、なかなかセンスがある。
 ともかく、このカルピスの味が初恋の味といわれる最初となる。

 時代は下り、私が中学時代のときある歌が流行った。幼馴染で初恋をし、そのまま大きくなって結婚。といううらやましいような恋の歌であるが、この味が
 
 「青いレモンの味」

 として歌われた。
 ふんふん、これもわかる気がする。
 未熟で、酸っぱくて胸キュンか~

 まあいろいろな味の表現はあろう。

 しかし、初恋って、一生にたった一度しかない初めての恋だけど、どの人も明確に印象に残る形であるとは限らない。人生をさかのぼり異性に好意を持った初めてが初恋か?と聞かれると好意と恋の線引きは難しい。
 こういう場合、たいていはそのときは初恋なんて思わない。何年、あるいは何十年もたって、

 「ああ、あれは初恋だったんだぁ~」

 と思う。だが何年もたった回顧の形で「初恋」を自分で認定するのは、本当の初恋を体験したものだとは言えまい。初恋に対するあこがれ、恋い慕う心性がそうさせたのかもしれない。

 このような何年もたった時から振り返る「初恋」はしたがって空想的物語的な要素が入り、浪漫的なものになる。

 こんな半ば作られたイメージの初恋はちょっと刺激的な嗜好品の味に例えられる。上の缶コーヒの

 「甘くほろ苦いも・・」

 この意味で一般化されうる初恋の味となる。その下の説明コピーで

 「初めて出会う新感覚」

 というのもいい。そりゃあ、初恋は初めて出会う新感覚だわさ!

 多くの人は明確に初恋を意識しないと書いた。それだから、嗜好食品に勝手に初恋の味と銘打って臆面もなく我々に押し付けるんだろうけど、中には少数だけど初恋の深い印象が刻まれている人もいるだろう。
 そんな人から言わせると初恋の味は実にさまざまで、思いもよらぬ味だというかもしれない。

 人によれば初恋の味は

 「豚骨ラーメンの味」

 だという人がいるかもしれない。
 初恋というと何か初々しい少年少女が主体だと思いがちだが、両方お互いが初恋とは限らない。源氏物語の光源氏は少年で初恋であったが、その相手の義母は当然初恋ではなかった。

 少年が熟女に初恋をする、大いにあり得ることである。源氏は亡き母の面影から初恋をしたが、こんな動機はいくらでもある。これでも少年にとっては初恋である。
 そしてこういった恋はかなり深い印象を少年に刻む。そしてその味も強烈になる。相手は熟女である。淡い淡白な初恋で終わらない可能性がある。
 考えたくはないが熟女が積極的に出て、手練手管の肉体関係、青い少年の性をもてあそぶ・・・

 で、この少年にとって初恋の味は

 「しょっぱくて、きわめてコク(性的に)のある豚骨スープの味」

 となる。

 まあ、要するにホントの初恋を体験したものは「初恋の味」はいろいろで、われら想像もつかないような珍味もありうるということです。

 私のように「初恋」に恋し、浪漫的なイメージ先行の上記の缶コーヒなどに初恋の味を味わうのが多くの人じゃないでしょうか。
 そういう人が多いからこそ「初恋の味」だのと言って繰り返し繰り返し商品が出てくるんでしょう。

 今日、城山の山道を散策してると初々しい高校生がデートしてました。
 この二人の距離!いいですね。こんな時代も私にあったと思いたいです。実際に初恋かどうかはともかく、この二人の時代は

 「初恋の時代です。」

 などと考えながら二人を見ていたら何か胸がキューンと

 「心筋梗塞かしら・・・」 


コーヒと恋の歌入れておきます。コーヒブレイクしながらお聴きください。

2011年12月11日日曜日

城山原生林


 現代の日本では山にある森も人の植林、あるいは長年の伐採、開墾などの影響を受けて天然自然の森ではない。
 自然林(原生林)の植生はその土地の気温、降水量、そして季節による降水量の偏差によって決まってくる。  
 
 我々の住む四国地方はこの気候から考えられる植生、特に樹木相は「照葉樹林」となる。

 その原生樹林(天然の状態で推移している照葉樹林)が徳島の城山に残っている。町の真ん中にあって原生林が残っているのは驚きだ。今後も保護を加え未来へも残してゆきたいが、周りが都市化する影響で乾燥化が進み、原生林の維持も難しくなりつつある。

 今日、この城山を歩いて上まで登った。(といっても30mもない)健康と気晴らしのため。
 植物観察が目的ではなかったので、数枚しか写真は撮らなかったが、目についた照葉樹林帯の樹木・植物をいくつか紹介する。

 一番多い樹木は椿である。天然の椿「ヤブツバキ」である。品種では「侘助」というのが近縁種であろう。
 街中の花壇・垣根などは同族の山茶花が咲き誇っているが、原生林中の「ヤブツバキ」はご覧のようにまだ小さな固い蕾である。
 文字通り椿は春の花、春まではまだまだある。


 「イヌビワ」である。ビワの仲間ではない。実はイチジクの親戚の木である。実も食べられる。
 ヤブツバキとならんで、このあたりの原生林(「照葉樹林帯」)の代表樹種である。
 しかし、最初にも言ったように人の影響が大きい森ではなかなか見つけられない。
 私も近くでじっくり見るのはこれが初めてである。



 「ホルトノキ」でこれも四国の原生林に多い木である。かなりの大木である。
 この木、徳島市のシンボルの木だそうです。知ってましたか?

 今日は3つしか紹介できませんでしたが、極めて手近な場所にある(駅裏)城山原生林でありますのでまた別の樹木・植物が目に着いたらご紹介します。

 最後に原生林の木ではありませんが(この木は落葉する)登り切った頂上にありました。中国からはるか昔、もたらされた木・銀杏です。葉をすっかり落とした木を見上げると、枝の間から冬空が見えたので撮影しました。

2011年12月10日土曜日

Eclipse


9時52分、かけはじめ
10時35分、半分かけている


11時26分、皆既になり赤黒い月が
狂風が孤月を吹く今夜半
ひそかに庭に出て仰ぎ見る月影
月はいつもの光を失い
赤黒くおぼろに中空に浮かんでいる
冬の中天の月蝕、不吉という
洗っても洗っても落ちない血のシミに似ている
こんな不気味な光を浴びて
魔性のものの跋扈がはじまるのか

 って、子どもが聞いたらひきつけを起こしかねないおどろおどろしい表現はここらでやめて
 邪気払いのつもりで陽気にパァ~っと

パロディー古事記・夜の天岩戸

 古事記には貴き神、三神(兄弟姉妹)が出てくる。天照皇太神(アマテラスオオミカミ)、素戔嗚神(スサノオノミコト)、月読神(ツクヨミ)。
 この中でアマテラスとスサノオは結構活躍している。二人の軋轢が嵩じてアマテラスが天岩戸に隠れ、それで日食が起こるというのが古事記の話である。

 三神の中でツクヨミは全く活躍の話がない。
 そこで月蝕の今夜、ツクヨミの神がアマテラスを真似て天岩戸にこもり、月蝕がおこるさまをパロディって見ました。

 月が隠れて見えなくなっても日蝕のようには困らないんだけど、ほったらかしにしては、ただでさえ活躍の場がなくてひがみっぽくなってるツクヨミがいよいよつむじを曲げるというので、アマテラスの時のようにアメノウズメのショーダンスを天岩戸の前で繰り広げ、呼び戻そうとどんちゃん騒ぎをします。

 好奇心に耐えかねて岩の戸を少し開けたところを待ち構えていた力持ちのタジカラオノミコトがエヤ~ッと開けて蝕は終わり、めでたしめでたしとなります。