2011年10月31日月曜日

ゲシュタルトとイメージカラー

げしゅたると(形態心理学)
 三角形を三つ並べてみた。
 ああ、三角形(逆三角形)が3つだ!以上の知覚は感じない。
 次に並べ方を変えてみる。
 おや、顔のようだぞ!と知覚できる人が出てくる。

 じゃあ、三角形の形を変えてみる。これでどうだろう?
 顔と知覚できる人がずいぶん増えただろう。

 さて、次にこれに色を与えることにする。黄橙にすると・・・


  若い人ほどこれはあるイメージの知覚をもたらします。
 え!まだなあ~んも、イメージ、知覚できまへんか?
 じゃあ楕円で囲みましょう。

 今日の午後、我が町を歩き、お絵かきしてみました。

 車やさんの橙色の車

 農作業の水タンク
 
 

 町ではまずお目にかからない『からすうり』

 からすうりはつる性の植物、からみついて実が熟れている。

 紅葉した葉っぱも

 ゴミ箱も

 イメージカラー
 色も2~3色組み合わさるとあるイメージを形成しやすいのであろうか。たとえばクリスマスといえば私は次の2色のコンビネーションにクリスマスのイメージを重ねる。
 それでは今日のハロウィーンはどうであろうか。私のイメージではこのような2色なのではなかろうか。
 なぜこんな色のコンビネーションになるかちょっと考えてみた。
 もともとハロウィーンはカトリック教信仰以前のケルト民族の行事で10月31日のに行われる収穫感謝祭が起源である。

 ケルトの住むヨーロッパは10月の末日ともなれば、落葉広葉樹が色づき赤や黄色に風景を染める。また高緯度にあるためこの頃になると日は短くなり、夕暮れは早くなる。
 赤い夕陽が長く影を落とし、長く伸びた影と赤く照らされた日向とのコントラストが際立ってくる。その黒い影の部分は急速に迫る夜の闇を暗示させる。
 上図の2色は、かそけき夕日に照らされた晩秋の風景の黄橙と、長く伸びた影に潜む宵闇のなのである。

 下は今日のまだ2時台の神社の境内の長く伸びた影である。私の影も入っている。これなど見ると上図の2色の色が晩秋の黄昏にふさわしい色であり、ハロウィーンのイメージカラーであるのも納得できる。

2011年10月30日日曜日

病草子を読む その2

 今日は朝から雨で外をウロウロできない。家に引きこもっている。
 あまり一つ所にいると危ない気がする。
 強迫観念だろうか、皆さん聞いたらお笑いになるかもしれませんが、一か所に長くいると死神に見つかり、襟首を掴まれたり、地獄からの獄卒のお迎えにあいそうな気がして落ち着かない。

 そうはいっても雨の中、長時間傘をさして歩くのはしんどい。また今日は朝から眠くて頭がぼんやりしていて、雨の中、外へ飛び出す気力もない。車さえあれば近くの温泉場にいってのんびり湯につかり、瞑想にでもふけるのだが、車はブチ壊れたまま庭の片隅で鉄くずとなっている。

 「ああ、天気も、気分も鬱鬱じゃ!」

 こんな時は家の中にいて、気分が明るくなるような本やビデオを見ればいいような気もするが、そういうのはやめて、また「絵巻物シリーズ」を引っ張り出してきて読み始めた。前にブログで一度取り上げた『病草子』である。
 読みながら同時並行にそのテーマでブログを作った。写真に撮ったりパソコンに打ち込んだりの作業なので結構面白い。

 この絵巻物、「病」(やまい)という深刻なテーマを扱っている。そのため、現在病気の人や同病の人を傷つけたり、また病気でない人でも見る人をいささか気色悪がらせるかもしれないが、全篇を通して

 「人の世とはこんなもんですよ。きれいごとばかりでは人の世はすまないんですよ。」

 と人が病を得ても生きなければならないことの赤裸々な真実を見せてくれるものでもある。そりゃそうだ、多くの人は、病気にかかり、病を得て死ぬのであり、健康なまま死ぬことはまれである(ってこの言葉は逆説で、あり得ぬことじゃ)

 それではその中から選んだ一部を見ていきましょう。最初はこれ
 なんの病気かって?この時代には極めて珍しい贅沢病、「肥満」、肥満よりそれがもたらす成人病が怖い。
 女高利貸しというから、人の生き血を吸ってこうなったと、周りのモノは悪口を言ってるかもしれない。そう思い見ると侍女もなんだか小馬鹿にしているような・・・

 次は最近には珍しい、まあ、いわば性病の一種ともいえないこともない(性交渉によって相手の陰毛に巣食う虱が自分の陰毛にうつるからエイズのような性病の一種と見る向きもある)、陰毛虱(虱は蚤と違い体の部位によってそれぞれ種類が違うそうです。)です。
 うつると痒くてたまらない。それでよく見ると、陰毛、あるいは体のそのほかにも小さな虫がウジャウジャ!
 そこで迷わず陰毛を剃ることにしました。これは今でも正しい処置方法です。
 それにしてもこの横のおんなのうれしそうな顔!


 お次は遺伝性のものと思われる「白子症」、詳しくは私が以前にブログに書いてますのでこちらをどうぞ
http://koromonotate.blogspot.com/p/blog-page_03.html
中世においてはこのように白くなる病気(遺伝的発症で病気というには抵抗があるが・・)は外見が他人と違ってみえるため、差別の対象となった。そういえば昔から差別を受けたレプラ(らい病)も症状は皮膚が白蝋のように白く透き通るようになる。
 この女も差別を受けているのであろうか、周りのものは指さし、驚いたり笑ったり、露骨な表情で接している。そのためかもしれない。この女は定住者ではなく、旅の遊芸人である。鼓を持っている。この時代「白子」はこのように生きる以外なかったのであろうか。
 大昔、身体異常者に生まれたら、遊芸人、あるいは見世物とされたと聞くが、この絵巻を見てそのことをちょっと思った。中世とはいえ残酷である。

 次の病はこの絵巻の中でもかなり深刻である。ひどい水様の下痢、嘔吐は細菌性の伝染病の可能性がある。赤痢だと命取りになる。
 介抱する尼の格好をした老女の表情を見て欲しい、このような病気の介抱に慣れているのか、こともなげに淡々と手当を(頭をおさえ、片手は背をさすっている)しているのが印象深い。他の若い女にてきぱきと指示を与えているのであろう。頼もしいが、さてこの女、助かるのだろうか、私の見るとこ半々か。

次は詞書を読むと命にはかかわらなかったがとんでもないにあった男の話である。
目を病む男がいた。そこへ流しの医者と云おうか、門づけの医者とでもいおうか、ギターを抱いた渡り鳥、ならぬ医療用具を抱いた渡り鳥の医者があらわれ、

 「旦那さんこんにちわ、医者いりまへんか?」

 さっそく見てもらったら

 「ああ、ちょっとした手術でなおりますわ!」

 といったんでしょうね。それでこの絵巻のようになりました。
 結果は、ますます見えなくなり、片眼は潰れて全く見えなくなったそうです。
 皆さんもくれぐれも流しの医者を家に呼び入れないようしましょう。って!いまどきそんな医者はおらん!

 最後は幻覚が見える病気。かなり深刻である。大勢の小人のような僧侶にかこまれ、棒で襲われる幻覚に悩まされている。
 深刻だけど何かユーモラスである。この大勢の「一寸法師」の漫画のような描き方が面白い。下の写真はそれを拡大したもの。
 ビワがあるところを見るといまの月でいうと6月だろう。うっとしい梅雨空で精神疾患の症状が出たのかもしれない。

2011年10月29日土曜日

産業立県 2次産業に頑張ってもらわにゃ

 今日、アスティ徳島で県内の工業博覧会と産業高校の合同展示会のようなものがあった。正式には「徳島ビジネスチャンスメッセ2011」という表示が出ていた。このように
 工業・農業・そのほかの実業高校の若い生徒さんや県内の各製造企業の若手の社員が大勢いて、見るからに活気があった。
 見学客もかなりいたが、実業高校の高校生や若い企業マンのほうが多くて、写真を見ても分かるように混雑といっていいほどにぎわっていた。

 やまさんは爺のくせに爺さん婆さんの多い会とか集団とかは大~っ嫌いなので、若さあふれた、実業高校生への求職体験会・PR会も兼ねたこのフェアに、場違いも顧みずのこのこやってきたのです。
 普段は若い人からじぇんじぇん相手にされませんが、今日は高校生の出店しているバザーを覗くたびに、かわいらしい女子高校生が
 「いかがですか」
 と声をかけてくれる。うれしくなって、商品・品物についてわざとくどくど聞いても嫌がらずに丁寧に説明してくれる。
 県西のM高校はふりかけを売っていて、そこで10分ほど立ち話!市内のJ高校はフライドポテトを売っていてそこでも10分立ち話。他でもうろうろ、買いもせんのに~!
 60歳になったらつくづく思います。

 「なんで若い子って、みんなきれいなんじゃろか!」

 「あ~、昔の人はよ~いうたもんじゃ、鬼も18、番茶も出端。18の子にきちゃない子はおらん。」

 県内の大学も何かやっていたがバンカラな感じの男だったのでパスした。

 さて、この広いドーム状のホールに県内の製造業を中心とした企業が集まっているんだけれど、想像していた以上に数が多く、また内容も新製品の売り出しや宣伝に工夫をこらしていた。
 円高・大震災・政府の無策などで企業環境は非常に厳しいものがあるであろうに、どの企業も生き残りをかけ、頑張っている。
 また、どの企業も例外なく次世代の製品を展示、あるいは説明パネルなどで表示してあるのを見ても、既成のものに安住してはやっていけないことを示している。

 一応全部見て回ったが、特にこれからの徳島の有力産業となりそうな企業分野を私の独断と偏見でいくつか選んでみました。

 まず、徳島の成長産業といえば最近はこれ!今後も更なる開発で世界をリードしてほしい。
 下はLEDライトでレタスを栽培している。今、野菜がすごく高いが、このように省エネのライトを当て工場でレタスを生産できるならば一大成長産業になること間違いなし。

 次は古くからの伝統的ともいえる製造業だけど、今後も頑張ってほしいと思う分野を3つ取り上げました。
 一つは世界にもない日本のお家芸の技術!打ち上げ花火「大玉」。これなどは商品というより、芸術品であります。

 もう一つは仏壇仏具。これも芸術品に近い製造商品であります。

 最後の一つは、「阿波和紙」。世界的に考えても、中世以来だから1000年以上、「刀剣」と「紙」は古今東西無双の品質を我が国は誇っております。その中でもわが県は昔より、楮、ミツマタより漉いた和紙は良質のものが生産されています。
 和紙の威力はすごいものがあります。1300年たった正倉院の文書は今だに残っております。全く和紙のお蔭です。

 次は徳島では比較的新しい産業で今後頑張ってほしいものを二つ取り上げました。

 最初は「香料・消臭剤・消臭繊維衣服産業」。知人が以前、犬の糞尿の匂いに悩まされていると聞いたこともあり、世界的に生活レベル・衛生が上がる国が増える中、成長著しい産業になるのではないかと思われます。
 パネルを拡大してよく見ると消臭アンダウエア(下着)とあります。これにはやまさんずいぶん魅かれるものがあります。学生の頃、パンツ、靴下は何日ぐらい穿けるものじゃろかと、実験したことがあります。さすがに一週間も穿けば匂ってきます。松本零士氏によればパンツは一週間したら前後   逆にし、さらに一週間したら裏表にすれば数倍長くはくことができると言ってましたが。
 匂わない下着、さらには汚れない下着が実用化されたらやまさんには
 「福音じゃ!」

 次は需要が多く、徳島の製品がかなりのシェアを占める「道路標識」。新製品として夜間でも光り見やすい太陽電池パネル、発光ダイオードの付いた標識が次世代商品として展示されていました。

 以上紹介したものはどれも付加価値の高い高度な技術・技能を要するもので日本そしてわが県の産業の生き残れるのは、この方向しかないものと思われます。
 これ以外にもたくさんの企業の製品がありましたが、特に頑張ってほしいと思うものを私の独断で取り上げました。
 今現在、若い人の就職は第三次産業・サービス業がダントツです。しかし、昔から日本はよい技術でいい製品を世界に送り出してきた「プロの職人の国」です。製造業がダメになっては日本の特質がなくなります。

 「二次産業に頑張ってもらわにゃ!」

2011年10月28日金曜日

あるアーティストを偲んで

 つい先日、柳ジョージが亡くなった。私とほとんど変わらぬ年齢で、いまの世の常識では若死にだろう。
 私の好きなアーティストは若死にする傾向があるのだろうか、
ジョンレノン、大塚博堂、川島英五・・・

 今日はその柳ジョージさんを偲んで、彼の曲の中ではあまり知られていない『over the river』を入れて動画をアップしてみました。
 動画は短いながらも3部構成になっております。『over the river』という曲想に強いて近いのは第1部だけです。
 ・川と橋
 ・菊人形
 ・野外彫刻
 
 お聴きください。

2011年10月27日木曜日

またパソコンにいじめられる

 パソコンのIEの調子が悪いので新ブラウザたらいうもんをダウンロードしようとしたが、さんざん失敗し、爆発寸前となりました。
 ようやくクロムを入れました。
 目は疲れてかすみ、見えんようになるわ、頭いとおなるわ、肩こるわ、でへとへとになりました。
 もう今日はブログ作る気力もおまへん!
 こんなにパソコンにいじめられるんだったら、もう、やめて縁を切りたくなりました。


 下の図は今日のやまさんの心象風景です。

2011年10月26日水曜日

神社とひっつき虫

八大龍王神社

 今朝はずいぶん気温が下がって、寒かった。昼ぐらいには気温は上がったが、午後3時が近くなるとまた気温が下がってくる。その時刻、南の山の山麓を自転車で散策したが、西に傾いて早くも夕づく日や舞い落ちる枯葉を見ているともう晩秋の気配さえ漂っている。

 山あいから流れる小さな川に並行している道を奥に進むとやがて谷は狭まり、自転車も行けなくなる。行き止まりである。しかし川はさらに狭まった谷奥から流れてきている。人一人歩く道は川沿いについているようだが自転車を乗り捨ててさらに奥へ入るつもりはない。
 そこに神社がある。鳥居の額を見ると

 『八大龍王社』 と書かれている。この神社は散策コースでよく通るが神社名を見たことはなかった。今日初めて知った。
 鴨島にこの神社があったことも驚きだが、散策コースになっているのに気づかなかったのも全く迂闊であった。

 というのも、9月の台風・大雨でうちの家の周りは水浸し、深夜に風雨が強まり、ドンドン水が上がってくる。なすすべもなく、頼ったのが神頼み。八百万の神々の中で私が選んだのが八大龍王であった。
 これこの通りブログにもその時の図をアップしてました。9月21日のブログより
 
 そして八大龍王雨降らすの想像図もその時のブログに載せてました。
 
 なぜ私は八百万の神々の中から八大龍王を選んだのか、それは平安時代には、空海が雨乞いを、また鎌倉時代には源実朝が八大龍王に祈願したことを覚えていたからです。もちろん霊験もあらたかということで。
 しかし、名前は有名だが我が土地(鴨島)にはなじみ薄い神様だろうと思ってました。京・鎌倉か、あるいは大瀧に鎮座しているのだろうと思っていました。

 その八大龍王を祀る神社がこんなに身近にあったとは驚きです。これからは出水、大雨、日照りなどが起こったときはお頼みしようと思いました。

ひっつき虫

 帰り道、自転車をとめて野の草を撮影しました。
 『センダングサ』です。向こうのセンダングサは黄色の花が咲いてますが一番手前の土筆のように見えるのは花が枯れてしまって中に実が詰まっています。

 これが最近この辺りで見る一番ポピュラーな「ひっつき虫」(植物の実で服や毛糸に引っ付く構造をしている)です。この土筆のようなものだけでも引っ付きますが、ひっつき虫の威力を発揮するのはこれがはじけ、中から小さな細い黒い実が放射状に開くときです。

 まだはじけるにはちょっと早いので家に持ち帰り、無理にこのつくし状の先端をばらしてみると、このような細い実がぎっしり詰まっています。その上部は小さな釣り針のような鉤が出て服や毛皮に引っかかるようになっています。

 まだ少し早いですから青いですが、実が黒くなると放射状に広がります。このように
コセンダングサ

こんなのが待ち伏せしている野原を行こうものなら服にたくさんついてとるのに苦労することになります。
 ひっつき虫は他にもありますが、小さな黒い実が無数に引っ付いて離れないこのセンダングサは最強のひっつき虫です。

 センダングサ以外にも、ヌスビトハギイノコヅチ、オナニーモミ?いや違った、もとい!オナモミなんかが私の子供の頃、晩秋の野遊びでよくついたひっつき虫ですが、最近はこのセンダングサ以外あまり見なくなりました。やっぱり環境が昔と比べ大きく変化しているんですね。

2011年10月25日火曜日

あったかモードになってる

 皆さん今夜から気温がグッと下がりますから風邪などお召しにならないように(あ~なんちゅう美しいの日本語じゃろ、)してください。

 夕方、鴨島駅前の自動販売機を見ると、これこのように「ホットな飲み物」がずらりと並ぶようになりました。
 寒くなってくると暖かい飲み物が欲しくなるから当然ですよね。
 
 寒い朝、列車に乗ると、マフラーをしてちょっと鼻の頭を赤くした女子高校生が、あったか缶コーヒーを両手で握りしめて暖かさをしみじみ感じている姿なんかいいですよね。

 上図を見るとあったかモノはコーヒー系が多いですね。日本人の缶コーヒー好きは世界に冠たるものだそうです。
 コーヒーをお茶代わりによく飲むアメリカなんかは缶コーヒーなんか飲まないそうですから、缶コーヒー文化は日本が中心みたいですね。

 多くの人が缶コーヒー、夏は冷たいのそして冬はホットを飲みます。缶コーヒーは国民的飲料といっていいですね。
 ちなみに私も缶コーヒーは好きで飲みます。昔はよく飲みました。ただ、最近はビンボーしてるから缶コーヒーは飲みません。家でドリップして飲みますし、外の場合もそれをボトルに入れもって行きます。
 缶コーヒーは120円、薫り高い家で作るドリップは原価30円ですから、お得ですよね。
 そういうわけで私は最近飲まなくなりましたが、圧倒的な人気飲み物であることにはかわりありません。

 さて、ここで、ちょっと私からこの缶コーヒーについて一言、ご注意、いやいや、こうしたらいいんじゃないでしょうか、とよけいな差し出口かもしれませんが申しあげたいと思います。

 缶飲料は「缶詰」ですから、微生物による変質は起こりません、何年たっても。
 しかし、変質をもたらす「化学変化」は微生物にかかわりなく徐々にではありますが起こります。だから腐らない缶詰と云えど何年かの賞味期限はあるわけです。
 ちょっと高校で習った化学を思い出してください。(ジョージ君!よ~聞いといてや) 化学変化を促進させる物理条件は高温ほど大きいのです。だから極力化学変化を起こさせないよう、薬などの保管は冷蔵庫がいいのです。

 これを缶コーヒーに当てはめ考えてみると、60度以上で温蔵してるホット缶コーヒーは長時間立てばかなりの化学変化を起こしてしまいます。具体的には味が変化し、風味などなくなってしまいます。
 客の回転の速い自動販売機はあまり長時間の高温保存はないでしょうが、あまり売れない販売機の場合、もしかすると何日もあるいは何週間も温蔵されているわけです。
 これでは化学変化促進装置と同じになります。
 どうですか?ホット缶コーヒーを買ったところ風味も抜けてしまいただ甘かっただけということがなかったでしょうか。
 私は以前、缶コーヒではなかったですが、ホット汁粉の缶を自販機で買ったところ、回転の遅い自販機だったんでしょう、何十日も温蔵されていたに違いありません。かなり化学変化を起こしていて、泥のような甘味も味もない気色の悪いものに変化してました。

 一番いいホット缶コーヒーの味わい方は、冷缶コーヒーを買って、それのタブを開け、瞬間的に、例えば電磁調理器・IH器などでその場で温めるのが一番いいのです。
 しかし、自販機にそんな装置をつければ膨大な設備投資となり120円では売れなくなります。多少の化学変化、つまり変質には目をつぶることになります。

 だから缶コーヒーの味をできるだけ損なわずに味わいたいのであれば冷缶コーヒーをお勧めします。どうしてもホットが欲しい場合は、今言った理由からできるだけ客の多い、回転の速い自販機を選んでください。

パロディー野外彫刻展

 某公園で今、野外彫刻展が開かれている。
 なかなかユニークな作品ぞろいでおもしろい。
 しかし、頭を悩ますものが多い。

 というのは、何が作品か、よくわからないのである。
 公園だから樹木剪定のハシゴや剪定ばさみ、また芝生の草刈り道具、あるいは花木の消毒殺虫用具、肥料がおいてあっても不思議ではないのだが・・・
 実はそれが「芸術出品作品」であることがあるので、鑑賞しようとする者にとって全く気が抜けない。

 ベンチ、ごみ箱さえも作品であるかもしれない。いやいや、そのゴミ箱に入れずに散らかっている「ゴミ」でさえ作品の可能性があるのだ。

 芸術を理解できぬ私なんか
 「どれが芸術作品だろう、知らずに踏みつけ壊すのではないだろうか、とちょっとドキドキものである。」

 で、少しパロディって見ました。
 決して芸術家を馬鹿にしているわけではありません。

 「ミソもクソも区別できないやまさんのみをお笑いください。」

2011年10月24日月曜日

秋飾り

 夜のウォーキングに出た。まだ100円ショップが開いていたのでのぞくと、入り口付近にはハロゥィーンや秋の飾り物がたくさん置いてあった。
 パソコンの机の上も何か秋らしい雰囲気を出したいので、一つ買うことにした。
 それで選んだのがこれ
 子供の頃だとどんぐりなんか集めて自分で作りたい気もするが、私の図画工作の腕ではこんなに小さくかわいらしいものはできないだろう。
 取っ手のついた小さな竹籠、その取っ手のまわりは小さな紅葉をあしらってある。おまけに蔦までからみついている。籠の中にはフクロウと柿、そして木の実。
 「これで、100円!」
 信じられないくらい安い。

 どこか南の開発途上国で作られているのだろう。日本も貧しかった昭和30年代は、私の知っている家でも内職でアメリカに輸出する「小間物」やクリスマスの飾り、安手のおもちゃなど一つ数十銭単位でせっせと作っていた。
 さすがに日本ではもうつくられていないだろう。

 ちょっと夢想する。紅葉など見たこともない常夏の国の少女がせっせと褐色の手でこの赤や黄色の葉っぱに飾られた秋飾りを作るところを。
 少女は何を思ってこの飾りを作っているんだろう?
 
 明日ぐらいから気温もググッと下がり、秋も深まってくる。やまさんには身にも心にも寒さがこたえる季節到来である。
 そういえばハロゥィーンももうすぐである。

 そうそう、100円ショップで一緒に「菊の薫りの入浴剤」を買った。菊は不老長寿に効くという、今夜の「お湯」は菊の薫り湯にします。これから湯にふりかけ、入ります。
     下の画面をクリックしてください。

2011年10月23日日曜日

興味ある科学ニュース

 『科学の常識が非常識となる。』あるいは逆に『科学の非常識が常識となる。』こんな革命的な大転換はそう何度も起こるものではない。もし起これば、1世紀に一度あるかないかの科学上の大事件となる。

 と、ここでちょっと話を逸脱させていただきますが、皆さん、数学はお好きでしたか?
 「そういうおまえは?」
 で、私のことを話しますと「好きでした。」しかし、数学的な理解は極めて遅く、学校での数学の成績は非常に悪いものでした。好きであることと、それが身について自在に扱えることとは違うんですね。

 ご存じのとおり科学や経済理論なんかは高等数学が扱えなければ、文字を知らずに文学をやるようなもので、お手上げ状態になります。
 専門的にやりたくても数学が出来ねば、科学の専門のまさにその門へ入ることもできません。
 それでも科学や経済が好きというものはどうすればいいのでしょう。教養としてやる分にはさして難しい数学はいらないでしょうが、専門分野となればそうもいきますまい。

 「まあ、科学を専門にやることなど、ぼく、せんもん、といって諦めるこっちゃな。」

 でも科学分野はいろいろあります。数学の苦手な人むきの専門分野だって探せばあります。
 たとえば「科学史」。え、それって歴史学だから人文系じゃないのと言われそうですが、一応これも科学の広い分野の一つです。
 経済にも言えます。経済理論の高等数学が苦手な場合、経済史の専門分野だと何とかなります。

 そういうわけで数学が苦手だけど何とか科学の専門の門を叩きたいと思っていた私は、「科学史」をやりたいと思ったのです。
 勧める人もいて11年ほど前、「徳島科学史研究会」(ずいぶんマイナーな会だけどあったんですよ)に入りました。恥ずかしい話だけど会費が2年目から納められなくなり1年でやめましたが。

 まあやめずにそこでコツコツ勉強と研究を続けていれば、今まで10年あったから、もしかすると小さな研究発表も一つぐらいはできたかもしれませんね。

 考えれば中学の時読んだジュニア向けに書かれた「相対性理論」の話があまりにも面白く、このような教養普及本をその後も読み漁りました。そのため数学に裏打ちされていない科学のまあいわば「雑学」のような半端な知識は自分でも驚くほど増えていきました。
 だからある意味、数学のあまりいらない幅広い科学的事件、その関連性を扱う「科学史」は向いていたのかもしれませんね。ただ、何事にもコツコツやるのが嫌いな私は1年でやめ、全くものになりませんでした。

 閑話休題(それはさておき)
 その科学史では最初にいった「常識と非常識」の逆転するような革命的な変革をコペルニクス的転回とよんだりしました。天動説から地動説へだから確かにそうですね。

 科学史ではこれに匹敵するような衝撃的な科学常識の変革が20世紀初頭に起こります。アインシュタインの「一般・特殊相対性理論」です。

 そしてそのアインシュタインのとなえた説が時間をかけてようやく常識になりました。ところがちょうど100年たってこの常識が破られるかもしれない衝撃的な実験結果が先日出てきました。

 『素粒子ニュートリノが光より速い』

 これについては実験の精度が問題視されてますが、かなり綿密な検証もされているみたいで、反論もしっかりしなければいけません。
 いまのところ「?」のついたままです。
 しかし、もし、光より速いとなると、今までの科学常識を壊す科学史上の大変革になることは間違いありません。

 下は今日のニュースよりとった図です。
 どうなることか目が離せません。

コスモスに思う

  自転車で秋の野道を散策しながらとりとめもないことを考えた。

 『素粒子の世界とは人間の意識構造である』という言葉、そして
 『マクロコスモス(物質世界)とミクロコスモス(意識世界)はリンクしており共鳴・投影しているということみたいです。』

 という言葉は何故か強く魅かれる。難しくて理解の埒外のようであるが、なんだかわかりそうな気がする。

  ちょっと意味は違うかもしれないが「曼荼羅宇宙」をわかるというか実体感するのは理屈やそれにもとずく理解ではあるまいと思う。

 「悟り」なんかは決して理屈の上での理解ではあるまい。それと同じようなものではないだろうか。

 最近はあまり流行らないが、左脳の理解、右脳の理解というのがあるが、理屈によらない悟りなんかは、この右脳の理解に近いのではないだろうか。

 「わかりそうな気がする。」と思うのは、誰しも「仏性」、大胆に言い換えるならば「悟性」をもっているからだろうか。

 実はミクロの中に広大無辺なマクロの世界があるという、「入れ子構造」はもっとも魅力的な考えだ。

 まったく脈絡もなくあれこれ考えが湧いてくる。

 ふと見ると畑が鮮やかにピンクに輝いている。

 一面のコスモス畑だ。

 ここにもCosmos(秩序ある宇宙・コスモス花)がある。

 写真に撮る。

久しぶりにSデパートに行ったこと

 Sデパートには県下で一番大きな本屋があるので、新刊でどうしても読みたい本ができたときはこの本屋に行く。
 といっても、買うわけではない。申し訳ないがビンボーしてるので本代に何千円も使うわけにはいかない。それで、立ち読みである。

 立ち読みといったがこの本屋さん、このデパート内に開店した当初は子ども本売り場だが、椅子が用意されていてなんと「座り読み」もできたのである。だからこの時は私も本を座り読みしていた。

 しかし、こんな不埒な客が出てきたためか今は椅子類はすべて取っ払われている。
 私は腰痛の持病があるので長い時間の立ち読みは辛いが、どうしても読みたいという知的欲求が強いので我慢することにしている。

 走るはしるではあるが本を丸ごと立ち読みするのはいくら法律に触れないとはいえ「知的泥棒」に等しい行為ではないだろうか。

 「それは十分わかっている。」

 だから本はできるだけ図書館で借りて読むことにしているし、新刊が読みたいときは図書館に購入のリクエストをする。
 しかしいつも新刊を購入してくれるわけではない。

 新聞の書評など読んで、どうしても読みたい本で図書館でも購入してくれないものは、立ち読みとなる。

 最近、体調も良くなく、腰痛も起こっているので、今日は一冊の本を二回に分けて午前と午後、出向いて行って立ち読みした。

 この本屋のフロアは8階にあるのだが、エスカレータで上り下りすると7階が異常に混んでいる。

 「なんで?なにを売ってるのかな。それとも何か興味深い催し物か?」

 興味が湧いたのでそのフロアを少し歩いた。
 『ユニクロ店』と表示されている。一昨日がオープンだったみたいである。

 「なるほど、それでこの大勢のお客さんか」

 わかったので早々に立ち去る。

 ユニクロって人気があるんだねぇ。若い衆向きで、ファッション性があり、安いんでしょ。
 今、不況デフレのなか、業績を伸ばしているお店だと聞きましたがそうなんでしょうね。

 エスカレータで降りながら、周りの人の衣装を見る。
 老いも若きもみんなカラフルでおしゃれで第一、まっさらぴんぴんである。目を皿のようにして見ても、ツギの当たったのや、擦り切れたの、ほころびたのを着てる人はいない。

 「新品で、おしゃれ、ファッションセンスがある服、でも安く買いたい!」

 多分こんな欲求にいちばん応ずるのがユニクロなんでしょうね。

 老人でもおしゃれに美しく着飾って闊歩するSデパート、その中で場違いにキチャナ~イ格好で歩いていたやまさん。

 「みんなにどないに見られたんじゃろか?」

 ちなみに下が最近の私の衣装です。

2011年10月22日土曜日

菊と温泉

 鴨島の菊人形が始まった。駅前に展示してあったのはこれ
 
 毎年のNHKの大河ドラマがテーマとなる。今年は「江」である。
 この二体は江と信長だが毎年同じ顔の人形である。

 ところで皆さん「菊」の英語名知ってますか、Chrysanthemumというすごい名前になります。長ったらしくて語の発音や文字の構成からギリシア語が語源のような気がします。調べてみるとその通りで、「金の花」という意味から来てるそうです。
 こんな難しい名前を持つくらいだから英国では一般的な花ではないだろうと推測されますが、その通りで英国で菊栽培が盛んになるのは日本の幕末頃、わが国の菊がむこうに行ってからといわれています。

 この菊の英語名に関し、ある俗説があります。幕末頃あちらに行ったといいましたが、ご存じのように幕末のころ「菊」の紋章は天皇の象徴でした(具体的に錦の御旗とよばれた)。
 あるとき外人がその菊の紋章(錦の御旗)を日本人に聞いたそうです。

 「あのう~もしもし、あれはなんちゅうもんですか」

 「お~、あれは、禁裏さんの紋、でぇ~す。」 ※禁裏・・・天皇のこと

 この、「きんりさんのもん」が、アチャラの人には、「くりさんすぃまむ」Chrysanthemumのように聞こえたというのです。ちょっと苦しい説明ですが・・きんりさんのもん、を早口でとなえ舌を噛んだら、くりさんしまむ、こうなるかも。

 でもこの説、さっきネットで調べたが見つからん!

 「え!じゃあ、おれのオリジナルか?確かどっかで読んだような記憶があるが・・・」

 ガセネタのような気がする。でもおかげで一番難しそうな「菊」という英単語、確実に覚えましたわ。

 皆さんもここまで読まれれば、ダジャレに近いような「やまさんの菊に関する語源学講座」で菊の英語名覚えたでしょう。


 今日、家で温泉気分を味わうため「露天の宿・名湯めぐり」の入浴剤を買ってきた。
 開けてみると

 「おおこりは!」


 なんと「黒川温泉」ではないか。ほれ、ほれ、あの夢のような
 読んでない方は下クリック
http://koromonotate.blogspot.com/2011/10/blog-post_06.html



 これからこの黒川温泉の入浴剤を家の風呂に入れ黒川温泉に入ったつもりで妄想をたくましくします。

一周年記念ご挨拶

 ブログを始めて今日でちょうど一年になりました。
 去年10月22日が初めてのブログ開設でした。このようなものでした。
http://koromonotate.blogspot.com/2010/10/blog-post_22.html

 拙い私のブログでしたがお読みくださり、またコメントを頂きまことにありがとうございました。

 たとえお一人であっても誰かが読んでくださっていると思えばそれだけで作り甲斐があり、励みとなりました。そのおかげで何とか今日までやってこられました。
 ひとえに皆様読者の支えがあったればこそと感謝しております。
 どうも今までありがとうございました。そして今後もよろしくお願いします。