2011年5月31日火曜日

なるほどITの起源はこんなところに

 昨日、図書館で本を借りて読み始めたが面白いので一気に読んでしまった。

副題が「IT時代を拓いた技術者たち」

 ちょっと待てよ!なになに、モールス電信士?
若い人にはちんぷんかんぷん。なんじゃそれ!
年配の人は、おぼろげながら・・・・・・・・

 モールスってモールス信号、あのトン・ツーの組合わせで文字を表すものか?
 そうそれ。
 じゃあ、電信士は、えーと・・・

 ほれほれ、西部劇で街の保安官事務所の横に
電信事務所を構え、
中では、鼻眼鏡をかけて、昔の事務員がしていた黒の手甲で肘まで覆い、よれよれのワイシャツ、ネクタイでトン・ツーの電信機を叩いてるおっさん。
 そしてそのモールスを文字に書き換え、他の街から送られた重要情報をもたらす人。

重要人物ではないがその情報の紙切れは西部劇の展開の上でキーポイントになる。
 例えば、お尋ね者「ビリー」がそちらに向かったとかいう緊急連絡。電報という。
 その電報をキーを叩いてモールス信号を相手に送る。また、反対に送られたモールス信号を文に変換する技術者が「電信士」

 電信の発明はかなり古い。実用化が1840年というからもう170年も昔である。それとともに電信士も登場した。モールス信号を手でうち、聞き分けなければならないから特殊技術者である。

 原理は極めて簡単!電磁石に通電した時。鉄がカチッと引っ付きます。それを利用するわけです。具体的には切り離れたOFFの状態と、通電の「短」・そして通電の「長」-の3つを組み合わせ文字を表します。擬音で表せば、短がトン、長がツーである。
 私は一つだけ言葉を知っている。SOSの「・・・---・・・」である。Sが・・・、Oがーーーである。

 いまどき骨董屋を捜し歩いてもこんな「電信機」はまずお目にかかれない。前々世紀の、電話もまだ発明される以前の古い古い技術。ペリーが日本に開国を迫ったときに幕府の土産として持ってきた「電信機」はその時、もう完成の域に達し、それ以上の大改良は終わっていた。

 正直、そんな時代の電信機、そして電信士が今のITの先駆者って???疑問だ。少なくとも1947年のトランジスタの発明以降じゃないのか。
 しかし、この本を読んで納得しました。

 若い人たちはPCやインターネットをガキの時分から自由に扱っていたため、IT技術の本質とは何かを、言葉で説明できなくても、体で知っています。
 ところが、やまさんは還暦でインターネットを始めたため、ITとはなんぞや?本質は?まるでわかりません。

 ですがこの本を読むと、年寄りが理解するにふさわしく、歴史からその本質に迫るアプローチをとっているのでかなりわかるようになりました。
 最年長の(IT訓練校で)私でも、
 
 「う~ん、これは古い」

 と言わしめた電信技術、電信士からの説きおこしは、胸にすとんと落ちることばかりで
 
 「ああ、なるほどなあ」

 電信士が向かった電信機は原始的ではあるけれど、PCの画面と同じ、PCは符号・暗号化を自動的にやってくれるが、電信士は自分の頭で変換するだけの違い。
 勤務時間に暇ができれば、顔も知らない電信士同士で「チャット」のようなことも行っています。

 それに電信網って目的地に直接つながってなくてもリレーしながら伝わるってことを知りました。
 まず、とりあえず目的地方向の一番目的地に近い局に送る。そしてその受け取った局は同じように目的地に近い局に送る。
 これって、実はインターネットと同じでまさにウエブなんですね。

 西部開拓時代の華、電信士には女性もいました。電信士同士のやり取りではもうインターネットと同じ。そんな電信士のやり取りから恋が芽生え、そして披露宴、参加人もバーチャルに電信網で行うという。
 こんな実際あった面白いエピソードを読むと「ITの起源」といわれるのもむべなるかな、という気がします。
 そして鉄道や軍隊・戦争と結びついて威力を発揮する電信技術は鉄道をあらゆる交通手段と読み替えれば今のIT技術と同じ、ここでも本質は同じ。

 そしてもっともITの本質に迫っていると思うのは、
 「技術」「情報」です。この二つのキーワードは西部開拓時代から同じように受け継がれています。
 
 電信士はおおむね貧しいが向上心・向学心あふれる若者でした。社会をのし上がるためには、まず「技術」でした。技術の取得を経て電信の世界へ足を踏み入れると、その人間は電信を通じて政治・経済・文化いわゆる「情報」に関する最新の動向にリアルタイムで触れることができる。
 この「情報」を活用できるというのが最大の役得でした。

 電信士の中にはこの「情報」の役得を最大限生かして、社会をのし上がった人々がいました。いまでも有名な人では
 カーネギー、エジソンがあげられます。

 彼らが電信にであったとき示した姿勢は、150年たった我が国で話題をさらったIT業界における成功者のそれと共通する面を持ちます。

 アメリカ史のごく狭い一分野の小史でしたが
 「なるほどITの起源はこんなところに」
 と何となくわかったような気にさせた本でした。

2011年5月30日月曜日

雨上がり(昨日のつづき)

 朝早く、大雨の後の町を歩く。強く吹く風が肌寒い。満々と水をたたえた水田、あふれんばかりの小川、道路の大きな水たまり、みんな大雨の名残だ。

 2日雨にふりこめられ、出歩く今日の朝は胸躍らせるくらい素晴らしい。太陽は出ていないが、もう雨の降る気配はない。速く動く雲は青空が現れる予兆だ。なにかうっとりするような天気だ。

 駅前に立った。対のツバメが私の目先をクロスして低く飛ぶ。

 「子育ての夫婦かな」

 駅の軒を見るとツバメの巣があり、可愛い口をいっぱいに開けた雛が親を待って巣から頭を出している。
 なにかしら命の賛美したくなる。40日の大雨の後、ようやく土地を見つけ、あらゆる動物たちと箱舟を降り、お互いの命を祝福しあった旧約聖書のノアのように。

 昼から、滝、泉へ行く。
 もううれしいような水、水、水
 鳴り響く滝。
 こんこんと湧くだけで足りず、ほとばしる泉。

 ああ、うれしや水。
 動画をご覧ください。我が町の自慢の(?)『江川水源の泉』。『水神の滝』

執着のこころが消えるとき

 ブログで知ったが私のPCのお師匠さんの車がへこみ、10万かかるかもしれないとのことで文字通りお師匠さんもへこんでいました。

 物を所有することは執着心も生まれることで誰しも同じ。いつまでもまっさらぴんぴんであって欲しい。壊れずに永続してほしい。当然のことです。
 しかし、そううまくいかないのも世の摂理、傷はつくわ、ぶっ壊れるわ、時として嫌嫌自分の所有から離れることもあるかもしれません。

 しかし、まあ、執着の心は残るにしても、仕方ないこととして、受け入れ、やがてどこかへ忘れ去られる、あるいはあきらめるのが大体の人々。

 お師匠さんも合理的で常識人だからやがて平常心になるのは確実。

 振り返って、私をみると、どうも執着心が異常にあるような気がします。執着心は誰しもあることながら、非合理的に、非常識にそれに固執すればこれは「執着」から「偏執」になる。そしてそれが増々嵩じれば「反・非社会的行動」になり、犯罪にかぶさってきます。
 私の場合そこまでは行きませんが、「偏執」に近い執着を見せるのではないかと思ってしまいます。

 私の今一番の所有財産で執着のこころが強いのはPCです。買って一年にもなりません。
 ところがこいつ、思うようにならないのです。もう複雑すぎて、心配ばかり、細かいこだわりが捨てられません。
 結局、こいつを所有した時からついてくる執着が離れません。のぞくと心配のカタログ、
 「なんで、グーグルアースのアイコンが勝手に消えたんだろ」
 「なんでかってに100メガものプログラムがつい最近インストールされたんじゃろ」
 「これはきっと悪意あるビールス感染じゃ」
 「これは製造段階から、根性悪のソフトが仕込まれたんじゃ」
 「はずれの粗悪品のPCを売りつけられたんじゃ」
 などなど

 所有は本来財産が増えることで幸福度が上がっても不思議でないが、所有することで執着心がついてくるといっそ苦しむことになりかねません。

 と、このような方向に所有をマイナスにとらえることが、私の執着心の異常さかもしれません。

 モノを放下(ほかす)することで、所有から離れれば執着も当然消えますが、こんなことできます?
 できませんわな。

 でも、ブッダ、やキリストなど偉大な宗教者は、モノに執着してはならないと教えてるみたいですね。しかし、後の教団なんか物凄い財産を所有してますから、これってどうなんでしょう。
 宗祖は別としても、教団は、モノへの執着心を捨てなければならないと思いつつ、現実できないヒトといっしょですね。

 しかし、人はいつか死にます。格言に

 「あの世へモノは(金など)持っていけない」

 というのがあります。
 だから歳がいき、体も衰え、だんだん死に近くなってくると所有を離し、執着心もだんだんなくするのが理想かもしれません。
 執着心がゼロになったときが死であるとともに「涅槃」であり安らかさの極地というのはちょっと魅力的な死にかたですね。

 でも所有を放下(ほかし)たとたん、誰かの所有に帰し、誰かさんの執着がまとわりつくのは

 『許せん!』

 という執着はもっとも固執度が高いようで、執着の心が消えることはなさそうです。

2011年5月29日日曜日

塵芥(ちりあくた)が流れていく

 今日は一日雨、夜に入っても降り続いている。暗くなって少し弱くなったが明るいうちは大雨であった。
 先ほど夕方のローカルニュースでこの地方は降り始めから今夕まで230mmの降水量と言っていた。12月から3月までの4か月間の合計に匹敵する以上の降水が一回で降ったことになるから、災害も心配されるほどの大雨である。

 被害は出て欲しくないが、これくらいの量の雨を実は待ち望んでいた。冬から春にかけて降水量の少ないのは毎年のことだが、初夏になっても雨量は少なく、いつになく少雨傾向が続いていた。

 水は生命の源である。その供給のもとである降雨は本来は関心事である。しかし、最近はいついかなる時でも蛇口をひねったら水が出てくるとみんな思っているから、少雨でもぜんぜん気にしない。

 でも私のまわりでは少雨傾向の影響が目にみえて進んでいた。
 私の家は江川に面しているがこの川に水が流れなくなってもう半年になるのではないか。去年の秋の終わりには流れるほどの水は無くなっていた。それ以来下流までの流れの帯は途絶え、河床には原野のような丈の草が生えている。
 
 江川の水源の「泉」もだんだん湧く水の量が少なくなり、干上がる寸前になっていた。
 山際の「水神の滝」も白い飛沫を見せながら滔々と流れ落ちるのが本来であるのに、情けないほどのちょろちょろ水が落ちるだけとなっていた。

 自然の水の循環はまことに危機的な状況になっているのではないかと最近思っていた。人々は蛇口から水さえ出れば、そんなことは気にしなくなっている。

 ひそかに私は思っていました。

 「被害が出ない程度に、ここらで大雨があってくれないかなあ」

 竜神さんが私の願いに応じてくれたのか、230mmをこえる大雨。川も泉も滝も生き返るだろう。

 鳴るは滝の水

 湧くは泉の水

 流れるは川の水

 うれしやみず ていとんとうと鳴り響け

 昼過ぎ、大雨の中、列車で鮎喰川の鉄橋を渡った。下を見ると、川幅一面に泥色の濁流が渦巻き力強く流れている。
 一時期死んだ鮎喰の川もこれでよみがえる。
 
 そして夕方、我が家の前、道路すぐ下の汀まで、いっぱいたっぷり流れる江川が
 雨水はめぐみをもたらすが、「水に流す」という言葉があるように、嫌なこと悪いことも流してくれそうである。
 見ると塵(ちり)、芥(あくた)も流れていく。人の心の塵芥も流れていけ。

2011年5月28日土曜日

こんどは台風か 

 今日は一日雨。雨に降りこめられている。外へ出たのは昼ごろ買い物に行ったっきりでひきこもり状態。
 湿度も高そうだが幸い気温がそう高くないため不快指数の上昇はなく、机をはじめとして家具、畳がジトッ、ベットとするが家にいる限りは快適に過ごせる。
 たまの雨は心身に変化をもたらしいいようだが、それも数日に1日ぐらいが適当なところで、うっとうしい雨ばかり続くと憂鬱になる。天気予報を見るとあと数日雨空が持続しそうである。

 いつもなら5月末は、「梅雨の走り」といわれるぐずついた天気がつづく場合もあるが、今年はもう前倒しで、予行演習の「梅雨の走り」はなくいきなり梅雨本番となった。
 おまけに台風まで前倒しで襲来していて日曜の夜に最接近とのことで、心配である。

 春に地震の大災害で、今度は夏になる前に、大雨・土砂災害、台風被害の心配である。これは日本列島に住む以上避けられない宿命である。背負いつつ最善の対処、策を講じるしかない。

 雨にふりこめられぼんやりとPCをいらっていたら、ふと、

 「台風と地震、どっちも大きなエネルギーを持った災害じゃが、どっちが大きいんだろう?」

 と疑問が湧いてきた。さっそくウェブで検索した。(こんな時、インターネットはほんとに威力を発揮しますね。以前だと、ゴゾゴゾと本の堆積の中から調べまわらなければならないから、時間が多くかかった。今だと、あっという間)

 「さて、みなさん、どっちが大きいと思います?」

 まあ、比較上どちらも超弩級、地震だと今回のM9クラス、台風だと超大型としておきましょう。

 「う~ん、地震の方が破壊力があるし、津波も起こすし、当然死者も多い。地震かなぁ~?」

 「ちょっと、待てよ。地震は1分もしないうちにエネルギーの放出は終わってしまう。しかし、台風は何週間にもわたって成長~最盛期~衰退期、でエネルギーを維持しつつ小出しにエネルギーを放出する。もしかしたらこちらが大きいかもしれないなぁ」

 調べた結論から言うと、台風のエネルギーの方が2ケタくらい大きいのです。
 ただ、地震のエネルギーは運動エネルギーが主です。それに対し台風の場合は運動エネルギーより熱エネルギーの潜熱(水蒸気が雨になるときに放出される熱エネルギー)の方が主です。それが前に言ったように何週間にわたって小出しにされます。
 したがって台風より破壊力では地震の方が上回っているようです。

 とはいえ、過去の台風では(伊勢湾台風のように)数千人の被害者をだしたのもあります。また、台風は一年に何度もやってきますし、毎年のように来ます。そのたび何らかの被害が出ます。
 それらを総合して考えるとどちらも破壊力では優劣つけがたい気がします。

 この日本列島、巨大台風の通り道であり、かつ、多発する大地震の巣でもあります。こんなとこ世界中にそうざらにありませんよ。
 アメリカ東海岸は確か台風並みのハリケーンが襲いますが、地殻は安定していて大地震はない。大地震の多いチリにゃ台風はない。

 「なんて、因果な場所に日本列島は位置しているんだろう。」

 付け加えると、日本列島のすぐ横を世界最大の熱エネルギーと潮流の運動エネルギーを持つ「黒潮」が流れています。
 そして上空にはこれまた強い運動エネルギーを持つ偏西風の流れの帯「ジェット気流」が流れてます。よそでは見られない強い流れと言われています。
 そして、大阿蘇をはじめ、火山もてんこ盛り。やがてバカスカと・・・

 「日本列島って、世界の自然エネルギーのパワースポットじゃないのかねぇ~」

 「こんなすごいパワースポットに暮らす我ら、なにかわからない潜在能力のポテンシャルも他民族に比べ大きいと思いませんか?」
 「そうでもおもわにゃ、やっとれんわぁ~!」

2011年5月27日金曜日

雑節、雑感

 季節が変わったことを実感できるのは一日や二日ではちょっと無理があろう。これから夏に向かっていくが、右肩上がりに気温は単純に上昇するものではない。前日より気温が低い日があったりして、小さな気温の変動の波を繰り返し全体として徐々に平均気温が上がっていくものであろう。

 一日や二日では無理としても何日ぐらいたてば体感的に、
 「あ、季節が変わったな」
 とわかるものであろうか。暦には「二十四節気」というのがある。黄道を24等分してそこを太陽が通るときに各「節」を入れている。「夏至」とか「大暑」とか、この24の「節」の日を季節の変わり目の目安とするのは昔から行われてきた。一年を24等分するから、大体次の「節」まで15日とちょっと(一日にもならない半端な数)である。

 15日たてばかなり明確に季節の推移がわかるものであろうと設けられた。
 この二十四節気は中国の暦から作られたもので、黄河中流域の中原地方が基準である。

 この地方は春~初夏~そして夏へと徐々に季節は推移する。
 しかし、我が日本では春~初夏~、この次に「梅雨」という特徴のある季節を持っている。だから、そのまま二十四節気を持ってきてもこの季節は合わないということになる。そこで24節気以外に日本の季節に合わせ特別の「節」を入れた。
 『雑節』である。

 いくつかあるが、「入梅」もその一つである。360度を24で分割すれば30度になる。だから黄道分割の30度の倍数が24節気となる。
 「入梅」は雑節であるため、30度の倍数にはならない。春分を起点として80度の黄道を太陽が通過するのを以て「入梅」の節としたのである。
 暦では6月11日頃である。これは本州を基準としたものであろう。

 昨日わが四国地方が梅雨入りした。平年より十日以上早いそうである。近年、異常気象なのか梅雨入りは早まり、梅雨明けは遅れる傾向があるといわれている。
 24節気は動かすことは無理だろうが、雑節は日本の気象に合わせ臨機応変に作られたものであるので、統計的に早まりが常態化したならその平均日を持って「入梅」としてもいい気がする。

 今日は気温は少し低いが、いかにも梅雨を思わせるじとじと雨の一日であった。

 少し街を歩く。
 わが町、前にも紹介したが、インターネットカフェがある。
 「田舎町なのにすごいでしょ。」
 その前を通ると、なんと!お年寄りをインターネットカフェに呼び込む「立て看板」がある。青少年だけ相手ではこんな片田舎では無理と思ったのか、お年寄りがターゲット、
 やまさんもお年寄り、つられてフラフラ入ろうとしたが、小銭しか持っていないことに気づき
  「や~めた!」
 拡大してみてください。PC前のこのイラスト、どう見ても老夫婦。
 
 この「高級マッサージ器使い放題」も年寄りには魅力やわ~
 
 私、インターネットカフェはまだ入ったことがない。こんなか、女給さんや、メエドはんがおるんかなぁ?初体験しようかな。
 「ドキ、ドキ」











もう一つ雨に濡れた「ポスター」が
わが町の美郷地区のほたる祭り。明日から、駅から無料バスも出てます。
 みなさん、いかが。









最後にうっとうしい梅雨空を吹き飛ばすような「黄色い薔薇」。もともとバラには黄色はなかった。品種改良のたまもので20世紀になってやっと出てきた。  

 幸福が呼び寄せられればいいな。

2011年5月26日木曜日

ゲンタとデンコのよい子の科学~ほうしゃのうの話~、ほう、ほう、ほうじゃの~

 今日はゲンタとデンコさんに先生になってもらって小学生・中学生むきの放射能の話をしていただきます。
 しかし、先生というより、おバカな漫才コンビが似合うお二人ですから、有意義なまとまりのある話ができるかどうか疑問です。
 まあ、これも、言いたい放題のボヤキとして捉えた方がいいんじゃないかと思います。
 科学知識も専門家から見たらかなりあやふやなところもありますが、とりあえずご登場願いましょう。


ぷんぷん!

なに?なんなの、ゲンタ、怒ってるの?


最近のニュースのことです。放射能のこと。あれじゃやまるで放射能を「悪魔視」してますよ。むやみやたらと恐怖を煽るもんで、日本列島が放射能悪魔教のオカルト状態。まあ、じじいや、ばばあはほうっておくとしても、将来をになう青少年に悪影響が出ないか心配しているんだ。
よくいうわよ、あんたが原子炉の緊急冷却に失敗したからこんなことになったのに、反省はないわけ?実際、放射能が漏れ出て、それって体に悪影響するんでしょ?

いや、それも含めて、はたして客観的に冷静に放射能のことを見れているか疑問なんだ。こんな時だからこそ、僕はお願いしたい。小学生・中学生に放射能についての科学教育をうんとやって欲しいと思うんだ。
 このままだとわけのわからない恐怖だけが青少年の心に残りゃしないか心配なんだ。
それって、放射能について、科学的に教えろって言うことでしょ。そうすればいいんじゃない。

いや、科学的に教えればそれでいいってもんじゃない。もちろん科学知識は必要だけれど小・中学生にはそれ以上に科学に対する「ロマン」を植え付ける教育をしてほしいんだ


なに?放射能にロマンなんてあるの?

いや、放射能が切り開いた原子のロマンなんだ。小中学生の科学教育からロマンを取ったら絶対ダメなんだ。

ロマンねえ。男って意外とロマンチストなところがあるのね。でも、文学的すぎない?これ科学教育でしょ。いくらガキ、いや違った、小中学生相手でも。

ねえ、ねえ、自分が「電気」として誕生した時のことをよく考えて御覧。
古代ギリシャで琥珀(コハク)を暗闇で絹や毛でこすったとき、スパークが飛び闇に青白く光ったでしょ。銀の匙をくわえこすった琥珀を近づけたとき、火花とともに口に電撃・痛みが走ったでしょ。
 摩訶不思議な現象で、初めは霊的な現象だと思われ、人々を不思議がらせた。古代ギリシャ人にとって大いなる興味の対象となって「電気」というのもの探求が始まったんだ。それは摩訶不思議なものを極めたいというロマンから始まったといえないかい。
そうそう、そんなロマンから私が誕生したんだわ。
じゃあ、放射能の始まりにもそんなロマンがあるわけ?

それは「ラジューム」の発見から始まるんだ。
 19世紀、科学者はメンデレーフの周期表の空欄になってる元素の発見に血道をあげたんだ。単体抽出は無理と思われていたアルカリ金属(Na,Kなど)もデンコさんの力を借りて、具体的には発明されたばかりの「電池」を使った「溶融電解」によって、銀白色に輝く金属として発見された。それが19世紀初め。
 そして19世紀も終わるころには重金属の新元素が続々発見されるんだ。この発見のインパクトが人々の想像力、ロマンを掻き立てたのは、今の新素粒子発見になぞらえられるね。
 そして「ラジュウム」が発見されたのは、もうあと2年で19世紀も終わろうとする頃だったんだ。
ラジューム発見がロマンなの?


そう、その発見がロマンの扉を押し開いた。
ラジュームそのものは銀白色の金属で普通の重金属の元素と思われるけど、それは驚くべき性質を有していたんだ。
その単体の元素がそれのみで、常識では考えられない強いエネルギーを発していたんだ。
こんなことは他の元素では考えられない。
 たとえば「鉄」、ここに鉄玉があるとする。これはそのままではエネルギーなど発しない。
 外部から1000度近い熱を与えてやると、真っ赤に灼熱してしばらく(外気温と同じになるまで)熱光エネルギーを発する。
 もう一つは鉄粉にして酸素で燃やせば花火のように派手に燃え、やはり熱光エネルギーを発する。
 つまり、「鉄」がエネルギーを発するためには、
 1、外部からエネルギーを与え、高いエネルギー状態にしてやる。
 2、化学反応によって外部にエネルギーを発する。
しかし、ラジュームは何もしなくても延々、エネルギーを外部に向けて放出し続けるわけなんだ。
 これは、19世紀のエネルギーの認識では考えられない摩訶不思議な常識を疑う現象だったんだ。
 「この、エネルギー、どこから来ている?どこといったって、本体(元素)内部しか考えられない。どこに、こんなエネルギーの源があるんだ?わからん????」
 みんなこんな疑問を抱いたと思いますよ。
ちょっと、ゲンタ、ゲンタ!
あんた、アホと思っていたら、ずいぶん難しいこと言うじゃないの。
ラジュームが出す、そのエネルギーってどうゆうこと、延々エネルギーを他に依存せず自分が出し続けるって、それ夢の永久機関エンジンじゃない。
 もっと具体的に言ってよ。
例えば、氷をそばにおいてやると急激に解ける、これは熱エネルギーが出ている。蛍光物質をおいてやると励起され光を発する。これは光エネルギーとなる。

えー、なんかちまちましたエネルギーなのね。実験室が白熱して燃え上がるエネルギーじゃないのね。

女の子なのに恐ろしいこと言うね。問題はエネルギーの大小でなく、収支の合わないエネルギーが、半永久的とみられるほど延々放出されるという、不思議、疑問なんだ。エネルギー保存の法則、不滅の法則が危機になるかもしれない大変なことなんだ。

あ~、もどかしい!結局、そのエネルギーはどこから来ているの?


さあ、それが謎で、まさにロマンなんだ。
どう考えても、元素の中、この時代まだ構造も明らかではない、原子そのものから発しているとしか考えられない。
「なんで、こんな強力なエネルギー源が原子の中から?」
この時代、まだ、アインシュタインの「エネルギーと物質が等価である」という法則は見つかっていないから、なぞ、ロマンは深まるばかり。
 しかし、科学者の中でもロマンチストは考えただろうな~、これはきっと、将来有益に使われる、宇宙的か原子的か、名称はまだどうでもいいが、根源的エネルギーかもしれない。と
だから、ああん~、どうなのよ?

にぶいなぁ~、ラジュームから延々発せられる目にみえないエネルギーの放射が・・・・・
『放射線』であり、その能力を持つのが『放射能』なんだ。
 その発見は従来とは格段に違う大きな原子力の最初の一歩と言ってもいいだろう。
そういえばその発見から原子物理学がより発展したと聞いたことがあるわ。

放射能・放射線は20世紀の科学の(量子力学、)扉を開けた案内人なんだ。
不思議なエネルギーの放射、そしてそれを発する元素、人類の前にそれが現れたとき、我々は果敢にそれと格闘し、その本質を確かめようとしたんだ。
 だから、今、むやみに青少年に放射能は恐ろしいものという、先入観を植え付けて欲しくないんだ。
 科学的な知見を持ち、危険は危険と認識するのはもちろんだけど、もっとロマンを語って科学を小中学校で教えてほしいな。
ロマンで飯は食えんわ。
学校はもっと有用なこと教えてほしいわ。
ロマンなんか重要でないわ。

結局、それかい!
ああ、お前と話していても徒労じゃ、ワイ、もう寝るわ。
 ほう、ほう、ほうじゃの~、それがええ。

地域限定のダジャレをいうな!

2011年5月25日水曜日

古い映画のポスター展

 近くの図書館へ本を返しに行ったら、昔の映画館のポスター展をやっていたので見た。
 昭和30年代、映画全盛の時代のポスターである。
 ポスターは極彩色であるが、この時代、人気の映画以外は邦画はほとんど白黒フィルムであった。
 カラーの映画は、この時代、とても贅沢で、それだけで「呼び物としての目玉」になりうるものであった。
 そして、カラー映画は特にポスターに次のように
わかるでしょうか?中心近くに『総天然色』と断ってあります。
 これが入ると楽しみ倍加のカラー映画でした。

 カラーは「天然色」と称したんです。じゃあ、天然色の前の接頭語の「総」って何?と聞かれそうですが、カラーフィルムが贅沢だったこの時代、盛り上がりの場面だけ、パッとカラーになる映画もありました。「一部天然色」、パートカラーです。

 懐かしい!この映画。小学校の時の大人気シリーズ映画でした。
 この映画に胸躍らせた小学生は今、私と同じ60歳以上のおじいちゃん。


今、このポスターが貼られていた昭和30年代の全盛時代の映画館で現役残っているのは、わが県では貞光の映画館のみ、全国的にも非常に少ない。
 本ブログの4月15・16日にこの映画館のことを取り上げています。

 ざっと50本ぐらいの映画のポスターですが、それぞれの映画の主演者の名前を見ると、ほとんどの人はすでに鬼籍に。時代を感じます。
 この中の青春映画のポスターを見ると、ヒーロー長門裕之、ヒロイン南田洋子とある。後、夫婦となり数日前に亡くなった人である。
 しかし、往年の映画スターはある意味年を取らない。フィルムが残る限り、銀幕の中の姿は青春の輝きに満ちている。

2011年5月24日火曜日

夕景の緑

 昼過ぎても曇り空のままだったが夕方から快晴になり、斜めに射す赤っぽい西日が気温の上昇とこのところの雨で生き生きした木々の緑をハッとするほど美しく輝かせる。

 「夕方暗くなり、弱った西日が射すとき、なんでこんなに緑が美しくなるんだろう。」

 秋の夕日も黄や赤に色づいた葉をより一層鮮やかに染め美しい。しかし、これは夕日も赤っぽいため同系統に変化した紅葉をより際立たせるためだと推測がつく。
 
 ところが今は初夏、鮮やかな緑である。それなのに夕方美しく輝くのはなぜだろう。

 「夕日の赤と緑が補色関係にあるからだろうか。新緑の中の赤いツツジが目立つのと同じかしら」

 「それともプルキニェ現象だろうか」

 ※プルキニェ現象 色は網膜の視細胞で感知しているが、明るい場所では赤が鮮やかに遠くまで見え、青は黒ずんで見える。一方、暗い場所では青が鮮やかに遠くまで見えるのに対して、赤は黒ずんで見える。これは、桿体と呼ばれる視細胞の働きによるもので、人の目は暗くなるほど青い色に敏感になる。


 「これは暗くなってくると青色系統の色がより引き立つ現象である。そのためこの系統である緑、特に深緑などがめだってくることである。」

 ここまで考えて、いかにも私は詩人になれんなあ。と思う。美しさを生のまま感動とともに受け取れない自分に気づく。

 「なんで、美を素直に感じないで、すぐ理屈づけるのだろう。それも陳腐な理屈ばかり」

 生まれたばかりの赤ちゃんのように純粋で素直に、感動を受け取りたい。赤ちゃんは言葉を知らないから、外界を手垢のついた使い古しの「言葉」でごちゃごちゃ嘘っぽく表現することもなく、ホントに自分の美の表象を持てるに違いない。
 「言葉」にした段階でもはやその「言葉」の一般概念にすでに囚われてしまっているのではなかろうか。

 詩人はそんなこと百も承知だろう。だから「言葉」に自分なりの意味を新しく付与し、常に斬新な言葉を紡いでいくのだ。
 詩人は既成の言葉に戦いを挑み、血を流しながら、自分の言葉を生み出しているのだ。たとえ同じ「さくら」と云ったって、詩人のそれは我々と違う言葉かもしれない。

 美しい言葉を見目良く並べる「詩人もどき」はたくさんいる。それなりにうまい詩を書くだろうが、はたして既成の言葉や理屈にとらわれず超越した詩の言葉で書かれているのだろうか。

 あああ、私が詩人であったなら、この夕景の美しい緑を皆さんにお届けできるのだが・・・・・・・。
 

2011年5月23日月曜日

雨が降ります

 昨日までは、日中は暑いくらいの陽気だったのに今日は一転昼になっても気温は上がらず、20度以下。おまけにしとしと雨が一日中降り続いている。

 外に出て湿気に当たると今日は震える。傘をさしては散歩もしたくない。
 子供の頃の童謡の詩が浮かぶ。

雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた

 さすがに傘がないことはないが、ゴム長靴などはない。こんな小雨、ズック靴でもいいんだろうけれども数年前に買った980円のズック靴、底の摩擦のゴムが擦り切れ、つるつるした路面だとすべり転ぶ。おまけにあちこち破れているのか雨が染み込み、靴下が濡れる。適度に蒸れ湿気た靴の中は、肥しと同じ匂いをまわりに発散する。

 そのため童謡の詩と同じ心境だ。一言「レ・ミゼラブル」(みじめ~)
 
 さっきちょっと買い物に出た。水たまりを気にしながら傘を差し靴下の濡れを不快に感じながらヒョコヒョコ歩く私の横を、快適なエアコンをかけ、車が水しぶきを跳ね上げ疾走する。

 アメリカや日本では車など庶民の足で大多数がもっているが、それでも持てない人もいる。アメリカでは超貧困層に数えられる人である。日本は過密の都会地では所得と関係なく持たない人もいるようだが、日本でも貧困者かつ高齢者は持っていない人がたくさんいる。

 快適な車から雨の中、しおたれながら惨めったらしく歩く人はどのように見えるのだろうか。
 ここは1000年前の貴婦人清少納言さんに聞いてみましょう。随筆にちゃんと書いてありますから。

 この当時の車はご存じの「牛車」。4人乗りくらいで、ゆっくり、文字通り牛歩で牛がペカペカ歩き車を牽きます。
 彼女は参詣に牛車に乗って出かけています。その横をビンボー人の老人が喘ぎ喘ぎよたよたと同じ参詣の道をゆきます。
 そこで彼女、

 「あ~、貧乏ったらしいたりゃありゃしない。あいつらまで同じ寺に参詣するなんていやだわ~。」
 「できるなら、引き倒してやりたいきもちだわ~」

 さすが清少納言さん、率直に書いてますね。今だと、思っても口にももちろん文にもできまへんわな。

 ハンドルを持つと人格が変わり、短気、凶暴になる人がいると聞きますが、清少納言さんは、いまドライバーやったらきっと悪いように変わるんでしょうな。

 夕方になっても雨、近くの公園を少し散歩する。
 雨で人はいない。この地方の狸の民話をもとにした狸の石像がさびしそうに雨に打たれていた。
 
 石像の横に手で触れると民話の解説が流れる仕掛けの金属のセンサーがある。雨に濡れてONに入りっぱなしになっているのだろう、エンドレスに延々解説を繰り返している。誰も聞く人のいない公園に流れる繰り返し音声テープはよけいに雨の日の憂鬱を醸し出す。
~~きれい好きの狸は、3年もお風呂に入らなかった独り者のシンペイさんのことを心配し、だましてお風呂に入れてあげ、背中を流しました~~








~~ある夜、ドンガン、ドンガン、狸囃子が聞こえてきます~~











そして今、5時過ぎ、夏至まで一カ月もない頃だが雨が降り続いているため、すでに暗くなってきた。まだやみそうにない。童謡「雨」の詩の最後の節と同じ。

雨がふります 雨がふる
昼もふるふる 夜もふる
雨がふります 雨がふる

2011年5月22日日曜日

食べ物の話 2題

りゅうきいも 
 りゅうき芋ってなに?という人がいるでしょう。今このように言って意味が通じる人がどれくらいいるか疑問ですが、私が子供の頃はこのような名称が我が地方では一般的でした。

 私が子供の頃は農家の比率も今と比べればうんと高く、この作物はどこでも作られていたので、みんなこの呼称を使ったと思います。正式名は「琉球芋」(りゅうきゅういも)、わが地方では訛ったのか皆、りゅうきいも、と呼んでいました。単に「芋」といえば「里芋」のことでした。

 近世、琉球地方から伝わったと思われていたため、琉球芋と名付けたのでしょう。サツマイモのことです。

 昨日、方ノ上へ行った帰り農産市で一袋100円で、小さないわゆる、りゅうき芋がたくさん入ったのを買いました。
 家へ帰ってオーブンで焼いて食べたが

 「これはうまい!」

 皮が少し焦げるぐらいがおいしいようです。一応、皮をむこうとしたのですが、上手くむけず、パリッと焦げた皮ごと食べたがそのおいしいこと。表面部分は少し硬く、香ばしいですが、中の実の部分はほくほくして、とっても甘く、小さい芋だから焼き芋のおいしい部分が占める比率が高く、3つ焼きましたがぺろりと平らげました。

 たくさんあって100円。そしておいしい。小さな幸福感でいっぱいになります。
 一週間ぐらいおやつにできる量なんですが、あんまりおいしいので3日くらいで無くなりそうです。

 「あああ、5袋くらい買っとけばよかったなあ。」

スパゲッチ 
 夜ご飯にするためスパゲッチを茹でました。
 レトルトパックのミートソースを買っているので、それを半分かけ(2~3人分とある)、粉チーズをふりかければ出来上がり、簡単でそれなりにおいしい。

 りゅうき芋のおやつも100円で安かったが、このスパゲッチの乾麺も一袋100円。
 その半分だけを使い茹でたところ、

 「うわっ~、なんじゃこれ」
 
 3合炊きの電気ガマの器一杯できました。数回分たっぷりぷりぷり。しばらくスパゲッチが続きそうです。

 子供の時から貧困家庭で育ち、いまだ貧困とは仲のよいお友達のやまさんの食卓、むかしから「炭水化物過多」の食事が多い。
 それにしても
 「おやつはイモ、食事はスパゲッチ」
 「これ、どうよ」
 
 話変わるけど、みなさん、スパゲッチの乾麺、よ~くご覧になったことありますか。

 「非常に硬質で緻密ぅ~」

 ていう感じです。昔、理科の実験で使った「ガラス棒」のように固く、金属質とまではいかないが何か結晶質、半結晶の物質みたいで、2本を互いに打ち合わせれば「キコーン」と音がしそうです。

 ある程度の太さがあれば、先っちょを尖んがらせて、キリのようにすれば、これ、絶対、凶器になりますよ。
 「必殺仕掛人」の映画のように被害者の首の後ろのいわゆる「ぼんのくぼ」にブスリ、コロリ、で、あと茹でて、いただけば凶器は完全消滅。完全犯罪じゃ。

 などとロクでもないことを考えつつ食べました。

2011年5月21日土曜日

北山町~方ノ上~植物園のサイクリング、ヤッホー

 人として生まれた以上は、何かでナンバーワンになりたいと思うのは人情である。でも、能力や自分が作った「作品」で一番になれる人はごく少ない。天才や超絶した名人には努力以上に持って生まれた天賦の才が必要となる。

 われら凡夫は如何に努力してもナンバーワンにはなれないのだろうか。
 「いえいえ、そうではありません」
 「ほれ、ほれ、あの~、ギネスとやらの記録!」

 これらの記録は凡人が努力すればナンバーワンになれるものが多い。
 しかし、まあ、たいした記録ではない。
 「でも、一番は一番。」

 とりあえず、肥溜めにでも一日浸かっていれば、たぶんそんなことやった人はいないだろうから、ギネス記録世界一になるんじゃなかろうか。ギネス認定以前に新聞種になり大騒ぎになるかもしれないから有名人に(かなりアホな)もなれる。でも、アンモニアやインドール、スカトールなどの鼻が曲がるような悪臭で一日は無理か。一時間でもギネス記録かも。

 まあ、ナンバーワンになりたければ、さがせば何か自分にできることがあるということです。

 さあて、ところで、そのナンバーワン、特に自然物などにあると観光の呼び物としてはもってこいです。
 透明度日本一の
 「摩周湖」
 水深の深さ日本一の
 「田沢湖」
 湖の美しさも相まって観光客が引かれてやってきます。

 これと真逆のナンバーワンだったらどうでしょう。
 不透明度日本一の湖。日本で一番浅い湖。
 他にも考えられます。日本一短い川など。

 しかし、この場合、「湖」や「川」が定義されていなければなりません。その上で認定されなければなりませんが、このような「ピンからキリ」のキリの方のナンバーワンはどんぐりの背くらべのように似たものがたくさんあって認定が難しそうです。また下位一位のものは変動が激しい気もします。
 だってそうでしょう?一番短い川だの一番小さい湖だの、大雨で順位が入れ替わってしまうでしょう。

 しかし、おらがお国では、このような艱難辛苦を乗り越え、見事、キリの方の一位を認定され。観光で売り出しております。
 エベレストや富士山ほどは有名でないのは残念ですが、
 それは、

 「日本一低い山」 

 今日、また自転車にまたがり行ってまいりました。そして「初登頂」もしてまいりました。
 中央の木が盛り上がったような部分が日本一低い山、麓に(大げさな言葉じゃ)
 立て看板が、6,1m。国土地理院認定とある。
 この地理院認定というのがミソ、なければただの盛り上がった自然地形、せいぜい「丘」で話は終わっている。(手前に見えてるのワイの愛車)

 この山、全山(これも大げさな言葉じゃ)厳島神社の御神域。頂上に「弁天社」があり、弁財天を祭る。だからこの山も名称は「弁天山」という。

 ここで
 「ん?」

 弁財天がご神体の社はふつう池の中の島のように水に囲まれた場所に鎮座している。御本社の「厳島神社」は広島の宮島という島にあり、なおかつ拝殿は海の中にある。
 でもこの弁天さんは陸の中の山の中。

 「おかしいなあ、こんな社もあるんじゃなぁ」

 山に登り、パンパン柏手を打ちお参りをすませ、山頂からの景色を眺めると、さっきの疑問が氷解しました。ただし、これは私だけの思い込みかもしれませんが。
 木々に隠されて見えにくいかもしれませんが、右の木の間から見えているでしょう。代掻き、あるいは田植えが済んだところで田の代に水が満々とたたえられています。水天(水面に空や地上のものが映る状態)が見えます。

 そうなのです。この山のまわりは水田ばかりで今の時期、ちょうど湖に浮かぶ小島のようなのです。(ちょっとオーバーか)
 水面に鎮座まします社を見て

 「納得!」

 せっかくここまで来たから植物園にもいきました。動物園のまだ奥です。
 カタカナ名のアチャラの花や植物が多く、日本在来種が少ない気がしました。その中で一番私の関心を引いた草花は

 これ「はまなす」。そばへ寄るといい香りがします。徳島の花ではありません。北国の海浜のイメージの花です。
 しばらく立ち止まり、北国の旅の思い出に耽りました。

 「潮かおる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇(ハマナス)よ 今年も咲けるや」  (石川啄木作)

 帰り、方ノ上の農産市で甘夏ミカン4個入りと、チビ琉球芋(りゅうきいも)たくさん入った袋のを買いました。150円と100円でした。
 家で食べたらおいしかったです。特にチビりゅうき芋は焼き芋にして(オーブンでOK)食べれば一週間は甘いおやつにできます。

 「安い、買イモンやったわ」

2011年5月20日金曜日

えっとぶり、川島駅の猫駅長

 川島駅へいったら、えっとぶりに猫駅長にあった。
 
 誰かに拉致されたという噂があり、しばらく見なかったので、本当に連れ去られたのだと思っていましたが、また舞い戻ってきたという噂もそれから聞きました。
 
 何回か様子を見に行きましたが会えませんでした。そして今日、駅構内をうろついている猫に会いました。

 「ほんまに、おまいは、フーテン暮らしじゃのぉ~」 と呼びかけると

 おなかがすいていたのだろうか、私を見て
 「ミニャニャニャ、ニャーン」

 と、えらい切迫した鳴き声をたてて飛んできた。高い位置にぶら下げられている袋から餌を出し、猫茶碗に入れてやるとガツガツと食べ始めた。

 しかし、さすが猫。犬と比べると上品ですわ。犬なんかは茶碗をなめるようにきれいに食べますが、猫は腹が減っていても、必ずといっていいほど、残します。

 しばらく私の足にじゃれ付いていて、それから駅の床にごろんと横になり、顔を洗ったり、毛づくろいを始めました。前見たときは妊娠中でしたが、腹はへこんでいるようです。乳首が吸われたようになっています。
  
 「子猫はどうなったんだろ。」

 聞いても答えてくれるはずなく、周りには子猫の気配はありません。
 何か月ぶりかで写真と動画を撮りました。
動画も見てください。