2012年6月30日土曜日

電気の話 しびれるわ~~


 磁気の場合、磁化された鉄の釘を竹筒などに入れて水に浮かべると北を指すことが古くから知られ、方位磁針(羅針盤)に利用されました。これは航海術の向上に非常に役立ったことはご存じのとおりです。

 では電気の場合どうでしょう。この場合、昔からよく知られていた摩擦電気(静電気)のことですけど、古代にその現象が注目されて以降、何か役に立ってきたのでしょうか。
 摩擦したものどうしの間で火花が飛ぶ。羽毛や髪が帯電した物に吸いつく、これらは不思議な現象を起こす見世物的なものとして扱われ、役立つものに利用されることはずっとありませんでした。

 摩擦電気の場合、帯電してもその電気容量は小さく、何かをなす(利用する)ことは難しかったと思います。
 皆さん、ガキの時分に摩擦電気(セルロイド製の下敷きで)で遊んだでしょうが、何か利用できましたか?上記のように現象を見て楽しむくらいだったのではないでしょうか。

 この状況が変わるのは18世紀の中ごろ、静電気をためる蓄電器、ライデン瓶が発明されてからでした。今日のコンデンサーと同じ原理です。蓄えられる電気容量は「鉛蓄電池」などと比べるとごく微量ですが、静電気の高電圧を蓄えることができます。
 ライデン瓶とは?ここクリック
 ライデン瓶の作り方は?ここクリック

 かなり簡単な装置ですが高電圧を蓄えられるため、科学的性質を究明するうえで役立つものでした。
 さて、ここからですが、ある日事故が起こります。ライデン瓶は静電気を繰り返し蓄えることができます。何度も摩擦電気を蓄え、恐らく限界くらいまで蓄えたんでしょう。実験者がその瓶をもって運ぼうとしたとき、その実験者に放電が起こります。持つ場所が悪かったんでしょうね。

 恐ろしい電気ショックがその人を襲い、以後、半年くらい半身不随になったそうです。普通の摩擦電気ではこんなことは起こりませんが、さすが高電圧を蓄えるライデン瓶です。このような半死に近いショックを与えます。

 しかしこのことはこの「電気装置」がある有用性を持つのではないかとの可能性を示唆しました。つまり、健康な人にショックを与え、恐らく神経系に障害を与え半身不随にするなら、逆にこれを適度に使えば、神経系の病気、麻痺している人などに効果があるのではないかということです。

 今日でも電気で刺激を与える電気療法は医学的治療に用いられていますから、この着眼は間違っていませんでした。
 そうなのです!歴史的に始めて電気が有用なものに使われた最初は『医学用治療器具』だったのです。

 この装置が欧州で治療に使われてから少しして、オランダから渡った装置を改良して、我が日本でもこの装置をつくりました。名付けて
 『エレキテル』
 作った人は万能の天才といわれている「平賀源内」
 下がその装置です。そして治療図

 さあ、ここからはやまさんの下ネタ妄想ですから、良識ある紳士淑女の諸君は以下、読み飛ばしてください。

 この電気ショック装置、卒中などで麻痺の多い江戸の人たちに施し、これが結構効いて評判になります。
 この装置エレキテルを神経麻痺、神経痛、肩こり、他、脳病・ある種の精神病、など神経系の病に使います。しかし源内は別の刺激に着目します。
 つまり、電気(当時はエレキといった)のビリビリ感は、性的エクスタスィーに似通っているのではないかということです。

 ここで平賀源内の性的嗜好をお話ししなければいけませんね。彼は言わずと知れた「男の子だ~~~い好き」のホモセクシャル。江戸芳町にある陰間茶屋、今でいうオカマバーの常連。またハードゲイも好きという、男となら何でもありのおおらかな(?)好み。

 こんな癖のある源内の手にエレキテルがあるのですから、単純に治療にだけ使われたと思うことには無理があります。
 さっそく若い男の愛人たちとその装置を試したに違いありません。科学的探究心の強い源内ですから、いろんな部位、強さを変化させ実験したでしょう。

 そして・・・・・・

 「おお~~っ!鼠蹊部にエレキショックを与えれば陰茎が本人の意思にかかわりなく勃起するぞ!」

 「陰嚢の裏あたりにエレキショックを与えれば、本人の意思にかかわらず射精するぞ!」

 という科学的知見を得ました。この装置を使いながら男の愛人たちと

 「しびれるわ~~」

 などを連発しながら楽しんだでしょうね。いや~~源内はん、エレキテルはすごうおまんな。

  よい子は真似をしてはいけません

2012年6月29日金曜日

海を見に行った


 来週から生活が大きく変わるので、順応するためにリハビリをした。リハビリといっても難しいことはない普通のことである。

●夜は早く寝る。
●朝早起きして、だらだらせず、起きてすぐ行動する。
●昼寝をしない。
●瞑想したり、白昼夢を見ない。
●目的もなくあちらこちらをウロウロしない。
●できれば、できればだが、家の内外を掃除する。

 
 これでいかに自分が今まで怠惰な生活をしていたかわかろうというもの。

 直近に働いた記憶を探ると、平成15年9月末まで働いた臨時の緊急雇用までさかのぼる、このときは観光協会だった。今が平成24年だから、数えると・・・

 「おお~~っ!およそ10年もまともに働いとらん!」

 しかし、3日後、『やまさん社会復帰公的支援プログラム』が始まる。公的支援のないほうが自由気ままだし、いいのだが、毎月の無償のお手当てと交通費を目の前にぶら下げられては、断ろうにも
 『先に、のどから手が出たわわわわ~』
 でもこれで半強制になったから社会復帰プログラムとしてはこれでいいのかもしれない。

 がんばろうとは思う、思うのだが、体のことや、社会生活での人付き合いで不安は大きい。今週はなぜか落ち着かない。夜も眠れない。

 こんなときは海を見るに限る。今日は沖の洲と吉野川河口へ海を見に行った。
 ぼんやり海を見て潮風に吹かれていると心がさわやかになり、不安もなくなるような気がする。

2012年6月26日火曜日

やねこい政府も困りもの


 日本の民主主義は戦後(昭和20年)から、などとたわごとをいう人は最近では少なくなったが、それでも大正・明治・江戸と強権的な専制主義の政府だったと思っているものが多い。

 江戸時代において政府の最高責任者は「老中」であったが、専制的な行政は行っていなかった。というか行えなかった。政策決定は合議制で、失政があれば罷免された。この時代、よく百姓の租税の苛斂誅求さをいう人がいる。しかし、税率はほとんど変わらず、もし、新規の税などを設けようと思えば、大騒ぎになり、その反動は老中に跳ね返ってくる。
 そのため増税の改革は難しかった。だから改革といえば税の増収に頼るのではなく、倹約、支出の削減に力を入れるのが普通であった。江戸の三大改革といわれる、享保・寛政・天保、いずれもそうである。
 しかし、倹約・支出削減では十分改革が行えないため、増税を言い出したら、上記の三大改革はいずれも潰れた。

 だから、今回の消費税増税などはおやめなさい、というのではない。問題は、江戸時代以来ずっと続いている「政府の脆弱さやねこい、と阿波弁では言う)」である。

 私は、「日本人は全体的に民度が高く、江戸以来、ある意味、民衆の意向を汲む形で政治が行われてきた。」と思っている。
 内閣制度が始まったのも、議会政治が始まったのも19世紀後半である。アジアでは初めて、欧州のドイツ、イタリアと比べてもそんなに遅れてはいない形で民主政治も始まった。

 もともと専制的な政治風土でなかったうえにこのような民衆の意向を反映させる政治が始まったものだから、内閣制度(1885年)発足以降、民衆の恨みを買ったり、意向に反する場合は、責任をとって内閣が頻繁に交代するようになった。

 そして、今、消費税改革法案で内閣がつぶれるかもしれない。こんな言い方はおかしいかもしれないが、たかが税制の改革一つである。みんな増税しなければどうしようもないことはわかっている。しかし、どうも、みんなは「消費税値上げ法案を通すなら、内閣の一つや二つに責任をとって辞めてもらうのも仕方ない」と思っているようである。

 税を上げた以上、財政の改革までやり遂げて欲しいが、言ったように日本の政府はもろくてすぐ潰れる。一つの重要政策をやるたび内閣がつぶれていては継続した一貫性のある政策などとれまい。
 日本近国の独裁国はおくとして、民衆の意向が政治に反映する欧米の民主主義先進国でも政府は最低4年は持つ。
 多少、人気不人気はあっても民主的な手続きによって選ばれた政府である以上、日本においてもせめて4年間くらいは続かないものかと思う。

 どうもまた短期で政府(内閣)は潰れそうである。

2012年6月25日月曜日

電気学習ノート 磁石を究極まで砕いていくと


 「磁気はいったいどこから来るのだろう?」

 これは原子レベルにまで掘り下げて考える必要があります。

 原子は原子核と電子から成り立っています。この電子は原子核の周りをまわっていると同時に自転(スピン)もしています。電子はマイナスの電荷をもつキャリアですから、それが運動すれば電流が流れ磁界が生じます。

 このうち、電子が原子核の周囲を回ることによって発生する磁界はごく小さくて、スピン(自転)による磁界の1000分の1程度です。したがって磁気の源は、電子のスピン運動にあるといえます。

 とはいっても、磁化されにくい原子の電子は原子内では通常はペアになって逆方向にスピンしているため、磁界を打ち消し合って外部に磁気を出しません。
 しかし、鉄などの一部の原子は、ペアを作らない電子をもっているために磁気が発生します。
 もっとも、これらの磁界は、かたまりとして見た鉄の中では、方向がバラバラで互いに打ち消し合うために、鉄全体としては磁性を示すことがないのです。もし、鉄に強い磁界を与えてやると、各原子が一方向に並べられ、各原子の磁界方向が一致し、鉄が磁化するのです。

 こういうわけで、この世に存在する最小の磁石とは、ほかならぬ「電子」なのです。
 また、原子レベルで見ると、+、-は陽子、電子というキャリア(ほかにイオン、ホールがある)がありますが、N, Sはそれを担うキャリアがないことがわかりますね。
 つまり、電気の+、-と違いN, Sは単極(モノポール)が存在しないのです。

2012年6月23日土曜日

今日のググルのロゴから


 今日はアランチューリングの生誕100年記念だそうで、ロゴがアルゴリズムゲームとなっている。わからないなりにやってみた。一つ正解すると(数字の並びが一致すると正解)ググルの6つあるロゴマークが一つ点燈する。6つ合えばよいのであるが、3つ正解したところでやめて、彼の業績を見た。
 天才数学者とある。アスペルガー症候群とも、この症状の人は数学的感覚が常人と違う人が多いから、天才的な数学者も現れるのだろう。

 ググルがロゴに取り上げるのもわかる。なぜならこの人コンピューター誕生に重要な役割をはたしたからである。

 業績はクリックで見てもらうとして、この人、ある意味、天才にふさわしく末路が哀れである。(天才に悲劇的な末路は似合っているのか!)
 同性愛でふんづかまえられ、刑務所か女性ホルモン注射かの選択を迫られ、(ホルモン療法を選んだみたいだ)最後はなぜか毒りんごを齧って自殺した。

 さて、ピューリタン(清教徒)的な禁欲主義が多いと思われる前世紀のイギリスだが、実は同性愛者が多い。同じ島国の日本も昔から多いから、よく似ているが、日本は大目に見られたり、許されたりするのと違い、イギリスはご法度である。とはいえ、男同士の固い友情を装えば、ガチガチの個室の多いイギリスの家屋、部屋で2人きりで何をしようがわからない。

 なぜイギリスに同性愛が多いのか、俗説はいろいろある。
 イギリスの若い男は美しく魅力あるが、女性は全く魅力がない。というのはどうであろうか?理由はわからないが、

 同性愛の土壌となったのは、イギリスの寄宿制度であるのは間違いない。上流階級の子弟は有名大学に入る前から寄宿制度の学校へ通う。その中で上級生が下級生を可愛がる。また同宿のものとして友情を確かめあう。その中から同性愛が生まれたとしても不思議ではない。

 これは戦前の日本の旧制高校の寮、寄宿制中学(旧5年制)も同様である。三島由紀夫の小説を読めばよくわかる。
 ただし、これは男ばかりの寄宿舎・寮での特殊な環境の為であって、社会人になれば女性に性的嗜好が向く擬制同性愛者が多い。しかし一定の割合で体質的に真性の同性愛者もいる。これらの少数派は社会人になっても、当然、全く異性に興味を示さない。

 チューリングもこのような人だったのだろうか。

 美男子の息子を持つ親御さん!寄宿制の学校へ入れるのは充分注意しましょう。て!、いまどき、寄宿制の中学校高校がどこにあるんじゃ!

2012年6月21日木曜日

花札?いいえ、道風、蛙に教えられるの図


 意味を知りたい人はここクリック

初歩電気教室 モノポール(単極)はほんとにないのか?


 今日はこのような仮想実験をして磁気について考えてみましょう。

 電気と磁気のもっとも大きな違いは、二極ある一極を単独で取り出す、言い換えれば単独で存在するか否かです。

 棒磁石ってありますよね。小中学校の理科室でお目にかかりましたね。磁石のお勉強に使われ、磁極がNとSの2極あることをよくわからせるため、このように棒磁石の真ん中で色分けしています。
  これはかなり子供には誤解を与えるものです。
 なぜって?子どもは真ん中でポキリ折って別けると、NとS極が全く単体である磁石が作れそうな錯覚に陥ります。

 しかし、実際は、ポキリ折って2つにした瞬間、やはり端の方にN,Sの二極ができます。もう一度折っても同じこと。

 帰納的結論から何回繰り返しても同じになることは予想されます。

 じゃあ、これを繰り返し、これ以上分割できないところまでいったらどうなるか?
 原子レベルの話になると・・・・・・
 もしや、モノポール(単極)が存在するのではないか?

頭の体操です。ちょっと考えてみましょう。続きは次回のブログで。

今日は一日雨だ。


 先週は家の前の川は全然流れていなかったのにここ数日の雨でこの通り。今、朝九時すぎだが強い雨が降り続いている。予報では明日までこのような調子だ。

 降り続く雨は嫌なものと思うが、世界の天然資源の中でこれから重要になってくるのは、きれいで多量の水だ、といわれている。

 大陸諸国の枯れた大河、汚染された大河、乾燥化で水がない、などのニュースを聞くと、山紫水明、どこでも美しい水があふれている日本は水に関し、オアシスのような楽園ではないかと思う。

 山は緑に覆われ、今日の雨をしっかり保持し、水を絶え間なく豊富に供給してくれることだろう。

 緑豊かな山に行けばきれいな水が流れる谷川、小滝、そして泉。すべて多量に降る雨がもたらしてくれる。聖書の『エデンの園』と同じ風景である。

 雨にふりこめられて今日一日憂鬱だが、そんなことを考えてみる。

2012年6月20日水曜日

下調べ


 Jメイトでのパソコン講習を終えてから、ほぼ一年半、仕事もなく、かといって何か価値のあることをするでなく、このまま歳とともに枯れて消え去るか、と思っていた生活が来月から大きく変化する。

 もう一度チャンスをやるから、最後にひと花咲かせてみなさい。という天のおぼしめしだろうか。

 いつまでも人間やり直しがきくのだったらいいが、高齢になって若者と同じようにやり直しはきかない。体力、気力もあるが、いつ病気になるかもわからないし、若者のように未来が長いわけでもないし、また思わぬ終焉を迎える確率も高い。

 しかし、チャンスは与えられた。ここはそれにかけるのが妥当な選択だろう。私の場合、最も気がかりなのは健康である。病気のため挫折、という悪夢が払しょくできない。
 おそらく入校日は迎えられるだろうが、修了日までの半年は長い。
 不安を抱えての船出となるであろう。

 今日は学校までの交通手段を調べるため、駅から往復した。まず駅で時刻表やバス定期代を調べた。そして3つある路線を確認し、今日は自転車で走ってみる。

 昭和町の道路は自転車で走るには危険である。私は駅から自転車で通学する予定だったが、今回は、うれしいことに列車代、それとバス代の手当てがでるので、バスの定期で通学することにした。危険な道路(歩道がない!)を自転車で通らなくてよくなったので安心である。

 学校のまわりは、工場地帯でコンビニ、喫茶店、食堂、店がない。こんなところである。


 何もないところだから、お昼は弁当を持ってこなければならないのだろうか。学校の人に聞くと、業者が弁当を売りに来るそうだ。360円のと450円の2種類。
 自家用車通学の人は外食ができるかもしれないが、バス通学のものでは無理である。

 学校の敷地内は緑や花は少なく、あまり憩いになる場所はない。すぐ近くが海だが、海も見えない。

蔵本駅はツバメの公団住宅

駅のあちらこちらで巣作りをし子育てをしている。一度目を終えて二度目の子育てに入った巣もある。
 巣の数は数えたところ5つ以上。

 写真を撮った。今日は図書館のパソコンからの写真の初アップだ。うまくアップできるか。
携帯のマイクロSDとアダプターは家から用意した。

もうかなり大きくなっていて親のほうがスリムに感じるほどだ。巣立ちも近いと思う。

 さて、図書館から写真入りで作成できたかな?もしうまくいったら、これからは図書館でブログを作ろう。動画はフィルターがかかっていて無理だが、写真入のブログが大体普通だから写真さえ入ればよい。

2012年6月18日月曜日

早くも台風、おまけにこれでは直撃か

 朝のニュースで台風4号が・・云々、といっている。
 早くも4号が発生したのか、と思いウェザーニュースを見る

 これでは徳島直撃ではないか。規模も大型らしい。
 我が家の洗濯干し場のトタンが壊れて部分的にめくれあがっている。
 台風で増々めくれて壊れるかもしれない。
 それて欲しいが・・・・・
 6月中旬なのに直撃大型台風。今年は台風の当たり年かも知れない。嫌なことだ。

2012年6月17日日曜日

初歩電気教室 磁気の話 歌舞伎・毛抜きより

電気の話をするうえで磁気の話を最初の方に取り上げたいと思います。
  磁気が知られたのは、日本にも天然に存在する『磁鉄鉱』であろう。鉄が吸い付く不思議な力として認識されていたに違いない。
 しかしいわゆる『磁気』としてこれが認識されていたかどうかは、わからない。というのは、引力・斥力があるこの不思議な力は、「不思議なパワー」として認識はされていたが、同じ性質を持つ「電気」と区別して認識されていたかという意味においてはおそらく同一の「不思議なパワー」として未分化で認識されていたものと思われる。
 江戸時代の庶民も同じ認識であったものと思われる。その証拠にここで、当時、江戸の歌舞伎の演目であった『毛抜き』を紹介したい。
 まず、舞台はさる大名家の姫君。奇怪な病気にかかっている。それは図のように髪の毛が逆立つ病気。美しい姫だがこれでは恋をすることも、嫁に行くこともできない。
そこである武士がその奇病を治すために登場する。しかし原因はわからない。
しかし、何気なく、自分のひげを抜こうと毛抜きを出して使おうとすると・・・・・・・・・
下の図のように毛抜きが空中に・・・浮いた!!!
 「やっ、やっ、やややや~~、なんとも不思議な」
 いろいろ考え、やがて姫のいる部屋の天井に曲者がいてこれらの現象を起こしていると考える。ここらあたりはシャーロック・ホームズみたいな武士だ。
 そして天井に槍をプスリと突き刺すと曲者が、
 ドドドド~~、と落ちてきた。
 さあよく見てください。曲者は超巨大な永久磁石を持ってますね。
もう皆さんお分かりですね。これがこの奇怪な現象の正体だったのです。
江戸時代ですけど、こんな面白い奇想天外なSFもののお芝居があったなんて驚きですよね。
 でもこれで磁気電気の区別がないことが、よくわかりますよね。髪が逆立つのは静電気で、決して磁気ではないと。
 しかし、江戸の庶民にとっては摩訶不思議な静電気・磁力なんかみんな同じもの、ちゃんぽんに考えていたんですね。
 今日上演されるときは、一応、姫の櫛の金属に反応して・・・という説明がされてますが、そんなあほな、ですよね。姫の櫛といえば、金か銀、であろうはずはありませんものね。
 よけいな説明を現代になったつけたものですね。ここは江戸の庶民のように未分化な不思議なパワーとして磁力を認識しましょう(ちなみに本当は曲者は馬蹄形の永久磁石でなく、羅針盤を持っている)

 人類の磁気電気に関する知見も江戸の庶民と同じで、最初は区別がなかったと思います。要するに「不思議な遠隔作用のパワー」と見ていた。古代から近世まで。

 しかし、磁気は中世になって有用性のあるものに利用されるようになる。皆さんご存知の方位磁石(コンパス)です。
 磁鉄鉱に鉄の棒を何度もこすることによって磁気を帯びることは知られていました。その鉄の棒磁石を 竹かなんかの中空の管に入れ、水に浮かべると、あ~~ら不思議

 「真北を指した!」

 方位磁石の誕生ですね。この現象も当時の人には驚きだったでしょう。このように棒状磁石の一方の先が北を指す。そしてその方位磁石を2本用意し近づけあうと、2つの先は引き合う部分と反発する部分があることを知ります。
 ここらあたりから磁石には2極が存在することが知られるのではないでしょうか。

 そして近世、16世紀ごろ、球形の磁石をつくり、実験をしたギルバートによって地球自体が大きな磁石であることが確かめられます。
 ここらあたりから、ヨーロッパの科学者は、磁気と電気を区別し始めます。

 磁気も電気も2極あるのは同じだが、電気は単極を分離して単独で存在することができるが、磁気は決して単極に分割してそれ自体存在できないことも認識します。

 江戸の庶民は磁気も静電気も同じように認識してますが当時のヨーロッパでは2つは完全に別物として、それぞれの対象を実験していました。

 しかし皮肉なことに、19世紀になると、磁気電気は不可分のものとして認識され始めます。エルステッド、アンペール、マクスウエルらによって。
 ということは江戸の庶民も磁気電気を一体として捉えていたのはあながち間違いじゃなかったんですね。

2012年6月16日土曜日

朝のコーヒと雨


 今、7時前、朝からかなりな雨だ。一週間以上も前に梅雨に入ったが、晴れた天気が多かった。

 今朝になって、いよいよ梅雨らしい天気になった。

 一昨日、干したばかりの布団なのに、早くも湿気ている。

 起きて寝巻のままぼんやりして雨を見つつ、暖かいコーヒを飲む。

 元気じゃないが、悪い気分ではない。

 朝から強い雨になったら通勤・通学の苦労を思う。

 「今日も無事に行って、帰ってください。」

 いや、他人事じゃなかったんだ。俺も来月からは、そうだ。梅雨末期の集中豪雨に合わねばよいが・・・・・

 コーヒカップから立ち上るかすかな白い湯気を通して、雨を見ながら考える。 

2012年6月15日金曜日

初歩電気教室 らいでん???


 さてまず、今日は初歩の初歩、電気の定義から出発します。

 そもそも電気とは何ぞや?物理的なことはこれから12月までう~~~ん説明できる機会があるゆえおくとして、今日は文学的(語源的)方面から考えようと思う。

 英語ではエレクトリック、これは調べたらすぐわかるようにギリシア語の琥珀(エレクトロン)からきている。なぜかは、すぐわかる。
 この琥珀、布でこすると静電気を帯び、毛を逆立てたり、暗い中、小さな火花を飛ばしたりと、摩訶不思議な作用をする。ギリシア人もこの不思議な現象に甚く興味を持ち、それが電気・エレクトリックの語源になったというわけだ。

 18世紀の日本でもオランダから伝わった電気の説明に「エレキ」といっているのはこのギリシア語から伝わった西洋の言葉だ。

 じゃあ今日の「電気」の言葉はどこから誰が、作ったのか。調べたが確定はしない。おそらく19世紀の中国か日本の西洋本の翻訳者が作った造語と思う。

 この漢字が使われるのは西洋語源の琥珀と同じようにある妥当性をもっている。「電」という文字をよく見て欲しい。雨、そして田という字からピューッと尻尾みたいなのが出てきて右に伸び、上にサッとはねられている。
 この文字のイメージとして強い雷雲の雨で暗くなった空に突如、光り、天空から地にかけてサッと伸びる「稲妻」を想像してほしい。

 ゴロゴロピカピカ、を「雷電」という、雷電はためく・・とかいう。電気はおそらく「雷電の気」、「気」とは「目にみえぬある作用をもたらすもの」の意味であろう。
 この「雷電の気」がつづまって「電気」になったのではないだろうか。

 琥珀の気も雷電の気もともに電気だからなるほどと思う命名である。しかし、ささやかな琥珀の作用に比べ、雷電の方が電気作用は物凄い。人一人真っ黒焦げにすることもできる。
 この凄い作用にあやかってだろう、相撲取りの名前に「雷電」というのがいる。ただしこの時まだ電気の言葉は生まれていないので、雷電は稲妻のことをさしている。

 次にもう一つの「らいでん」についてお話しします。この「らいでん」も電気に関係しています。すると当然「雷電」と思いますよね。
 ところがギッチョンチョン!全く違うのです。偶然の一致だから面白いですね。この「らいでん」はカタカナで表記され、語源はおそらくオランダの地名か人名かのライデンで、その名称は

 『ライデン瓶』

 「え、馴染み薄い言葉ですって?」

 私は中学の時、このライデン瓶をつくりました。ある目的のため。材料は台所用品、びっくりするほど簡単に出来ました。何の目的で?今からご説明しましょう。
 
 中学の悪ガキ時分、よく遊んだのがセルロイドの下敷きをこすって静電気を発生させて喜ぶものでした。しかし、髪が吸いついたり、離れたりする現象にもやがて飽きが来ます。

 もっとも面白いのは、人を驚かすこと。下敷きの静電気で人を驚かそうとしたら敏感な口に金属のキャップをくわえさせ、帯電した下敷きをその金属キャップに近づけ、火花を飛ばすと、口中に軽い電気ショックが広がりびっくりします。
 しかし、わざわざ驚かされようと思って口中にキャップをくわえるバカがいるはずはありません。

 手を触れただけで電気ショックを・・それも何人も手をつないでも電気ショックを与えねば、驚かすことは無理です。
 それには下敷きの弱い静電気ではダメです。静電気をためる器具が必要です。下敷き一枚の静電気でも何回もやって蓄めることができれば大きな電気ショックを与えることができます。
 その蓄める器具が「ライデン瓶」なのです。

 このライデン瓶をつかい、下敷きを何回もこすり、静電気を蓄めました。そしてそのライデン瓶の+・-に指が接触するようにして、友人を驚かせるため、持たせました。
 結果は実験としては見事なものでした。見事すぎて、死なんばかりにショックを与え、大変なことになりました。もう少し下敷きをこすって蓄えれば死んだかもしれません。

 よい子のみなさん!このようなことはしないでくださいね。

 電気の最初の話として、電気の言葉のいわれをお話しするつもりでしたが、いつものようにみょ~な話に発展しましたね。

 それでは、麿が生きていたらまたお会いするでごじゃる。

 おっと、ライデン瓶の作り方はここクリック

2012年6月14日木曜日

持病の症状が治まらない


 半年の訓練に備えて体調を整えて望みたいが、数週間にもなるのに持病の症状が治まらない。薬は飲んでいるのだが改善しない。一昨日病院へ行ったが、明日また病院へ行くつもりだ。
 
 新しいことを始めるにも健康が一番であるが、おさまらないのが困る。

 ともかくよく診察してもらおうと思う。

2012年6月13日水曜日

水つながり


 左の写真は見てすぐわかりますよね。紫陽花(あじさい)です。ずいぶん面白い読み方をする漢字が当てられていますね。あらかじめ読み方を知っていなければ類推して読むことは難しいですね。

 同じように右の写真はお墓の水をためておく石盆です。崩し字で書いてあるため読めませんね。楷書に直すと『閼伽』と書いてあります。仏さんに捧げる水のことです。
 これは楷書に直しても読めませんね。読み方は「あか」と読みます。サンスクリット語からきています。

 この二つは昨日、雨の中、撮影したものです。しっとりと水に濡れたあじさいと御影の閼伽の水盆を見ていて、どちらも水につながりがあるな、と思って注意を留めたものです。

 紫陽花は日本語では水の文字は入っていませんが、英語では水を意味する言葉が語の中に入っています。アジサイは

 『Hydrangeas』

 hydr-はギリシア語で水の意味があります。ハイドロ・・なんとかと外来語にもなってますね。雨の時期に咲くアジサイは水に関係があるものと思ってこのような言葉になったんでしょうか。

 閼伽はサンスクリット語から来たものでありますが、サンスクリット語は印欧語でラテン語などと親戚の言葉なのです。ラテン語で水を意味する言葉はaqua- アクア・・です。

 そうアクア、と閼伽(あか)、サンスクリット語(というより印欧語族)が西に行き、aqua-に、東に伝わり、全く語系統の違う我が日本語の中に入り「仏の水」の意味の「閼伽」になったのです。

 どうです、皆さん、このブログを読んで多くの人が知らない2つの言葉が頭に入りましたね。

 紫陽花は英語でHydrangeas(最後のsは複数だよ)
 何やら墓の前のごにょごにょした文字は閼伽で、アカと読み、仏さんに捧げる水であること。


 やまさんのブログは勉強になるわ~~~!(時々、真偽不明も平気でのせるが・・・・・)

2012年6月12日火曜日

常連(居続け)


 筋肉痛は数日してからピークを迎える。朝から足が痛くて思うように動かない。持病も悪化傾向で体調は、ズンズン・ズンドコ節である。

 一か月ぶりに町内の病院へ行く。不況で閑古鳥が鳴いている店もあるが、病院だけは押すな押すなで朝から大盛況である。

 診察は9時からだが各科の前の椅子には早くからみんな仲良く並んでいる。よく会う顔見知りばかりだろう、親しげにあいさつを交わしたり、話をしている。

 「ここも常連さんが多くを占めている」

 他にも常連さんが目につく、ちょっと敬遠し始めたスーパ銭湯も常連さん。
 朝9時に行っても、夜8時過ぎに行ってもいつもいる図書館の常連さん。こうなれば目につくというより・・・鼻についてきた。

 昔、喫茶店のマスターをやっていたとき、常連さんばかりになり、いつも店のソファー、カウンターはふさがっているが売り上げが全然伸びなくなって、やがて店を畳んだことを思い出すと、常連さんにいいイメージはない。

 しかし他人ごとではない。自分の問題である。高齢になり、病気がちになり、なにもすることがなくなれば、病院、温泉、公民館・図書館の常連さんになるのは仕方ない気がする。

 「老人こそオンリーワンな生活をしたいのだが・・・」

2012年6月10日日曜日

マップポイントの旅 藤井寺から一本杉庵まで


 前回は、藤井寺から柳水庵までのマップポイントの旅だったので、今日はもう少し奥の一本杉庵にポイントを置き、往復してきた。

 この一本杉庵は全行程中、最も標高が高い場所である。(焼山寺より30m高い) そこは、焼山寺越えの一番キツイといわれる峠である。そこへ至るには急坂、いわゆる「遍路ころがし」の道を行かねばならない。

 しかし、それゆえに、もっとも昔の焼山寺越えの遍路道の面影をとどめている所である。
 
 前回よりさらに奥で高低差のあるところへ行ったので、往復に今日は8時間かかった。

2012年6月9日土曜日

旅の思い出もうんと古くなると・・・・・


 ググルアースの地図を繰って婆ちゃんルンルンの旅を楽しんだ、というブログを読むと

 「いいなぁ~」

 と思い。今朝、再びググルアース・プラグインのダウンロードをした。(以前消していたため)

 さっそく

 『飛んで~イスタンブ~~ル~♪~♫』

 で行きたかったソフィア寺院、ガラタ塔、その他ヒッポドローム跡などなど、古代から中世にかけての遺跡巡りをした。

 街中にも入り、露店で売られている『トルコアイスクリーム』屋をさがしたがそれは見つからなかった。

 「こういう旅の方がいい気がする」

 そういうと、いや、現実に行った旅の方がいいに決まっている、といわれそうだが、私ほどの年齢になり、旅が遠い過去の思い出になると、記憶にも上らなくなり、全く忘れた部分も多くなって、現実に行ったと思っているただ一点だけで、それ以外はいつでも行けるバーチャルの旅にも敵わなくなっている。

 大昔に行ったスペインの旅もそう。振り返っても美術館の記憶が少し残っているだけで、まるっきり思い出さない。幸い写真が残っているので、整理すれば、少しは・・・だけど、肝心の写真を見てもいったい何をしてるのやら思い出さない。

 大昔、のべ3年以上にわたって全国を放浪旅行していた記憶もそうである。写真も残さなかったので手がかりもない。
 なんか記念になるものがないか、押し入れをゴゾゴゾやっていたら、この時の簡単なメモ程度の旅日記が出たきた。これである。
 何ページにもわたっているが、今日が6月9日なのでこの旅のその日付けのページを開けたのが下の写真である。

 読みにくいので6月9日から数日、原文に忠実に再現してみた。

6月9日(日)晴れ                87km                       むつ
 むつ市へ向かっていく途中、横浜村(?)の海の見えるPで1時間ほど休む。ボンネットを開けてオイルゲージを見る。Lよりまだ少し上にある。少し不安だが、しばらくは走るには大丈夫だ。やはり神経質になりすぎているのではないか。横溝の本、少しも面白味が出てこないので中途でやめた。

6月10日(月)晴れ                60km                       函館
 6時30分のフェリー(大間発)に間に合うため4時半頃出発した。今日も快晴だが気温は低く、影に入ったり、風が吹くと寒い。青柳町に車を置いて中心部まで歩く。午後からはハローワークへ行く。求人状況は厳しいものがある。
 夕方は高田屋嘉兵衛の旧宅から元町にかけて山の手を歩く。少し肌寒いが心地よい。旧奉行所跡地の公園でこれを書いている。西日が緑や花、石畳を際立たせていて美しい。

6月11日(火)曇り時々雨            0km                        函館
 今日も函館。午前中五稜郭まで歩く。今夜も谷地頭温泉に入る。昨夜と今朝、彼女に電話したが出なかった。

 と書いてある。読んでいて自分が書いたものに間違いはないのだが、思い出せない。
 はるか過去の記憶なんてこんなものだろうか。   

2012年6月7日木曜日

老化と不死


 生物は老化し、やがて死ぬのは宿命なのだろうか。生物を細胞と入れ替えてもよい。老化しない不死の細胞があるのだろうか。

 科学と神話を同一に扱うのはおかしいが、神話(古事記)にこんな話がある。岩のように醜く、動かず、生きているのやら死んでいるのやらわからぬ「岩の姫」は不死の象徴であり、咲く花のごとく匂い、美しく、愛でられる花のような「この花咲くや姫」はつかの間の生、死ぬべき命を象徴する。

 これは生物科学においても示唆に富む話ではないだろうか。

 私は考える。もし、不死の生物(あるいは半永久的に生きる)があるとしても、おそらく不活発で、原始的で、代謝も乏しい、もちろん精神的活動など見いだせない生き物であるだろう。

 太古、神は生物に迫ったかもしれない。このような性質をもって不死の道を選ぶか、それともこの花咲くや姫のように、死すべき運命ではあるが、華やかに生きるかを。

 後者を選択した生物は、万物の霊長に発展する道を歩き始めた・・・・・

 「じゃあ、そんなのはいいから、老化せず、不死の道を選んだ生物は?」

 生物の細胞にとって老化をもたらすものは、「光(電磁波)」「酸素」。しかし、光合成により光を利用することによって生物は地上への切符を手にした。紫外線を含む光は細胞を破壊老化させるものではあるが、また、植物にとっては絶対必要なものとなった。植物に寄生するといってもいい動物もそうである。

 また、酸素は細胞体を酸化させ老化の元となる。生物にとってそもそも酸素は有害物質であった。しかし、効率よく体を動かす動物にとって、この酸素は有害だが、酸素を利用した「呼吸」はエネルギーのを生み出すためになくてはならないものになった。

 そうそうなのである。有害な光と酸素を利用し始めた時が、神様の選択の分岐点だったのである。これを利用することは「老化の素」を取り込むことであり、老化・死は宿命となった。

 逆に、それの利用を拒否し、全く光のささない深海の熱水噴出口あたりで、効率の悪い化学合成(無酸素)を細々と行う生物は、不死と不老を手に入れたのではないか。

 長い年月、光に当たりすぎたためか、私の顔や手に老人性のシミができ、手袋やつばの広い帽子をかぶるようにして皮膚の老化を防ごうと思っている。それにつけて、そんなことをちょっと考えてみたのである。

 40億年前、神が、不死か、死ぬべき運命か、どっちを選択するといわれたとき、私がいたら、やっぱり

 「この花咲くや姫を選びます」

2012年6月6日水曜日

天文ショー見たが、見られなかった


 本日の金星の日面通過、目を凝らしたけれど、私の視力では、残念ながら確認できなかった。矯正で最も視力が良くなるコンタクトレンズを装着してもダメであった。

 視力のよい人は日食眼鏡を通して、ほくろのような太陽の中の金星が見えたそうである。視力のいい人がうらやましい。

 機材・撮影機器を用意して狙った人は、満足したに違いない。先日の日食と違い、ほとんど快晴。おまけに7時間近く、ゆっくり太陽面の通過である。いいシャッターチャンスがたっぷりあったはずである。

 こちらは日食のような派手さはないが、天文ファンにとっては稀で貴重な現象らしい。日食は世界中を駆けずり回って観測する気なら、毎年、どこかで起こる。ところが次回の金星の日面通過は、全世界的にあと105年後である。

 確かに天文ファンなら見逃すのに惜しい天文ショーである。

 ところで太陽面を通過するのは金星ばかりじゃないのはご存知でしょうか。

 太陽の前を横切るのは、地球の衛星で地球と太陽の間に入る「月」と地球より内側の惑星『内惑星』以外はありません。
 内惑星には金星と、もう一つ「水星」もあります。

 水星は太陽の近くにあり、太陽のごく近くを行きつ戻りつする惑星ですから、日の出、日の入りの短い時間の間、地平低くしか見えないので、水星は肉眼で見えるにもかかわらず見てない人が多いです。

 その水星はやはり日面通過します。見えにくい星なので、水星の日面通過も金星と比べて稀なのではないかと思ってましたが、予想に反し、金星よりずっと頻繁に起こるそうです。

 水星の日面通過についてはここクリック

 なおこのことに関連して科学的な話題でもブログに取り上げていますので、興味のある方は、桃山日記パート2(ここクリック)をご覧ください。

2012年6月5日火曜日

今日の雑感

朝から雨、でも蒸し暑くなく、しっとりとしていい感じだ。
 寝起きに体調は良くないが、おいしいお茶を飲むとすっきりする。

 ニュースを聞いていて、40歳の指名手配犯の女のこの一言にいろいろな妄想が湧いてくる。

 「寛人(ひろと)を愛しているから、この人となら生活を変えられる・・・」

 そこまでに至った2人を想像していくと、そんじょそこらの2時間サスペンスドラマや、推理小説より面白い。小説・作り話より事実は奇なり、とはよく言ったもんだ。

 愛し合うのに理屈はいらない、しかし、ここに至り、自らも出頭した男、愛の行方は?これで終わりか、

 裁判を傍聴してみたい。

 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな




 日本はこれから梅雨に向かう。今日のような雨が多くなり、蒸し暑いうっとうしい季節になる。昨夜から思い出そうとしていたスペイン。
 これからの季節は日本と反対に湿度が下がり、からっとした夏になる。
 真っ白い壁、スペイン瓦の家、ひまわり畑、もう一度いってみたいなぁ

中島みゆきの歌のように、こんな時代もあったんだ!

 もう全く忘れて思い出さなくなっていたが、しんちゃんのブログで、スペイン風の料理、そして、スペインへ行きたいなあ、と書いてあるのを読んで、

 「ああ、思い出した、そういえば遥か大昔、スペインへ行ったことがあるんだった。」

 全く忘れていて、全然思い出さなかった。そして行ったことは思い出せても、何を食べたか何をしたかこれまた全然思い出せない。建物の見学や美術鑑賞しか印象にない。

 「写真だ。写真だ」

 写真をさがすが、几帳面さとは程遠い私の写真の整理。まとめて引き出しの放り込みっぱなしのまま。どこが何やらさっぱり、ようやく2枚見つけた。多分スペイン。

 一枚目、雨が降ってる。季節は冬なので、スペインは地中海式気候で別名、冬雨気候というくらいだから、雨がよく降る。どこへ行こうとしてるのか、わからない。

 素顔でアップしてるが、なに、かまうものか、35年もたてばほとんど別人だ!

  この時、パエリアに似た料理を食べたような・・・記憶は・・・う~~ん、やっぱ思い出せん!

2012年6月4日月曜日

禁断症状


  残り少ない余生をゆったりと過ごし、瞑想にでも(私の場合妄想か?)ふけり、人生を締めくくりたいと常々思っている。
 それで、ネットのない生活を数日過ごし、アナログ生活(情報機器はラジオと電話以外ない生活)に入る準備をしようと思っていた。

 ところが、禁断症状が出てきて一日も間をあけられなかった。で、今こうして書いている。これはちょっと困る症状だ。
 なぜなら、ネットを今年中でやめようかと思っているからである。

 私のネットの回線はADSLの12Mbである。しかし、やがて光回線に代わられ、これは廃線になるそうだ。いつか分からないが近々らしい。モデムも代えなければならないし、月々の料金体系も違ってくる。
 いつまで健康で生活できるか全く先の見通しも立たないので、ADSLが廃線になるのを機会にやめようと思っているのである。

 だが、この禁断症状を直さねば、上の図のように狂乱のあげく、ひどく苦しむかもしれない。

 「アヘンの中毒症状のようだ」

 ネットともおさらばし、ひじりに近いような生活をしたいと思ったが、禁断症状がでて、意志薄弱な私はすぐパソコンに向かう。当分、やめるのは無理のようだ。

 それでも今日は、しばらくは我慢し、暗くなってから、勉強したいと思っていた『言語学』『数学基礎論』の本を読み始めたが、全く面白くない。砂をかむような味気なさだ。

 本を繰るより、ネットを繰る方がずっと楽しい。やっぱだめだな。

 パソコンを開けてみると、超久しぶりにてるさんのコメ、そしてMOTOさんのコメが入っている。返事を書いていると

 「我慢するのはやめて、思うまま、いままでどおり馬鹿なブログを書こう」

2012年6月3日日曜日

渋野古墳群

 ようちゃんのブログを見て、渋野古墳が興味深いところなので行ってきました。
 下の3カ所を回りました。
 
 動画もご覧ください

2012年6月2日土曜日

食事・買い物・温泉


 久しぶりに例のバイキングの店にランチに行った。最近野菜摂取が不足なので、生野菜のサラドをたくさん(写真で見るとてんこ盛りだ)とった。この店はいつも客が多いが、今日は格別!まるで満員電車の中のようで、食べてる後ろから、開き席待ちで目白押しに並んでいる客から凝視されてるようで落ち着かない。

 だいたい女性はそんな中でも落ち着いて食事をしている。何度もおかわりに席を立って、くちゃくちゃたべつつ、おしゃべりを楽しみ、時間いっぱい過ごしているようだ。

 「もう、でよう」

 連れを急かし、さっさと食べ、外へ出た。

 そのあとユニクロで衣服、下着を買ってもらい、板野の山の中の温泉に行く。
   
 そういえば前来た時は、3月で、今年最後の雪が降ってた。なごり雪のように。(この時、なごり雪を見ながら温泉に来た時のブログがあります。ここクリック) 
 そう私がいうと、

 「あんた、記憶がいいなぁ」

 自分でも不思議に思う。昨日の夕食に何を食べたか思い出せないのに、こんなことは何年の何月頃来たかまで覚えている。

 温泉も最近は積極的に行きたくはなくなった。自分が高齢者の仲間入りをしてから、温泉=高齢者のたまり場、そして、ウ~、とかア~とか、唸りながら恍惚で入っているさまが、なんか鼻についてきている。 

 「なんとか、せねば!」

 と思うが、風呂から出たら、虚脱、眠気でボ~っとしている。身も心もご老体である。今日も有意義な時間を過ごすことは出来そうもない。今夜は早く寝るつもりだ。

2012年6月1日金曜日

今日のニュースより

まず音楽関係より2題

すごい女性ロック歌手  

 最近、ロック・フォークの人で病魔に侵され、志半ばで・・・という話題が多いが、今日のニュースで知った人はその病魔に打ち克つべく、戦いながら、ライブ、アルバム編集と頑張っている。
 かなりステージの高い癌らしい(末期がんであちこちに転移しているらしい)

 3歳の子供もいることだし、病気に打ち克って才能をこれからも発揮してほしいと思う。

 なんか最近才能ある人が早逝するような気がする。
 この人、こんな病気を持っているのに音楽活動で大活躍している。恐ろしい病気にかかっているにもかかわらず、それに立ち向かっているさまをインタビューで答えている。
 自分だと、とてもそこまでは、ようすまい。私よりうんと若いがすごいひとだなぁ、と思う。

 ヒューマンロスト『乾杯』


阿る  

 今日知ったのだが、中学校で保健体育の中の『ダンス』が必修化されているそうである。そしてその中の創作ダンス部門で、ヒップホップをとりあげる学校が増えているそうである。

 「必修化したダンスで、ヒップホップねぇ~、???」

 子どもは喜ぶんだろうか?もともとロック音楽とかヒップホップダンスってえもんは、学校・社会・慣習・体制から反対位置にあって、アンチな態度を、それを身をもって表現するところから始まったもので、その本質は変わらないと思うのだが・・・

 学校や先生が反体制のものにに身をする寄せてくるなんどというのは、考えてもぞっとする。

 こういうのをガキに『阿る』(おもねる)という。

 ところで、ピップホップの、いわゆる4文字の汚い言葉、FuckだのShitだのも踊りながら垂れ流しに使うのだろうか。それはそれで面白い。


お役所のクールビズ  

 今日から衣替えだそうである。またぞろ、お役所音頭取りの、省エネ一環の「クールビズ」だ。

 ニュースではどこかの市役所が、アロハにしたとか、また政府の大臣も派手なアロハを着てカメラにおさまっていた。

 「役所の公務員様がアロハねぇ」

 アロハ=ハワイ=南海の楽園=天国=快楽にうつつをぬかす公務員の天国の風景、が連想されてくる。

 ビンボ人のやまさんのひがみということはわかってます。でもねえ、休みが多く、高給取りのお役人様が、アロハ、ハワイアンムードたっぷりの衣装ですか?

 ええですね、さぞや涼しかろうねぇ、
 暑いとき、民間のセールスなんかが、アロハ来て家、訪問できまっか、門づけ芸人とちゃいまっせ、

 まあ、結構毛だらけ、どうぞおやんなさい。
   
 どうせなら、こんなのどうです。究極のクールビズ、いやらしいというなかれ!相撲取りと、江戸時代の駕籠かきの正装はこれでしたぞ!