2012年9月30日日曜日

台風のあと


 日が沈む時刻になって青空が見え赤い夕陽が射してきた。明日は台風一過の秋晴れとなるであろう。その時刻、鮎喰川鉄橋を渡っていた。下を見ると恐ろしいような茶色い濁流が逆巻いていた。


 駅を降りて線路沿いに歩いていると台風の風の悪戯面だろう赤と白の彼岸花がもつれるように重なっていた。

 「おおそうじゃ!今日は『清盛』の大河ドラマがある!」

 なんでこんな連想を!?若い人は知るまい。源平合戦は赤白のシンボルカラーの戦いでもあるのだ?

 「みなさん、源氏はどっち、平家はどっち、すぐ答えられますか?」

2012年9月29日土曜日

琵琶演奏会

リュート
リュート

 ギターの祖先はリュートといわれている。
 右の図がリュートである。

 ところで今晩、徳島の図書館のテラス(オープンスペース)で琵琶の演奏会があった。こじんまりした小演奏会で、本日あることなど知らなかったが、本を返しに行って、ベンベンという音に気づいて鑑賞した次第である。

 日本の古楽器である。奈良時代に正倉院へ納められた琵琶も現代の琵琶もあまり形は変わっていない。

 この琵琶、日本楽器の中では最も西洋的な形をしている。このリュートにそっくりである。

 それもそのはず、ルーツはどちらも中東と考えられているからである。日本の琵琶ははるばるペルシャあたりから伝わったものであろう。またヨーロッパに伝わったリュートもこのあたりから伝播したものである。似ているはずである。

 ギターと日本の琵琶は祖先図をたどると同じところに行きつくのである。

 今晩6時から行われた琵琶演奏会の動画である。




2012年9月28日金曜日

たったっったったっ台風が


 テレビなど見ないから今日の夕方までしらなんだ!

 ヤフーのホムペの見出しに大型台風日本列島縦断か、と書かれてあるので詳細を見ると

 「おいおい!30日あたりは四国・九州最接近だと!なんつうこった!」

 長崎へ行くのに前回のブログでもいったように南海道コースをとろうと思っていた。

南海道コース
 
 しかし、このコースだと八幡浜~別府間の船の区間、名前でいえば豊予海峡を渡るのが29日から30日の朝にかけてである。ちょうどその時、台風は豊予海峡に入るではないか。

 こういう体験も面白かろうが・・・・・・・・・

 まず、船会社が船を欠航にするだろう。

 暴風警報が出れば鈍行も運休だし、旅に出て行き止まり、路傍で雨風に打ちつけられるのはちと苦しい。
 
 で、とりあえず明日の出発は中止にしました。行くとしても明後日以降、山陽道コースにしようと思います。

いよいよ西海道への旅へ


 日本は古代より地域ブロックを五畿七道に分けている。
 今回、西海道への旅を決行することにしました。
 西海道とは今の九州地方です。(ちなみに四国と和歌山は南海道になる)

 さて行く経路ですが、最も一般的なのは山陽道を西下することです。他にも南海道を西の突端まで行って船。ちょっと大回りで山陰道をやはり西下する方法。陸路を全然とらず瀬戸内海を船で行く方法があります。

 目的地は長﨑です。特急・急行を一切使わず、鈍行のみの旅となります。

 明日の早朝出発します。コースはたぶん南海道コースとなるでしょう。鈍行だから一日では長崎までつけないと思います。どこでどう泊まるかはまだわかりません。

 できれば旅先からネットで報告できればと思っております。ブログはこのググルと

 ヤッホーブログ ここクリック

 鈍亭ブログ ここクリック

 にアップいたします。動画のアップは容量の関係でこのググルが便利なので動画ができれば(ムービメーカが使えないかもしれない)これでアップします。

以下は旅先リンク集(読者の方は無視してください)

 列車時刻・運賃検索

 安宿検索

  宿・ホテル予約ジャラン

 鈍亭ホムペ

 愚ホムペ

  博多  長崎  別府

2012年9月26日水曜日

またしても晦日に月が出る


 晦日に月が出る(それも満月だ)不思議についてはこの以前ブログに書きました(ここクリック) 今年は今月も晦日に満月を迎えます。今月の晦日つまり30日は、満月。それもただの満月とちゃあいます。今回の満月は旧暦8月、つまり仲秋、十五夜なのです。

 それともう一つ、縁起をかつぐひとで大安だの仏滅だの言う人がいますね。あれ、いったいどんな順番になっているのか不思議ですね。でもこれって曜日より簡単、単純なものです。旧暦には固定してますから、というのもこの秋の仲秋の名月の十五夜は必ず、仏滅になります。いつの年でもね。

 あと四日で十五夜、夜空を楽しみましょう。

2012年9月25日火曜日

ほんまかいな


 ちょっとこの表を見ていただこう。さる本から、(出典はこの左下にあるネットかららしいが)の引用である。
 その国民全体の平均だろうか。これ以外説明がないからわからない。いったいどのようなサンプルの取り方をしたのか知りたいところだが、まあ、このような下ネタの資料であるので下オチの話として素直に受け取っておきましょう。

 私などは日本人は世界で一番の短小民族と思てましたが、そうじゃないんですね。これで見るとアメリカより長いですな。馬じゃないんだから長ければいいってもんじゃないと思うが、前のブログでの車の所有欲と同じで、これも俗物のズテータスシンボルとなるものです。

 実は世界一の短小と思い込んでいるのは日本人のみではないかと思われるふしがあるのです。それというのも日本が世界へデビューしたのはご存じのようにペリーの黒船以降ですが、この時、世界に冠たる『春画』(浮世絵のポルノ・江戸の昔から日本はビジュアルなポルノ大国だったのです)も他の日本の産物とともに欧米に輸出されます。
 このような春画です。
   
 これを見た欧米人は

 「ひえ~~~!!!日本人はこんなにでかいのか。」

 とぶったまげてしまいます。まったくアホな欧米人どもです。

 当時の日本の浮世絵のポルノグラフィーは進化・発展をとげ、この浮世絵を見る人の最も関心のある部分(当然あそこですわなぁ~)を微に入り細にいり描き、部分的に拡大してみせる手法をとっていたのです。
 だから男根、女陰は精密で巨大に描かれたのです。

 欧米が他のアジア諸国に対しては圧迫をくわえましたが、日本に対しては日本人巨根伝説のためコンプレックスから、遠慮したのではないか・・・・・というのはやまさんの妄想説です。

 まあ、それはともかく、戦争に負けて進駐軍に我が国の大和撫子を摘み取られいいようにされた苦い過去を持つものとしては、アメリカより長いというのはうれしいものであります。

 もう一つ気色のよいのは、最近、竹島とかなんとかでやたらと攻撃的で、企業も非常に元気な韓国が最小ということです。
 韓国のメロドラマで日本のおばはん連中を悩殺する韓国人は、さぞやアジア一の巨根を誇っているのだろうと思ってましたが以外でしたねぇ~~~

 でも『お楽しみ』は長さには関係ないみたいですよ。この表で下位に入っているギリシア人はセックスの回数、持続時間の長さは世界一だそうです。

 結論!
 「チ〇〇の長さは気にすることない。でもワイがポルノ映画の監督だったら男優にはやっぱ、長いのをつかうわな。」

修験の山だよロック症状???

高越山登山動画です

計画倒れに終わらにゃいいが

 さて、来年まで生きられるかどうかおぼつかなくなってきた今日この頃、冥土の土産に歴史的な文化都市3つ、京、鎌倉、長崎の旅をしたいと常々思っている。
 それも飛行機や特急で行くのではなく、ゆっくり景色を楽しみながら鈍行でいく方法で・・・

 今日ネットで検索してみた。鈍行で徳島から長崎まで行く方法を。
 すると、ネットの威力はたいしたもの一発で3つくらいの方法が表示された。

 それを見てびっくり!!!第一候補に挙がった旅程表を見るとなんと・・・・・・・
 徳島を朝出発して鈍行11回乗り継ぎでその日のうちに長崎に着けるではないか!

 徳島6:39発そして長崎は当日23:04

 この方法にするかどうかまだわからないが当日のうちに長崎に着ける鈍行があるというのは計画をいろいろ立てる上で大いに参考になる

 ここクリック
 

2012年9月23日日曜日

車争い


 現在、私は車を持っていないが、車を所有しているとなにかと争いがある。駐車に関すること、あるいは走っていて、クラクションを鳴らされたの、割り込みをされたの、といろいろある。グッと我慢をすればよいのだろうが、むらむらと怒りがこみあげ、そして対抗心を燃やすと争いになる。

 所有欲からいろいろな争いのタネは芽生えるが、車はとりわけ所有存在の大きなものである。というのは、片や軽四の中古のぼろ車と高級車と比べると、どちらが「ワイが所有してるんだぞ!」という所有感・存在感が大きいか、下世話に言えば、どちらが「乗っていて偉そうにふんぞり返れれか」を考えれば明らかであろう。

 もともと車はそういう俗物的な所有欲が極めて強い上に、人はハンドルを握ると、遠い昔の騎馬民族の血が騒ぐのか、ハンドルを握るだけで体も動かさないのにアドレナリンが多量に放出されるせいか、トチ狂う人が多い。
 普段は温厚な人なのにハンドルを握ると恐ろしく攻撃的な人格に変わる人がいるとはよく聞く話である。

 ここで「争い」とはいっても、血の雨の降るようなバトルを言っているのではない。(まあ、たまに車から降りて路上でつかみ合いの喧嘩をする人がいるが、そんなことは稀である)
 ちょっとした競争心、対抗心、そしておそらく嫉妬・羨望がちょっぴり入っているかもしれない。冷たい(表にはあまり出ない)争いである。

 じゃあ具体的にどんな車争いがあるのだろう。現代の車争いをネタにするのも面白かろうが、今日は1000年前の車争いについて書きます。

 1000年も前に車なんてあったの?あります。自動車ではありませんがこんな牛にひかせる牛車がありました。
 今夜放送のNHK大河の「清盛」の展開はこの「車争い」がモティーフになっているのです。『殿下乗合』事件です。牛車が二台出会います。一方は身分が高い場合、進路を譲るとか、それなりのご挨拶をするのですが、先にも書いたようにいい車に乗っていると、どちらも人格が攻撃的でギスギスしたものに変わるのでしょうか

 「おらおらおらおら!どけどけ、車で踏みつぶされんど~~~」

 「無礼者!このお方をなんと心得る!」

 「この成り上がり者め、どくのは、お前じゃ」

 「えええぃ!かまわぬ、突っ込め!」

 まあ、その場では、当たり前だが、身分の高い方が優先権がある。何とか身分の高い方が優位に立ったが、この争い、やはりというか、後々尾を引いた。争いは「仕返し」を引き起こす。

 これよりちょっと前に車争いで有名なのは「葵上と六条の御息所の車争い」である。祭り見物しやすい場所に車をとめるのをめぐっての争いである。女同士の争いであるだけに、決して表には吹き出さないが、内攻してもっと恐ろしいことになる。負けた方が生霊となって相手の女を取り殺すのであるからすざまじい。

 この生霊、やがて有名になり、立派な妖怪変化として成長する。夜な夜な都大路を徘徊し、恐れられる『朧車』妖怪となる。

2012年9月21日金曜日

土、水、火、そして風になり、空に帰するのか

 
 仏教の深遠な理屈は分からない。しかし世の無常を感じるとき、その無常を教え諭すのが仏教ではないのかと思う。

 一昨日から彼岸の入りでみんな墓に参っている。日本の多くの墓は仏式であろうと思うが、そもそもの(御釈迦さんの教える)仏教に墓などあったのであろうか。

 昨日、丈六寺へ行った。三門の近くに立派な五輪の塔の墓があった。巨大な五つのそれぞれ特徴的な形の石が積みあがって五輪のはずだが・・・
 三基の石が残って二基は下に落ちている。つまり墓が真ん中からポキリである。そして横には告知の看板が立っていて、「この墓の縁故者の申し出なき場合は、強制改葬にします。」というようなことが書かれている。
 まあ、理屈はともかく、はやい話がこの土地の管理者(寺だろう)がこの墓を取り潰し更地にするということである。つまり墓が無くなるのである(無縁塚で供養するとは・・・うまい言い逃れだ!)

 立派な墓で碑文も読める。安永年間、であるから江戸中期、名前は賀嶋そして名前に受領名(阿波守、上野介・・など旧国名の守の名)上総が入っている。これは蜂須賀藩の家老以外考えられない。

 「家老職にあった人の墓でも平成の世には、無縁仏で墓も無くなるのか・・・」

 石の墓さえ諸行無常の「法」の前にはむなしくなっていくのである。

 しかし、私が力説しなくても昔の人もわかっていたはずである。何世代かは供養もあるが、やがて訪れも無くなり、苔むし、風化し、無縁仏になることを。

 五輪の墓にその「法」(のり)が形となり文字となって刻んである。私は難しい理屈は知らないが下から見ると

 土・水・火・風となるにしたがい、次第に物質的要素やはっきりした形状が希薄になっていく。そして最上部は『空』である。

 「すべては空に帰するということか。墓さえ諸行無常から逃れえぬことをみんなちゃんと知っていてこんな五輪の墓にしたのか。」

 五輪の塔、そのもととなる土・水・火・風・空の五大元の本当の意味は知らないが、丈六寺の巨大な五輪の塔を見てそんなことを考えた。

 なお関連した私の以前のブログがあります。参考にどうぞ
 ここクリック

2012年9月19日水曜日

今日、ようやく見つけた



 残暑が長かったせいかいつもより遅い。
 この花は、ある日急にすっくと茎とともに伸び、派手やかな真っ赤な花を咲かせる。
 そして花の命は短い。
 私の最も好きな花である。

 どれほど好きかというと・・・・・
 
 この花を見ると歌いだす。


 そして歌に合わせて踊る。

 さらには、曼珠沙華風呂などを仕立てて入る。

 夕方、自転車で走っていると飯尾川沿いにも咲いているのを発見した。

2012年9月18日火曜日

初体験

 
 鈍行列車の旅を計画しようとしているが、前のブログでもいったように長距離夜行列車は今は廃止になっている。

 時間をかけてゆっくり旅したいが、最近の長距離旅行は飛行機か特急列車で素早く移動するのが流行りで、普通鈍行列車で旅をする人などは夏・冬休み、期間限定で『青春18きっぷ』が発売される時のみである。

 少しずつ乗り継いでいけばいいが、深夜は鈍行など走っていないから、例えば長崎あたりまで行こうと思えば3泊くらいは途中で泊まらねばならない。
 
 ホテルで泊まれば安くて7000円くらいする。3泊もすれば飛行機で行くより高くつく。駅か近くの公園のベンチで夜明かし、も考えたが老体にはキツイ。

 ゆっくり、安く、鈍行列車で旅をする。この3つをかなえるのはなかなか難しい。

 また旅に出ても、ほとんど毎日アップしている桃山日記も途切れずに書き続けたい・・・・・・・

 このような条件を満たすよい方法を見つけた。きっかけは、ポリテクで一緒だったしゅんちゃんの次の言葉である。

 『できるだけ安く東京へ行きたいから行は深夜バス、夜はネットカフェで夜を明かす。』

 そうか!ネットカフェという手があったか・・・・・ネットカフェなら深夜~朝までパック料金で2000円以内だ。それにパソコンも使い放題だから旅先から毎日桃山日記が書ける。

 長崎まで行くとして、途中には広島、下関、博多、佐賀、など大都市がある。ネットカフェなどたくさんある。 
 そうだそうだ、ネットカフェにしよう。

 でもネットカフェなど利用したことないから、どんなものか全くわからない。そこで今日、ためしに田宮にあるネットカフェに行って初めて利用した。

 フロントで説明を受ける。ここの登録をするが無料でカードを作ってくれた。

 どんなものか知りたいだけなので30分利用する。料金は200円だが飲み物飲み放題なのでさっそくホットコーヒーをセルフするが、ドリップ式で結構おいしかった。これ込で200円は安い。
 

 店を出るとき350円の割引券をくれた。次回はもう少し長くいて、ここからアップロードしようと思う。要領を飲み込めたら、旅で使おうと思っている。

2012年9月17日月曜日

平城宮資料館・ちょっとばかし技術史


 資料館の発掘物の写真
 昔の筆記用具は。紙(和紙)、毛筆、墨と思ってらっしゃいませんか?
 平城宮の昔でも紙はありましたが、貴重なため普通は木簡という薄い木の板に墨書しました。上記の写真の板ベらがそうです。その上に直角に置いてあるものは小刀。何のため?これ、消しゴムのようなものです。間違えれば小刀で木の表面を削り字を消すのです。

 硯は丸いですね。そして墨があります。油煙の煤と膠から墨を作ります。1300年たった今でもこの奈良は墨作りで有名なこと、知っていましたか?

 ところでこのブログを読んでるあなた!墨などすったことありますか?そもそも「墨をする」意味が分からない若者が増えていますね。

そっくりそのまま移転
 昔の日本の木造建築は釘、金具留めなんかは使わない。ロゴのように挿し込み式、組み立てで作っていく。だから、解体し、運び、また、組み立てることも容易である。

 ここ平城宮では木簡、小物の遺物は発見されているが、大極殿、朱雀門の柱、瓦などは埋もれた遺物として発見されていない。
 それはここから長岡京(京都)に遷都する時、すべてばらして持って行ったためである。そして長岡京の予定地で正確に元のように組み立てるのである。

 下の写真は遷都のため、建物をすべて解体し、運ぶところである。

台風16号


 直撃はなく、半島の方へ行っているのでここらは安心だが、時々の驟雨、突風で台風の通過を感じさせる。今日は一日雨の天気だ。

 ところで日本ではこの台風の名前は『2012台風16号』である。嫌われる天気現象だから、こんな味気ない名前でもいいのかもしれないが、世界で通用する普遍的な名前もある。その名前は

 『サンバ・SANBA』

 なんだか羽毛で飾り立てた半裸のプロポーションのいいお姉ちゃんがドンチャカドンチャカ、サンバを踊りながらシナ海を北上するイメージがある。

 『ちょっとふざけ過ぎているかなぁ~』


 

2012年9月15日土曜日

秋の野の花を求めて


 いつもなら九月中旬となれば、曼珠沙華の茎のみの花が地から押し出されてように畦や墓地に出てくる。
 しかし今年は残暑が続くためか夕方、自転車でで畑や田の畦、山際の小道、草生した墓地などを廻ったが一輪も発見できなかった。来週水曜の19日が彼岸の入りとなる。曼珠沙華はヒガンバナといわれているが今年は花期が遅くなるのではないだろうか。
 もっともこの花はある日急に出てくる。19日を境に目立ち始めるかもしれない。

 曼珠沙華は見つけられなかったが秋桜・コスモスが咲いているのを見つけ写真に撮った。

2012年9月14日金曜日

鈍行列車の旅

 
 今は長距離の鈍行列車の旅ができなくなっている。理由は
 
 ●長距離の鈍行列車が(周遊きっぷでただ乗りできる急行も含めて)なくなり、長距離は特急ばかりになったこと

 ●北海道、九州も含めすべての『周遊券』が廃止になったこと、

 私が学生のころは学割『周遊券』の旅、全盛時代、で行きかえり北海道のような遠くであっても鈍行(普通列車と変わらぬ急行)を利用した。
 長距離の鈍行だから、当然、よっぴて(一晩中)走らねば、目的地に着かない。昭和40年代までは深夜列車、長距離鈍行はたくさん走っていた。
 ところが今や深夜の鈍行・急行などは絶滅してしまった。それどころか今は寝台特急も無くなっている。
 しかしこの時代、長距離の旅行は鈍行深夜便が普通であった。

 20代のころ乗ったのは、東京発美濃大垣行き深夜鈍行列車、北海道へ行くときに乗った深夜列車は『きたぐに』(大阪発青森行き、周遊券を持っていれば上乗せ料金はいらない)、
 小学6年のとき、祖母と一緒に九州へ行ったとき乗った深夜列車は『月光』・・・・・・・・

 どれもこれも旅情をかきたてる列車であった。

 今、鈍行(各駅停車)の旅をしようと思ったら、昼しかできない(夜行列車がない!)、そして短・中距離列車しかないから長距離移動は乗継をしなければならない、それも何度も、乗継のアクセスがうまくいかず、駅でずいぶん待つこともある。
 それでも列車に飛び乗り、一駅ごとに旅情を噛みしめる鈍行の旅はいいものである。

2012年9月13日木曜日

しゅんちゃんのおとうさん

 
 訓練校でもっともよかったことはしゅんちゃんと知りあえたことである。私と2人一組の作業パートナーを組んでいたが、こんな息子がいればいいな、と思うほど、思いやりがあり、親切な若者であった。

 2か月の短い間だったが、孝行息子のような気がしていた。

 よく作業以外の話もした。その中で、しゅんちゃんのお父さんは私より2つ年下であることを知った、同年代といってもよいだろう。だからまあ、私にこんな息子がいても不思議ではないはずだ。
 でも、残念ながら私の息子ではない。

 しゅんちゃんによれば、(私は会ったことがないが)お父さんは、私とウマが合いそうである。だから

 「おやじに合わせたいなぁ」

 と言っていた。

 このお父さん、私と同じでブログを作っている。しゅんちゃんから教えてもらってよく覗いている。訓練所最後の日、しゅんちゃんからお父さんの剣山ピアノコンサートの話を聞いた。

 なんと、自分で電子鍵盤楽器を剣山山頂まで持ち上げ、ピアノを弾きまくったそうである。

 私もかなり変わったことをやってブログのネタにしようとたくらんでいるが・・・・・・

 「しゅんちゃんのおとっつぁんにはかなわない!」

 これがその動画である。

 ここクリック

平城宮を歩く

 今日は神戸からアップします。

 暑い中、広大な平城宮跡を歩きました。動画をご覧ください。
 

2012年9月12日水曜日

ひとり旅 その3 東海

今日も名古屋の甥のパソコンから投稿しています。今日は東山動物園、熱田、岡崎へいきました。34度の暑さの中、歩いたのでくたびれました。

コアラを見ました


家康のふるさと


七里の渡し

2012年9月11日火曜日

2012年9月10日月曜日

我が甥


 私の神戸の甥は、大学4年で就職も決まっている。趣味の一つはギターで今日も後輩のいる軽音楽部に教えに行っているというからそこそこ弾けるのだろう。
 それはまあいいとして、いま私がパソコンで打ち込んでいる前でせっせとやっているのがこれ
 テレビを見ながら手元も見ずに毛糸を編み上げて行っている。

 編み物が趣味なのである。金玉のついたれっきとした男であるのだが・・・・・私なんかは、最初見たときは、う~~ん、とうなるほど驚いた。しかし、最近の若い男の子はこんなことは不思議でもなんでもないのだろう。趣味の多様化か。

一人旅 その1 神戸


 今日は神戸の甥のパソコンから投稿しています。とりあえず今日行ったところをざっと編集し、動画にしました。

2012年9月8日土曜日

20代の終わりころよく聞いた曲


 この歌手亡くなってもう31年になるんだ。山奥で配流のような生活を送っていた20代最後の歳、カセットでよく聞いたっけ。

 一人旅が好きだったからこの人の歌はどれも好きだった。
 20代が終わるころ訃報を聞いた。早すぎる死、惜しい歌手だった。


歌手 ラキアーノ・キシーニ 我が田舎町に来る


 昨日のブログでは閉店になるビデオ屋のことを書いたが、この横に大きなパチンコチェーン店Mがある。ここはいつも賑わっている。

 昨日借りたDVDを返しての帰り、この前を通ったら、おばさんたちが出入り口近くに大勢いて興奮したように何か言っている。聞くと今日、歌手が来るそうである。時間を聞くと数分後に入ってくるので撮影してみた。

 店内には注意の放送があり、携帯、デジカメ、ビデオ、撮影は自由だがネットになどは流さないように言っていた。

 それを無視してブログの素材にするのだから歌手の名前は明かせない。仮に『ラキアーノ・キシーニ』とでもしておく。ラキアーノ・キシーニ、何かイタリアのオペラ歌手っぽい名前だが、これはこの歌手の本名の判じ物になっている。
 こんな田舎のパチンコ屋に歌いに来るんだから昔流行った歌手である。

 「わかりますか」

2012年9月7日金曜日

開く店閉める店


 久しぶりに新作DVD廉価ビデオ店に面白い新作を求めて行くと入り口にこんなお知らせが


 閉店のお知らせである。鴨島には大手のビデオチェーン店が3店ある。T屋、G店、そしてこのK店である。その中で新作DVDはこの店が一番安く借りられる。以前は105円、3月からはさすがにそれでは利益が上がらないのか130円になったがそれでも他の2店の半額から三分の一の安さだった。

 我が町でどれほどの人がビデオをレンタルしてみるか知らないがこんな田舎町に大手が3店もあるのは多い気がしていた。それに加えてほとんどダンピングともいえる値下げである。Kは新作で廉価を売り物にすれば、Gは旧作を50円に値下げする。利益は上がらないどころか赤字ではないかと思っていた。

 結果は、やはりK店が撤収することになった。ビデオ店の過当競争の末路であろうか。

 我が町でこの過当競争が激しさを増しそうな店が他にもある。外食チェーン店の出店ラッシュである。この一年以内に

●某大手回転寿司屋が以前からあった回転寿司のすぐ前に嫌がらせのように出店した。一皿90円の安売りをやってる。

●大手うどん屋の開店

●某大手牛丼屋の開店、280円の並みと味噌汁・漬物80円の組み合わせ350円で腹いっぱいになる安さだ。

 「いったい我が町にどれだけの需要があってこんなに出来るのか!早晩、潰れていくのではないだろうか。」

 いずれの店も安さが売りの外食である。客の取り合いの上、利益も上がるまい。消費者としては安ければいいようにも思うが、経済はそんなに消費者に甘くない。安売りの過当競争はまわりまわって給料の値下げ、失業、不況に結びつく。よいことではない。

 それに店が潰れるのは感情的にも何か嫌なものである。

 って、こらこら!ワイのこのビデオの利用カードまだ半年残っている。(毎年200円の保証料を払っている)、今日聞いたらこのK店は他のチェーン店では使えぬシステムという。ちょっと損したではないか。

2012年9月6日木曜日

空海の道を歩いた


 いつかは歩きたいと思っていた藤井寺から焼山寺への歩き遍路の道を歩いた。焼山寺まで歩けるか不安だったが、休みながら約8時間余りかけて焼山寺、そしてその麓の鍋岩まで歩けた。

 動画もあります
 

2012年9月4日火曜日

野外彫刻展 芸術は性欲の昇華だ、ああしょうか


 あっしの高校時代、昭和43年頃、真面目な高校生の悩み事相談が高校生ジュニア雑誌などに載っていたが、その中でこんなのがあった。

 『高校の男子です。マスターベーションを毎日します。多い時は一日2回もします。やめようと思うのですがとまりません。終わった後でもうやめようと思いますが、股(また)(せんずりを)かいてしまいます。止めるはずなのに誘惑に勝てなかった自分に罪悪感を感じます。
 どうしたらいいのでしょう、相談にのってください。』

 今だと、大いにおやりなさい、いいことですよ。と励ます相談者もいると思うが、当時はそうではなかった。時代を遡ればこんなお説を垂れる相談者がいたのだ。

 『禁欲的に全くやめるには及びませんが、回数を減らしましょう。スポーツや芸術に興味関心を向け、マスターベーションのエネルギーをそちらの方に使いましょう。これを心理的には昇華といいます。』

 ふむふむ、性欲は大いなるエネルギーの源となる。これは納得できる。またそれを昇華で高次(?)な芸術に向ける。これもありそうでそうかな、と思う。
 しかし、マスターベーションを一日何回しようが、まったく我慢しようが、そのことがこのような心理的な昇華のメカニズムに影響しようとは思わない。
 なぜなら禁欲してる人がそうでない人より芸術的に力を発揮しているとは思えないからである。

 まあ、そういうわけで、センズリ(マスターベーション)を減らす必要はないが、性欲は高次なものに昇華してある象徴された造形芸術になりうるということにしておきましょう。

 さて、みなさん、右手をだして広げてください。そして人差し指と中指の間に親指を挿入(?)してグー(拳固)を作ってください。これは日本では(ほかの国でも)性行為そのものの象徴となります。拳固の指の間から親指がちょこっと顔をのぞかせるのが、なぜそうなるのか、これは高度な知能を持った人間の象徴行為です。もちろんよく似た連想を働かせるから象徴となるものです。
 この象徴という作用が人間になかったら芸術は生まれなかったでしょうね。

 ぐだぐだ述べる前置きはこれくらいに、徳島公園、秋の野外彫刻で『性リビドーの象徴』ではないかと私が見た作品をご紹介します。

 製作者がつけた主題は『たわむれ』、しかし私がつけるとすれば69・シックスナイン!
 平面的写真ではわかり難いと思います。まあ、百聞は一見に如かず、公園まで足を運んで一度ごらんあれ。

2012年9月3日月曜日

楽しみで昼休み外へ出たが、悲しいほどその時間は短い


 まったく授業が面白くない。丸一日瞑想状態、体調も悪く、咳が出る。もうやめようかなぁ
 
 昨日紹介したように昼休み自転車で走ったが、弁当を食べて出かけると、残りは25分しかない。どこまで行けるか。
 
 フェリー乗り場まで行きたかったが、遠くから眺めてここから引き返す。


 帰り、津田から水門越しに河口を隔てて我が訓練所を眺める。

 訓練が終わり自転車ですいすい帰ってくると、早くも秋の、それ!例の『野外彫刻展』の作品が公園に並べてあった。

 これ、主題は徒競争の『よ~いドン』らしいが、よく見ると顔と目がこわ~~~い。

2012年9月2日日曜日

再び楽器をやりたいなぁ


 勝ぼうずさんの最新の動画を見た。ピアノを弾いている。最近でも練習しているそうだ。私はもう20年来ピアノを弾いていない。しかし、勝ぼうずさんのがんばって弾いてる姿を見ていると、また私もやりたくなった。


 でも金に困って20年前にピアノもエレクトーンもうっぱらってしまった。練習のしようがない。
 一応、大学院まで行って音楽の勉強をした。その当時は、この勝ぼうずさんが弾いてる曲の楽譜のアルバムはこなしていたので二十数年前までは私も弾けた。
 だが、今、弾けといわれても勝ぼうずさんのよう弾けないだろう。

 私も安価な電子ピアノを買って、もう一度やろうかな~

 下はまだ楽器を手放さずに持っていたときの家での練習風景です。

 

徳島駅へ自転車を持ってきた


 訓練も2か月が終わり、明日から3か月目に入る。この2か月、朝、訓練所に入ったっきり終わるまで訓練所に閉じこもりきりだった。3か月目に入り、変化をもたらすために昼休みは外へ出て時間いっぱいウロチョロしようと考えた。健康にも精神衛生上もよい効果をもたらすだろう。
 そうはいっても昼休み歩くには、ここは辺鄙すぎる。自転車でもなければ外へ出てちょっと動くにも動けない。

 そこで今日の日曜、家からとりあえず自転車を徳島駅まで乗って持ってきた。

 午前8時半に出発。9月に入りこの時間は涼しい。
 少しだけ色づいた田んぼから高越山を見る。

 9時40分には鮎喰川橋を渡る。

 途中蔵本公園で少し休んだが10時過ぎには、出来島橋を渡った。出来島橋から城山が見える。

 明日からしばらく昼休みは自転車でウロチョロする。
 昼飯はどこで食べよう。アスティー、新浜、護国神社、県庁前ヨットハーバー・・・・・・津田の海岸で弁当を食べるのは時間的にどうかな。何せ昼休みが45分しかない。遠くへは行けまい。