2013年3月29日金曜日

お諏訪さんのさくら

 
 諏訪神社の横を通ったら、満開の桜、でも人気がない。

 「こりゃ、いいわ、散策にもってこいじゃ」

 ということでさくらを見つつ動画を撮りました。

2013年3月27日水曜日

よく効く痩せ薬

老化の宣告


 ブロ友に先日『やまさんは押しも押されもせぬ立派な爺さんですよ』とコメントで言われていた。普段から『ワイは爺さんじゃ』と自分で自虐的に言っていたので、ご愛嬌のあるコメントと受け入れていた。爺と自覚していると思っている一方、それを洒落で笑い飛ばす余裕もあった。爺さんになろうが心身さえ健康なら老化など何するものぞ、とひそかに思う気持ちがある。

 しかし、昨日、冷厳で客観的な老化の宣告があった。3年前からパソコンをやりだしてから中年以降あまり進まなかった近視の度数が上がってきていた。最近は遠くも近くも見えづらくなっていた。そこで目の矯正方法や眼鏡買い替えの適切なアドバイスを受けるため眼科を受診した。

 アドバイスと眼鏡の処方のみと思っていたが、『強度近視なので眼底検査と水晶体の検査もしましょうね」と若い女医さんから言われ、アトロピン点眼を受けたのち検査をした。結果は

 「見えづらくなっているのは、水晶体の白濁傾向、すなわち白内障が進んできているからでしょうね。」

 近視の度が上がっただけと思っていた私は動揺!

 「えええ!白内障って、それ、手術しなければいけないんでしょうか?私の目の進行は早いんでしょうか?」

 それに関して私は次々質問を浴びせインフォームドしてもらう。かなり丁寧に説明してくれたが、急に言われたので、はっきり言って動揺がありよく飲み込めない。しかし、要点はわかった。

 ○眼鏡の矯正で視力が出るなら、医師からは現在のところ積極的には手術などは勧めない。

 ○将来は手術が必要になるかもしれない。進行の度合いによって個人差がある。

 つまり、そんなに喫緊の対処が必要な白内障ではない。(眼底検査では他の異常はなかった)

 「先生、原因は何でしょうか?進行を止める予防法はあるんでしょうか?」

 先生はきっぱりと宣告。

 「老化です!」

 この日、これを聞いた後、なんだか気力が萎えてしまって何をする気も起こらなくなった。家へ帰っても、アトロピン点眼で瞳孔が極大に開いたため薬が切れる6時間くらいはまぶしくて物がよく見えない。

 仕方なく家でごろ寝をしながらぼんやりしていたが、気晴らしに昼間からハイボールをちびちび飲んでいるといつの間にか眠ってしまった。

 目覚めても落ち込んだまま、回復に一週間くらいはかかるだろうなぁ~トホホホホ。

 

2013年3月25日月曜日

さくらよおまいは鯨か

 
 今、桜の開花期を迎え、花が注目されるが 桜は実も葉も樹皮もその木材も有用なものとして使われる。

 まず実であるが、これはサクランボと呼ばれる。山形産の何とかいうサクランボの品種はその色艶、味、驚くほど高い値段のため宝石のルビーに例えられたりする。高価でワイなどは口にすることもできない。

 実はワイが子供のとき家にサクランボの実のなる品種が植わっていたが、ほったらかしにしていたから実の熟れるころにはほとんど鳥に食べられた。それでも小さいながらも残った実を食べておいしかったのを思い出す。

 サクランボは高くてなかなか手が出ないが、桜の葉っぱの塩漬けで作った桜餅は値段も安くおいしいのでこの季節、思い出したように食べる。今日も2個入りを買ってきた。

 若い人は和菓子の桜餅などあまり好みでないかもしれない。しかし、ワイは大好きだ。桜餅独得の香りが何ともいえずよい。ネットで調べると、これは桜の葉に含まれている『クマリン』というものが香りの主体だそうだ。シナモンやコーヒーの香り成分と親戚の物質らしい。

 上の桜餅は関西風だそうだ。昔からわが徳島もこの桜餅だ。中の餡は漉し餡の道明寺、外側の餅はもち米を『半殺し』(全部搗いて餅にしてしまわないで半分もち米の形を残して搗く)にしたもので粘りの中に粒々の食感がある。

 次は樹皮である。これを煎じたエキス、あるいはアルコルで抽出したチンキは『咳止め』に良く効く。民間療法の怪しい生薬ではなく本当に良く効くらしい。一度、試してみようと思うが桜の樹皮を集めるのは結構骨が折れる。

 他にも樹皮は着物を織るのにつかわれる絹糸の「さくら染」に使われる。着物が本当に桜の花びらのような上品なピンク色に染まるから不思議だ。花びらを集めて染料にとはならず、その樹皮が桜色を出すというのも面白い。

 最期は木材である。これは高級家具、化粧板に使われる。国会議事堂の演壇、手すり、椅子、化粧柱など格調高い木部は奈良吉野の桜の木でできている。

 こう見てくると桜は花は愛でられ、実は超高級果物、樹皮はさくら染、咳止め、木材は高級建材、葉も餅やほかの食材として用いられる。桜の木全体は捨てるところなく利用できる。

 日本で捕鯨が盛んなりし頃、鯨は捨てるところなく全部役立つのだよ、と教えられたが

 「さくらよ、おまいは鯨か」

2013年3月22日金曜日

判じ絵 二階の女が気にかかる季節


 二階の女が気にかかる季節となりました。
 
 「何のことやろ?」


 さくらを通してみる鉄コンキンクリートの二階建て、その二階に美女がいる。どうも気にかかる。

 「さて、この判じ絵、どういう意味じゃろ」

 もったいぶらずにさっそく絵解きをしませう。

 2貝(にかい)の女が木にかかる・・・・・・・・・・・櫻  

 正解は旧字体の櫻、で、二階の女が木にかかるで桜の季節です。う~~ん、いつもながら知的で大変勉強になるダジャレだわい。これで旧字体の桜の文字も覚えたでしょう。

 ばんざ~~~~いヽ(^o^)丿 桜の季節だぁ~~~~い!

 もう場所によっては(なぜか徳島公園より山際の方が早いぞ)満開に近い桜が。

 ツバメのつがいも帰って来た。


2013年3月21日木曜日

スポーツ2題


 マラソンマンさんに今日お会いしたら、夜8時半から仲間と田宮陸上競技場で走るといっていた。スポーツウエアを着ていたので
 「若いねぇ、後ろから見たら高校生に見えるわ」
 といったら照れていた。


 『選手宣誓』といえば、甲子園だ。どういう経緯で選ばれたかわからないが、徳島の17歳から選ばれたのは名誉なこっちゃ。

 スポーツは『清く、正しく、美しく』、宣誓はそれを言葉にしたものか・・・

2013年3月20日水曜日

吉野川市チェリーライン


 吉野川市の川島から美郷まで山越えで行く道は桜が一定間隔で終点まで植わっていて桜の街道になっている。人はチェリーラインと呼ぶ。

 チェリーラインの最高点は峠になっている。茶屋はないが「峠の茶屋」と言われている。その付近の桜はまだつぼみだ。

 しかし途中の桜は3分咲きから5分咲きである。今年の開花はずいぶん早い。

 一週間後には満開が見られそうだ。

2013年3月17日日曜日

わが町の大マラソン大会

 
 うちの家から数百メートル北へ行ったところに吉野川の『源太の渡し』がある。その渡しには、昔のことで恐ろしい言伝えがあるが、今回はそれはパス。その碑の下の河川敷に車、人が集まって大賑わい、なんじゃろか?

 今日は我が町の大マラソン大会、大勢のアスリートたちが集まっている。

 まだ出発には少し早いがウォーミングアップか、さっそく走っている人もいた。菜の花と一緒にパチリ!

 選手の中でかわいいバニーちゃんがいたので横から撮らせてもらった。こんな格好で走るんだろうなぁ~、だってゼッケン縫い付けてるぞ。

 いよいよ出発だ。やっぱりバニーちゃんのような着ぐるみオッサンもいた。先頭にはキリンが・・
 後は動画でどうぞ。

2013年3月16日土曜日

可憐なスミレなのに

 
 コンクリートで固められた道路の隅の段差のちょっとした割れ目から何株かの雑草が生えている。その中に小さな小さな花が咲いている雑草がある。


 よく見ると

 「スミレだ」

 よくこんなところに生えて花開いたものだ。何年も前にテレビでアスファルトの割れ目から生えてきた大根を『ど根性大根』と名付け、もてはやしたが、その云いでいうと『ど根性スミレ』である。


 スミレが咲き、桜もそろそろ開花だ。いよいよ春だ。

 この季節ワイが生まれた。本日はあっしの誕生日。

2013年3月14日木曜日

体調に気をつけましょうね

 春は三寒四温とか言ったりするがこの一週間、気温はジェットコースターのように上がり下がりしている。昨日は汗ばむくらいだったのに今日はまた寒くなった。風もあるので余計に寒く感じる。

 またアレルギーや有毒化学物質の微粒子も風に舞っている。それが原因で呼吸器系ばかりでなく全体の体調にも不調をもたらしているようだ。もともと春先は何かと体に変調をきたすものである、それやこれやで不定愁訴を訴える人も多い。

 「みなさん体調に気をつけましょう」

 って、何か特別のケアの方法も思いつかない。

2013年3月13日水曜日

人生の川の最後の渡しを漕ぐ船頭

 最近は高齢になっても元気で活躍している人が多い。それに逆らって今日は落ち込み沈むような歌日記にしました。暗いのがいやな人はパスしてください。

 船頭といえばおじいさんというイメージがある。

 ところで、いったい何歳くらいからおじいさんだろうか?昔に遡るほどおじいさんになる年齢が低くなるのはわかるが・・・・・・・

 昨日ある新聞を読んでいて昔、おじいさんになる開始年齢のコラムを読んで小さなショックを受けた。そのコラムはある童謡を紹介していた。聞いてください。


 『今年六十のおじいさん~』 昔の年齢は「数え歳」だから今の満年齢で言うと59~58歳。ヒョ~~ェェェ~若すぎる。

 でもそのコラムも言ってるようにそれはあくまでも昔の話、面と向かっても60歳でおじいさんとは言わないし、言わせない。第一、いまどき渡しの船頭などほとんどいまい。還暦を過ぎても働いている人も多く、若く見える人ばかりである。一般的にも60歳ちょいでおじいさんなどといわれまい。と、コラムは結んであったように記憶する。

 しかし、別の記事では、あまりまじめでない漫画家が

 「60歳過ぎてお若いですよ、50や40歳代に見えますよ、なんどといわれるのは、人のしぐさのできるおサルに向かって、まるで人間のようですねといわれるようで、ヤダ!」

 とかいっていて、う~~ん、そうかな、でも若く見えるのはいいじゃん、とも思えるが、深夜番組で延々流すCMでの薬だの、器具だので若作りの高齢者を見ると、ちょっと痛ましく、うなづけるところもある。

 船頭の爺さんなんど、ワイら世話にはならんわ、と思うが、日本ではあの世に行くのは三途の川の渡しをわたる。ヨーロッパでも地獄の境は川があって渡し守・・え~っと、確かカロンとか言う爺さんがいる。

 人生の終末には渡しで川を渡るのだろうか。

 先日、大阪に行ったが、有名な曽根崎心中のここをお参りした。


 心中の道行きで幾つかの川を渡る(大阪は川が多い)、この二人も人生の最後の川を渡ったのだろうか。
 最後にそのようなイメージの歌をお送りします。

2013年3月11日月曜日

老いの就職

 年度替わりの節目ということで、なんか犬棒のようにいい話がないかいなぁ~とハロワに行った。

 状況は厳しい。でも幾つかの件数をプリントした。

 その後、図書館に来ると、見知った顔が。去年の夏、ポリテクで一緒だった人にあった。50歳ちょい前くらいの人で、以前は公務員関係の臨時職をしていた人だ。まじめな雰囲気の人である。

 「就職できましたか?」

 と聞いたが、まだとのこと、現在も求職中である。この人でもまだ就職できないのに還暦を過ぎた私などが厳しいのも当たり前である。

 「老いの就職は難しい」

 そうなれば自分で商売するか、自由業で何かの業を開業するかだが・・
 ワイは商才は全くない。不動産業の資格一つと法律関係のサムライ業(いわゆる士業)の資格一つ持っているが経験もないのに資格で食べていけるほど世の中甘くない。

 年寄ってなんかできるいい仕事があればなぁ~と思いつつ図書館の新聞を読んでいるとこんなお芝居の広告が

 若き信長(おそらく十代)と道三の娘、濃姫(当然こちらも十代)の輿入れにまつわるお芝居である。

 「こらこら、おまいら、いったい何歳でそんな役をするんじゃ、みんな70歳過ぎとろうが!」

 そうだ、役者なら、年寄りのキャラもいるからたとえ何歳になってもできる。主役は無理でもこの写真の下にあるような雑魚の役者にでもなれんかいなぁ~

ついでに老いの就職から、甥の就職に話はとびますよ。  
 4月から甥はピカピカの社会人、東京で就職が決まった。甥はかなり変わった青年で、まずありえないような稀有の趣味を持っている。まあ、その趣味が就職を助けたとの噂だが。

 秋に行ったときは編み物をしていてぶったまげた。

 今回は和裁を習ったとかで自分で縫った着物(ゆかた)を着て見せてくれた。またまた、おぶけた。

春色

きいろ   
 なんといっても最近の気になる色は『黄色』 大陸からの黄砂とともにPM2.5、昨日、一昨日、空気まで薄黄色に染まっている。健康被害が懸念される。春の黄色は菜の花、をイメージしたいがC国の影響で嫌な黄色のイメージが定着しそうだ。
 で・・・・・・・・・・・・某国首都のようす。

 日本の自然は大したもんで一昨日までの黄砂も昨日昼からの雨で洗い流され今日は澄んだ春の景色となった。冬から早春でも雨の多い我が日本の自然を感謝しなけらばならない。北京などは冬春先など雨が極度に少ないうえ、大陸内部の砂漠化だ。上記の絵のように大変なことになっている。あの国が豊かな水や森のある日本の土地をふんだくろうとする悪巧みもそんな動機があるのかもしれない。

 ワイらが子どもの頃、昭和30年代の迷惑な黄色の霧といえばこれだった。

 列車のトイレは下に穴が開いているだけのもの。ブリブリ、ジョォ~~~と排泄したものはそのまま重力によって下に落とされる。だからトイレの注意書きは、『停車中使用禁止』!そりゃそうだ、停車中にしたら、駅の線路校内にウンチの山が・・・・・ドヒョェェェ~~

 走行中にウンチ・ションベンをしたらそんなことにはならず、走行の気流によって『黄色い霧になって拡散する』・・・・と一応は言われていたが、夏など沿線の家で窓を開け放って飯を食べたらえらいことになる。黄色い霧がオカズというのは笑えない。

 でも今年の黄色い毒霧よりこちらの方が長閑でいい(どこが!)

桃色    
 春はやはりこれだね。
 今日の城山と助任川沿いの蜂須賀桜並木。いつの間にやら華やかな彩になっている。

 日の光も強くなっていて、公園を散歩する女性も日傘をさしている。
 

2013年3月5日火曜日

梅林

梅林の丘から
 むこうに向麻山が古墳のように見える

梅と千年樟
 梅花を通して見えるのは樹齢千年のクスノキ

2013年3月4日月曜日

あ~~ら、たえちゃんの湯

 
 今日、初めてあ~~ら、たえちゃんの湯に入った。あえてワイは正式名称など呼ばんぞ!

 どこかぃな~?と田宮街道を東進すると、

 「たいしたもんだよ、カエルのションベン、見上げたもんだよ屋根屋のふんどし!」

 ガードマンがいて案内しているではないか。指示に従いラーメン屋の横を入る。
 入り口

 「あらたえ」などとのネーミングで内部を期待していったが全くの当て外れ。

 だいたい「あらたえ」とはワイらの住む麻植郡が古代に朝廷に貢物としてささげた由緒ある布地に基づく名前、これを捧げる部族名はワイらの祖先の陰部一族、いや違った!「忌部一族」。その一族にとって宝物のような名前。

 ところが名前だけパクっておいて内部は、えびす湯、アイアイ湯などと変わらぬ凡庸な配置、せめて、古代忌部一族があらたえ布をおる織姫のモザイク画でもあれば、と思うがそんな風呂の絵も一切なし。

 ただ源泉露天に、その「あらたえ」の語源由来の看板が申し訳程度に掲げてある。でもここは昔は名東郡だ、麻植郡など何の関係もありゃしない。また忌部一族とも関係なさそうだ。ただ説明書きにこの源泉は「古代の海水が地下で煮詰まったもの・・」との説明が・・・・・古代の海水が何で、忌部一族の布地になるかよ~~~わからん。

 「それだけかよ!」

 歴史にうるさい私にとって、我が麻植郡の文化歴史を象徴する「あらたえ」をこんなに安易に使って欲しくない。

 娯楽設備である喫室、カラオケ(歌)、もあり俗の温泉だから、ワイがええ名前を奉ろう。

 「茶歌凡の湯」(ちゃかぽんのゆ)

 がいいところだ。

 それでも「あらたえの湯」にこだわるならせめて古代において、あらたえを織る織姫のモザイク画でも壁に描けばよい。

 『古代に倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)は織姫で織物を機(はた)で織っていて、何かにびっくりして、ホトをヒで突いて(女陰を杼・機織りの道具)死んだという神話がある。これなどは風呂の壁画にふさわしいと思うが。」 ※記紀神話に載っている真面目な歴史物語ですよ。

2013年3月2日土曜日

傷の処置


 昨夜、思わぬ怪我をした。動転し、怪我にもかかわらずバタバタした。前の怪我は「指ポキリ」なので、自分ではどうしようもなく幸いけがから近い場所にあった県立中央病院の緊急にすぐタクシーで行ったので自分で処置することはなかった
 ところが昨夜の怪我は、けっこう深いとはいえ「擦り傷」である。病院へ行くこともあるまいと自分の家に帰っての自己処置である。ちょっと厄介なことになった。

 というのは、家に帰って救急箱を開けると、薬やばんそうこう、包帯が入っているが、実は私は今まであまり怪我をしたことがなく使ったことがなかった。中身を見ると前世紀の遺物ばかり、つまり、期限切れで20年は経過している薬である。包帯はエジプトのミイラに巻いたように変色しているし、バンドエイドらしきテープのパラフィンは触ると粉々に砕け散った。消毒綿だのガーゼなどは見当たらない。

 『こりゃぁ、あかんわ!』 『薬屋に買いにいかなあかんわ』

 とりあえず、水で洗った後、止血しなければならないが、薬箱がそんな状態でしかたないので、マッサラピンピンのマスクをとりだし、ガーゼの代わりに手に押し当て緊急にガムテープでとめる。そのあと自転車で近くの薬量販店へ行って外用薬、テープ、カット綿、ガーゼを買う。

 怪我などはしないに越したことはない。怪我をしたら即、病院という人もいようが、ちょっとした怪我はまず自分で処置するものだ、いざ、その時になって、薬箱の中身が・・・・・ない!役立たない!・・では困る。普段から準備を怠るべきではない。

 「ワイのようにあわてんように」

 それで思い出すのは、昔の、エッチラ・オッチラ全国行商の「越中富山の薬売り」である。こんな人知ってますか?知ってるのはまずワイより上の年齢の人だろう。
 薬売りさんは子どもの頃、毎年一回家に回ってきて一年使った薬を確認し、代金の清算をする。そして古くなった薬は新しいのに交換してくれる。つまりはいつも新しい常備薬が薬箱に保管されているのだ。薬箱は厚手の段ボールで作った引き出しの箱だった。そして回収に来て清算する時にはワイら子供にはちょっとしたおもちゃをくれるのが習慣だった。こんな紙風船だったが・・・
  そんなエッチラオッチラ薬売りさんも昭和30年代が終わるとともにいなくなった。
  そうそう、こんな戯れ歌も歌ったっけ

 ♪~越中富山の薬売り~♪、鼻くそ丸めて万金丹、馬のションベン水薬~♪