2013年1月31日木曜日

春霞立つや・・・と言いたいところだけど


 寒中でありながら今日は晴天で昼ごろには気温が12度にも上昇するとのことで街中から南山のふもとを歩こうと十時過ぎ鮎喰駅で降りた。
 南へ少し歩きJR線と平行に走っている旧街道を歩くと蔵本の運動公園へ出た。そこから山を見るとボンヤリ霞んでいる。

 冬の空気の澄んでいる日は眉山山頂、スカイランド眉山などもくっきり見えるが、霞んではっきり見えない。

 『春霞か?はたまた黄砂か?』

 どちらも春の歳時記である。優雅に詩情に浸り、一句といいたいが・・・・・・・

 北京が史上最悪のスモッグに覆われて大変だとニュースで聞いたのは二日前である。発がん物質だのその他の有害物質をたっぷり含んだ濃厚な空気のスープに北京は覆われているらしい。

 『自業自得か!』

 と突き放してさめた見方をしたいが、そのあとのニュースの続きには冷やりとした。

 『わが国も対岸の火事と、人ごとでは済ませれません、その超微粒子の飛来物質は偏西風や黄砂に乗って西日本まで飛来します。』

 まったくもって迷惑な国だ。日友好というが、この国、何かすかれるような事があるだろうか、探すのに苦労する。卑近な例ではごみ屋敷のおばはんが不潔を振り撒き、まわりに迷惑をかけることがあるが、結局、近所や町内会が片付けなければならないみたいだ。日本も因果な国の横に位置したものだ。

 ・・・・・・・って、今日はボヤキになりました。でも最後は美しくまとめましょう。
 和泉式部女史の和歌より

 春霞たつやおそきと山川の岩間をくくる音きこゆなり 

 立春もまだの今日、春霞立つや遅きとは言えないが、午後の暖かさは春そのもの、暖かさに誘われ南山の麓から山中に入りました、しばらく行くと小滝がありこの和歌のように音が聞こえてきました。春らしい水音に聞こえるでしょうか。

2013年1月29日火曜日

えっとぶりに歩いてくたぶれた

 
 天気がよく、風もない今日、国府駅から考古資料館まで歩いた。片道40分あまりである。資料館のテーマは『蔵本・庄町の考古資料』だった。

 「おもっしょいんかいなぁ~」と期待していったが期待外れ、錆もぶれの鉄器らしきものだの、石のかけらとしか見えないものばかり、特に紹介するようなものはなかった。

 唯一、縄文時代のジオラマがあったので動画に撮った。


 行き帰りに札所の観音寺のすぐ前を通ったがお参りはしなかった。

 えっとぶりに長距離歩いてくたびれかえった。

2013年1月28日月曜日

雪の朝


 雪は昨夜のうちに止んだが気温が低かったため、積雪が残り、凍りついた朝となった。

 川も凍っている

 道も雪
 公園
 寒椿も雪を被っている

2013年1月24日木曜日

マラソンマン

 マラソンマンさんは50代だけどまだ青年のようにみえる。マラソンをしているため無駄な贅肉が全くないからそう見えるのか、走るときは無心に走るという心構えが青年のように見せているのか、どちらかわからないがたぶんその両方だろう。

 フルマラソンの大会にも積極的に出ている。来月は丸亀、そして高知でも走るといっていた。もちろん徳島マラソンにも出る。仕事や家庭の雑用で忙しいのに練習の為に暇なときは走っている。

 42キロ走るマラソンマンさん、無理はしないといっていたが完走するだけでも大したもんだと思う。動物の中には走ることにかけてはヒトよりずっと早いのがいるが、42キロ持続して走れる動物はヒト以外いない。まして2本足で長距離走できるのはヒトのみである。

 タッタッタッタ、マラソンマンさんは今日も走る

2013年1月20日日曜日

一人プロモーション

 
 駅前で一人プロモーションをやっていた若い女の子がいた。歌はそこそこ。CDも出しているようなのでプロかセミプロだろう。
 寒い中ご苦労だ、といいつつ、暇な私は足を止めて聞いてみた。

 聴衆は私だけ、近寄って発売アルバムを見てみると

 名前は『おが姫』というらしい、永遠の女子高生、と書いてある、おいおい、おっさん相手のアルサロか!一人AKBとも

 「ふーん、ローカルアイドルって書いてある。CD一枚500円か。演歌歌手なら応援に一枚買ってもいいんだけどな、AKBは趣味じゃない」

 出でよ!振袖演歌歌手

2013年1月19日土曜日

ニュース雑感

日本人アルジェで人質にとられ心配する

 大規模天然ガス採掘施設が過激派に襲われ、大勢が人質にされた。時間を置かずアルジェ政府軍が犯行グループを急襲したようだ。犯人、人質入り乱れての大混乱となった。
 まず、犯人は外国人従業員を人質に狙った。価値が高いからだ。反対にアルジェ人は寛大だった(人質の価値がないからか?)、で外国人の中にはアルジェ人になりすまし逃げた人もいると聞く。

 そんな話を聞くにつけ、日本人は隠れようがないなぁ、と思う。だいたい欧米系の人のホリの深い顔もアルジェ人の顔もさして変わらない。暑い砂漠でほこりまみれ日焼けすれば、欧米もアルジェも見分けがつかない。混乱の中、蜘蛛の子を散らすように逃げる中でこの両者の区別はつけにくい。

 ところが外人の中で日本人はもうこれは一目瞭然である。隠しようがない。

 「いや、ちゃう、ちゃう、わいはアルジェ人じゃ」

 などと言っても絶対見逃すはずはない。ホリの深い野郎ばかりに取り囲まれ、へらべったい顔のわが日本人は一番わかりやすい。犯人にしてみればこれほど捜しやすい人質はないだろう。

 アジアだと日本人も目立たないのだが、ここらあたりは外形容姿が目立ちすぎる。というか日本人のような顔をした人など一人もいない。たいへんなところで人質にとられたものである。

 何とか無事が確認されればよいと思っている。

1ドル90円台に、100円マックも終わりか

 円安にならば景気が良くなるというがインフレ傾向も出てくるという。そんな中、100円マックも見直し、値上げかも、という話しも出て来た。

 200円の朝マックも終わりか・・・

共通一次テストはじまる

 人は体力の衰えを気にする。体力テストをしてみれば若い人にはかなわないことがわかる。年齢と共に落ちていく。

 しかし『知力』はどうだろう。知力では若い者には負けないと思っているのではないか、ここで『知力』と断っているのがミソである。決して学力といっていない、知力とは少なくとも5択の筆記テストでは測れないものである。しかし、もし測れないなとするならば、そもそも落ちていてもわからないではないか。

 たまにはどうだろう、学力に限定し、高校生に比べ、どれくらい共通一次で得点できるか、自分で問題を解いて調べてみては?明日の朝刊に問題が載るだろう。

 国語や英語、歴史くらいは平均点はとれるだろう 、と思っているあなた!歯が立たず、大きなショックを受けるのも、今後のためにいいかもしれませんぞ。

2013年1月17日木曜日

ノラな生き方


 『ノラな生き方』というとほとんどの人は野良(のら)、つまり、野良猫や野良犬のような生き方を思いますよね。よい生き方としてはあまり使いませんよね。
 そんな生き方を、ふと思ったのは、夕べ久しぶりに訪れた阿波川島駅でした。

 暗くなった駅舎のベンチの下にささやかな寝床と飯椀を設えてもらったあの駅長猫(私が勝手にそう名づけた)がいたのです。

 以前、ブログで初めて紹介してからすでに2年がたちますが、このように丸々と太って元気なのです。

 その日暮らしどころか、前後の記憶能力のきわめて低い猫などは、その時(瞬間のみを生きる)暮らし、本能の赴くまま生き、食べ物などもくれる人があればもらい、なければ猫盗人となる『あなた任せ、風任せのおいらの世界』

 発情すれば、オス猫と遠慮会釈なく、まさにサカリのついた猫で、やり狂い。勝手に子猫を腹からひり出す。子猫のうちは本能で舐めもするし、乳もやるが、少し大きくなれば、わしゃしら~~ん。

 まことにノラな猫人生

 以前いくつも紹介したのですが過去のそのブログの一部をご覧ください。

 ここクリック

 ここくりっく

 これでは長生きなど出来はすまいと思い、写真を撮りながら哀さを催していた。
 ところがもう一年以上にもなる昨夜の川島駅でのノラとの再会・・・

 「なんとしたたかに生きているものか!」

 ノラな生き方、のノラは野良、ととればこのような野良犬野良猫のような飼う人もいないし保護する人もいない、しかしそれだけに頸木や絆もない自由奔放な野生に近い放浪する動物あるいはそれに例えた人のような生き方になりますね。

 もう一つの『ノラな生き方』というのもあります。現代の人はノラの生き方といえば野良をイメージするでしょうが、大正から昭和の初めの頃の人が、ノラな生き方、と聞いた場合はある女性の生き方を頭にすぐ思い浮かべたはずです。

 それはイプセン作・戯曲『人形の家』の女主人公ノラです。テレビもないし、映画もそれほど普及していなかったこの時代、人々は舞台によってこのノラの生き方を知ったのでした。
 なぜ北欧の戯曲が日本で人気を博したのかというと、それは日本で初めて女優ともいえる松井須磨子の人気によってでした。

 彼女の演じるノラ(妻)は人々、特に女性にセンセーショナルな衝撃をもたらします。

 この時代、日本の女性は結婚すれば夫に従うものと思われていました。貞淑で従順な妻が美徳とされたのでした。民法上でも男性のような地位はなく、法律行為を行う場合でも妻は夫の後見が必要でした。

 極端な言い方をすれば女性は自立した人格を有する人とは認められなかったのです。それじゃあ、あたい結婚なんかいやだわ、と言って結婚もせず仕事を持ち自立して生きることはほとんど不可能なものでした。

 こんな時代、舞台で演じられたノラは、人格を認めてくれない夫に対し、自ら家を出る決意をするのです。

 これはこの時代の日本の女性から見れば革命的な出来事でした。女性の自立、ということが劇中とはいえ社会的な問題として提起された最初といっていいでしょう。
 (下は松井須磨子の演じるノラ・人形の家)


 今、こんなノラの話をしても皆さん全然実感がありませんね。今、女性は法的にも平等、別に夫に縛り付けられる存在でもない。自由に離婚して家を出ることもできますからね。

 『昔は一緒に歩いていても妻は夫に従うものとされ、三歩下がって夫の後をしずしずと・・・・・それが今や、気に入らねば、三歩下がって夫にとび蹴り・・・いや、言いすぎました。男女平等のイイ世の中です。』

 自由な生き方をするという意味では猫の野良も女主人公のノラも同じですね。

2013年1月16日水曜日

店じまい


 店じまいで一番さびしく、残念に思ったのは、大学時代からずっと続いてきた定食屋が店じまいになったときだ。もう店じまいして2年になる。その直前、この店のことをブログに書いていたのを思い出した。

 ここクリック

 今日はその「店じまい」を主題にしたちょっとさびしい動画をアップしました。バックに流れる店じまいの歌がいいです。お別れの馴染み客に切々と語りかけるように歌う歌にしびれました。

 『♪~笑ってよ、泣かないで~しんちゃん~新宿駅裏赤とんぼ~思い出してね時々は~♪』
 ※ 注意!なぜか動画は現在、クロームでは不可です。IEかファイヤフォックスでしか見られません。

accident

 11月に自転車で走っていて段差にタイヤが滑り、

 ツル、ポテ、ペタン

 体が派手にコンクリの地面に打ち付けられ、みなさんご存知のように手指がみょ~な方向に曲がり、2ヶ月たってもまだ完全には治っていない。

 これなどは自分で起こした『事故』というのだろうか。

 今日はその自転車がパンク(空気が完全に抜けた状態)。

 予想もしてなかっただけに困った。この自転車は徳島駅近くにおいてあるわが自転車で市内をあちらこちら行くのに使う。乗ろうと思って駐輪位置から引き出すとパンク状態、

 今日は風もないので少し遠出をしようと思っていた。しかし、まるであてがはずれ、遠出でどこかへ行くどころか、この自転車のパンク状態をどうにかしなければならない。

 パンクしてわかったが、徳島駅周辺には自転車屋がないのである。アミコの駐輪場の係りのおっさんに聞いても

 「さぁ~、ここら辺にはないなぁ~」

 頼りないこのおっさんに聞くのはやめて、別の人に聞くと

 「そういえば、裁判所の大通り横にあるわ」

 で、そこから自転車を押してJR立体交差を上り下りしてそこまで持っていった。

 思わぬパンクでドキドキする困惑。ヒ~コラエンヤコラの、タイヤのへらべったくなった自転車を押して移動での困憊(こんぱい)、そして涙の出費の1200円!

 何の予兆も思い当たる節もないこの出来事。

 「なんぞ、おいらが悪ぃことしたんか?」

 誰に言っても恨んでも仕方ない。こういう思いもかけぬ小さいが悪い出来事は人生往々にして起こるものである。

 偶然の、小さいが良くない出来事は、日本語では『事故』というのだろうが、事故というには大げさだ。事故といえば何か交通事故を強くイメージしてしまう。

 そもそも事故という日本語は、(ゆえ)あって起こる、で因果関係が付きまとっている。

 今日のような小さな出来事に事故とは適当でない。そうすると日本語にはちょっと当てはまる言葉がなくなる。こういうとき英語には適当な言葉が思い当たる。accidentである。語源的に分解するとac-、-cid-,-entになる。acは自分への方向性をあらわし、cidは自分へ落ちかかる、降りかかる、entは名詞を作る接辞語である。つまり『思いもかけぬものが降りかかる・・・』というような意味がある。

 まるで対象者無作為の運命の小さないたずらのような今日の出来事はaccidentと呼ぶほうがふさわしいだろう。

2013年1月15日火曜日

健康法 出毒素(デドクス?)


 トシちゃんはいろいろ健康法をやってるみたいだ。私などは歩くこと以外何もやっていない。不健康、不養生の生活だ。それはさておきトシちゃんが時々やってる「デトックス」というのがある。私はそれについてまったく知らない。なんだろうかと思いネットで調べてみた。以下のことを知った。

 ここクリック(ウィキより)

 英語の文字を見てなるほどと思った。toxicは、毒の、という言葉である。de-だから毒素を対外から排出か!
 「なるほどそれが基本なんだな」

 病気の元になるのは体内に次第にたまっていく毒である。という考え方は大昔からある。原始時代、呪術師が病気の元となると信じられていた体に巣くう悪霊を追い出す。というのも広い意味ではデトックスだ。

 古代・中世になっても毒素排出という治療法は基本であったようだ。

 漢方でよく用いられる薬は「緩下剤」(ゆるい下剤)、利尿剤(おしっこの出をよくする)である。これなどは体内からの排出機能を高め、毒素も一緒に出してしまおうという考え方であろう。もともと老廃物を出すのであるから、これが滞るより、ちょっと多めに出たほうがいいだろうということか。

 ほかに廃物を体から出す機能には発汗作用がある。汗にして出してしまおうというわけだ。漢方では発汗利尿作用と一くくりにされるくらい知られている。漢方では薬によるのだが、発汗はサウナ、岩盤浴でもできる。

 「これがトシちゃんの言うデトックスなのかなぁ?」

 西洋医学でも中世から近世にかけてよく用いられた治療法がある。漢方にはそんな荒い治療法は一般的ではないようであるが、それは『瀉血』である。体内の悪い血を出してしまおうというわけだ。
 下は江戸時代の長崎出島における西洋医学の治療法の『瀉血』図を日本人画家が描いたもの。腕の小動脈をランセットで開け、瀉血している。血が噴き出ているのがわかる。
 これは血を抜くことそのものが治療法である。
 これも広義のデトックスのひとつであろう。


 このような治療法は古代から用いられてきただけあって民間療法としても広く定着しているようだが、それだけに毒素排出という科学的メカニズムは不確かなものがあることも否めない。何でもかでもというのには注意が必要だ。排出しすぎてスルメになっても困る。

 思い過ごしかも知れないがこのようなセラピーは往々にして似非科学の範疇に入りそうな理論に基づくものが多い気がする。惑わされないようにしよう。

 私が子供のときからある薬にこんなものがある。『たこの吸出し』
これなどは外用的に毒素を外に吸い出すもので、メイボ、おでき、膿などに用いた。これなども広義のデトックスだろう。

 生理作用で人は体内にあれば毒素になりかねない老廃物を排出する。「尿」や「便」もそうである。また排出不能の場合でも肝臓などでその毒素を無毒化する機能もある。人はデトックスになるようなことを行っているのである。糞、尿以外でも排出されるものはそのような働きがある。痰、鼻くそ、耳糞もそうであろう。女性の月一の月経血も老廃物排出と見れないこともない。

 そう考えるとどうだろう?威勢のよい18・9歳くらいの男の子は毎日のようにマスをかく。これには溜まった不要なものを「抜く」という働きがある。これなどもデトックスになるのかなぁ 、もし精液射出でデトックスになるなら、これは快感も伴うし、いいデトックスになりそうだなぁ。
 (いつものように、それでは下ネタ絵図で締めくくりましょう、(^m^) )

2013年1月12日土曜日

老?

 
毎日の習慣、癖が顕著になり、それに固執する。

古いことは覚えているし、勉強もするがそれは過去の学問であり、最新の学問は学ばなくなる。


他にもっと便利で合理的なツールや手段があると人に教えられても、今まで馴れ使っていたものから容易に離れようとしない。


新しいチャレンジはしない。冒険などもってのほか


 どうです。思い当たる節はありませんか?何?ない!それじゃあ安心してください。

 「あなたは若い!」

 私などは皆あてはまるようになった。

 でもまだ自覚するだけでもマシかも知れない。自覚もなくなれば、いよいよ・・・・・

 約3年前、パソコンオフィス講座に入りPCのスキルを学び始めた。何せ最新の技術であるから、「老」とは程遠いと思っていた。その後、ブログも始めた。

 しかし、そのブログの作成がどうだ!最近の傾向は上記の4つの項目すべてに当てはまっているではないか。PCを駆使しているとはいえ「老」の特徴が色濃く出ている。

 じゃあ「若い」という特徴を出すにはどうすればよいか?言葉で言えば簡単なことである。上記の4つの項目と全く反対のことをすればよいのである。しかし「行い」は難し(かたし)である。肉体的な老化は仕方ないが「行い」だけでも「老」の特徴がでないようにしたい。

 フェイスタオルやチターにチャレンジしようかな。

おしらせ

 ネットを年度替わりくらいで止めようと思っていましたが、最低2年継続予定の使用料金の安いネットに乗り換えることにしましたので当分続けることになりました。

 乗り換えの選択はいろいろあったようですが、最安ではなかったようでちょっと早とちりで申し込んだかなと、後悔しています。

 Sさんの紹介の「価格.com」が一番得なようであとの祭りか、と詳細をよく見ると、過去6か月間にADSLを利用していてやめた人はキャンペーン割引対象外、と小さい字だがしっかり書いてありました。
 最安商品はそれぞれ一長一短があり比較が面倒で私などはわかりづらいです。

よく調べると安売りプランがあふれている、なぜか?


 ネットを見てるとバナー広告や頼みもしないのにひょこっとでてくるポップCMが出てくる。
 「ど~せ、怪しげでいかがわしい信用置けない広告だわ」
 と無視していたが、最近、各ブロバイダー会社のADSLのネット接続サービスの料金の安さを売るCMを見て、比較検討して、ちょっと驚いた。

 ADSLの月当たりの料金がずいぶん値下がりしている。以前ADSLに入って高いまま継続しているものが馬鹿を見ることになっている。悔しくて何とかしたいと思う人も多いのでは・・・と思ったりもするが・・・
 しかし、昔にそれしかサービスがなかったからショーコトなしに(特に電話線しかない田舎では)ADSLにはいった人は、最近の高速通信網の発達で、ここ数年以内にほとんどの人(特にネット利用が高い若者)は光などに乗り換え、そちらの料金体系になってるから、ADSLが上がろが下がろが屁とも思わないわな。

 さあ、それがいったいどういう状態を引き起こしたのか?考えてみたい。

 光ファイバー網が整備されれば旧来の電話線はなくなる運命であろうがそんなに近々にはなくならない。
 その一方、上述したようにADSLをやめる人が増えるし、また携帯や光網に乗った電話が増えるため旧来の電話線の「通信容量」が空いてがらがらになってくる。電車にたとえれば定員100人の車両に数人を乗せて運んでいる状態になっている。

 「ど~せ、空いて、空気を運んでいるなら、安くして乗ってもらおう」

 と考えるわな。空きに空いたガラガラスカスカの電話線にはADSLのための席はいくらでもある、特に8Mだの12Mだの低容量などはいくらでも入る。

 それが最近、驚くほど安売り攻勢をかけている各ブロバイダーのADSL商品だ。

 ところでADSLはあと何年ぐらい使用されるのだろうか。日本人は新しいもの好きで、かつ被統治能力(支配される能力ですぞ!)が高いから(これ皮肉ですよ)、お上の命令に唯々諾々として従う。一昨年の地デジ廃止を見るがいい、この日を持って廃止!といえばみんなひれ伏して従ったではないか、(旧来の受信機が使えなくなるのに)、外国だと反乱だぞ!

 こんな日本に住んでいるのだから、切り替わるときは急であることを覚悟しといたほうがいい。どうせそんなときまでADSLを使っているのは、ワイらみたいな高齢者やIT弱者、かろうじて安いADSLを利用してる貧困者など少数派の下層民だから、そいつらがどうなろうとIT業界はそれこそ

 『屁とも思わん』

2013年1月8日火曜日

苦情

 

 Jメイトでブログを作りはじめて2年以上になった。パソコンのクラスには20人ほどいてみんなブロガーのアカウントを取り、それぞれの個性的なブログを作り始めた。
 そして今、正確には2年3ヵ月後、ブログを継続しているものは数人になった。さびしい限りである。パコさんはパソコン教室を終了して一ヶ月で更新がなくなった。ワンピースさんは長く続いていたがそれもここ半年くらい更新されていない。

 みんなそれぞれ事情があるから、そのことについてとやかく言うつもりはない。私などは暇があるから毎日のように更新していたが、仕事や家庭そのほかの雑用に忙しい人はそれどこれじゃないだろう。
 多くのクラスメイトが更新をやめる中、今でも時々更新してくれる人があるのはうれしい。できるだけコメントも入れるようにして、今後も続いてくれることを願っている。

 私は毎日のように更新していた。といったがごらんになればわかるように最近は毎日の更新がなくなっている。何日も間が開くときもある。でもブログの作成数が減ったわけではない。ほかのブログを開いていて、そちらもトータルすれば数は減ってはいない。粗製乱造を続けている。

 ではなぜ、ブロガーの作成が減ったかについて。ブロガーにちょっと苦情を申し述べたい。

 よくトラブルがあるのは以前から承知だが、これは一時的なものでしばらくたつと回復していた。ところが、最近はトラブルというものではなく、ブロガーの機能が変わってきた。ブロガーの立場からはこれは改良というのだろうが、私にはブロガーでブログを書く意欲を減退させるものとなっている。

●以前のブロガーの容量は無制限といってもいいくらいに大きかったが、今は1Mを超えると警告が出てきてそれ以上の写真などはアップできなくなった。

●ブラウザのIEでは自分の持っているパソコン上のファイルからブログに写真等をアップできなくなった。(火狐やクロムはOK)

 ググルの会長が何でか今、世界でもっとも不自由でネットのネの字もない。あの困った国Kへのこのこ行っている。なんで~~~

 ググルもブロガーも鼻につきだした。

2013年1月5日土曜日

新春の話題を17文字に託して

 下手くそだけど久しぶりにイラストを描きました。これ何の魚と思います?

 ええ~い、皆の者、頭が高~~~~い!
 我こそは青森県、大間のマグロなるぞ!

 な~んだただのマグロか。
 いえいえただのマグロじゃありません。
 今日の東京築地の初セリでななな・・・なんと!一億五千数百万値がついたマグロなのです。
 言っときますけど一匹(222kg)ですよ。

 このマグロ、全身金でできてるんじゃないでしょうかね。
 マグロとはいえたかが魚、これが一億五千数百万とはわれら庶民感覚からはずれてますね。
 まあ、ずれようかなにしようが、ワイらの口に入るものでなし、ど~でもいいかもしれません。

 少しでも安い食材を求めて苦労する者もあれば、こんな魚を口にする人もいるんですね。

 不況といいながらこんな売買もあるんですね。

 江戸初期の俳句に

 鐘ひとつ 売れぬ日もなし 江戸の春

 というのがあります。鐘のようなめったに売れない高価な商品でも江戸では商売が成り立つんだから、平成の東京の築地で一億五千数百万のマグロが売れるのも、江戸の春なんですね。

 江戸っ子というのは貧乏人でも見栄を張って初物をありがたがってたとえ高価でも買う傾向があります。江戸時代初カツオなんかは、女房を質においても食うのが江戸っ子といわれてましたから、もしかしたら現代もこの高価なマグロ、庶民が無理して買って食べるかもしれませんね。

 でも見えや体裁で買う亭主を見る嫁の目はきついですよ。江戸時代の狂歌にこんな句があります。

 寒いとき お前カツオが 着られるか

 金もないのに着物を質に入れてまで、初物を食おうとする亭主に向かって嫁が詠んだ句でしょうか。
 無理して初物祝儀物を食べることもないですね。

2013年1月3日木曜日

出来島川冬景色

かっもめの~水兵さん
な~みにチャプチャプ浮かんでる

新年早々イチャモン・ボヤキ放談

今日のニュースより

冬山遭難

 年末年始にかけて20人近くが遭難だ。厳冬期の高山に登るのはそれなりの覚悟をしているんだろうな。
 なにぃ~。それなりの覚悟わしてるわ~。
 だと?それにしちゃあ、20人近くも遭難するとはどうなんだ?こんなに数が多いと、ハイキング気分でのお気楽な登山じゃないかと疑ってしまうわ。
 年末年始、雪山で探す者の身にもなってみろ。
 自己責任といううのは今、禁句になっているらしい。

ガキのスマホ普及率が37%

 結構なことかもしれんが、おつむやおぎょうぎの方もそれだけ向上しとんやろな。

円安87円

 インフレでけいきがよ~なるといってるが、恐ろしいのは物価が上がっても収入が増えんかったらどうする気だ。

2013年1月1日火曜日

めでたさもちう位なり

 今日、御挨拶や年賀はがきの文でどれくらい「おめでとうございます」という言葉が使われたのだろう。みんながほとんど確信を持ったように使うので、確かにめでたいのだろう。ワシはめでたくないぞ!という人もいようがまあ今日はそんな表現はしない方がいい。心の中にしまっておこう。それにしても考えるほどわからなくなってくる。めでたいとはどんなことなのだろう。

 そういえば今朝のニュースで競輪ロトで5億数千万の当たりくじが出たといっていた。7つのレースの一位をロトで当てるのだが全部あたってこの賞金をゲットした。これなどは気が狂うほどのめでたさになるのだろうか。

 子が生まれ、長寿になることもめでたいといわれている。なるほど。でもワイは子がおらん。そして長寿であるが、不健康で貧にせせられて長生きなどしとうもない。ということはおいらはめでたさなんど関係ない。いらん、ちゅうことか。

 同じ大晦日のニュースで隣の県のここからもそう遠くない宇多津で自動車事故で22歳と18歳が2人、17歳の男の子4人が死亡していた。なんともったいない。これから花も実もある人生があったのに。これは「めでたさの」真逆のことだろう。若者が早死にして、爺や婆が長生きしてどうする。

 あまり深刻に考えず、普段と同じ朝の元日が迎えられたことをもってめでたいとしよう。昼ごろ近くの小さな山まで歩いたが、風もなく太陽がたっぷり降り注ぎ、歩くと少し汗が出るくらいで、小高い山頂は気持ちよかった。下を見下ろしながら

 めでたさもちう位なりおらが春

 の一茶の句が浮かんできた。一茶もワイと似てるんかなぁ。
今日は元日なのでめでたそうな歌をご用意しました。2つを同時に聴き、この世のものとは思えぬ絶妙なハーモニーをお楽しみください。