2013年5月31日金曜日

さんざんブログで能書き垂れまくった花だから何の花か当ててください


 ワイの町の山の辺の道、別名、「山麓文化の道」で撮影した花です。道沿いに咲いてました。

その1
 

 関連はこの人、誰でしょうね?

その2


 関連する人はこの人、誰でしょうね?

その3

 まだ見たことないあなたの為に撮影しました。何の花じゃろ?

2013年5月26日日曜日

5月26日

 私のブログは『桃山日記』と名づけているが、日記らしい記述は少ない。そこで今日はお題を「5月26日」として日記風にまとめました。

木陰  
 五月末の晴天の昼前は日差しが驚くほどきつくなる。しかし、まだ梅雨には少し間があり、晴天で乾燥しているため、風が吹くとさわやかさを感じる。

 城山公園へ西口から入っていくと小学校で運動会をしていた。

 昔は秋の運動会が普通だったが最近は5月にするところが多い。ここもそうだ。今日一日でずいぶん日焼けしそうだ。

 きつい日差しの下、木陰へ入るとホッとする。まして今日はかなり強い風が吹いていてすごぶる気持ちよい。
 蜂須賀桜の木陰道をゆっくり歩く。

ハワイアン 
 昼過ぎには鴨島駅へ帰ってきたが、降りるとトロピカルな雰囲気の歌が・・・

 サンバやボサノバ、ルンバなどはワイにはちょっととっつきにくい音楽であるが、なぜかハワイアンは親しみやすく、このような下町の商店街のイベントで流れていてもあまり違和感を感じない。

 「なんでやろ?」

 それはワイらがガキの頃の昭和30年代、こんな漫才師、漫談家がハワイアンを庶民の親しめる歌としてバックに使ったからだ。
 まずミスハワイ、暁伸
 太ったおばさんがハワイのムームーを着てハワイアンにのせて「アィヤ~~、アィヤ~」と黄色い声を張り上げて舞台を縦横無尽にドスドス行きつ戻りつする。手にはギロを持ち、尻を大げさに振る。

 オチは、相方の男がうんざりしながらに決めぜりふ

 「おお~ねぐらへ帰るダンプカ~!!!」


 今一人はハワイアンに載せた漫談、「アァァァ~、いやんなった~、おどろいた~」の牧伸二
 
 こんな影響もあってハワイアンは田舎者でもみんな大好きだ。

 庶民、田舎、下町にふさわしい音楽だ。









風呂の日 
 きょうは26日で風呂の日だ。私は忘れていたが、高校時代からの友人(男だよ~ン)から電話があって誘われた。
 阿讃山地へちょっと入った山の湯

  以前も紹介したが、たらいうどんのサービスがついて500円、ただし午後5時か6時まで。
 いい眺めの露天に入って寛ぎ、風呂上りたらいうどんを食べる。いいよ~~

  月一だが是非お勧め、今日は日曜で、行ったのは午後3時前だったが空いてたよ。
 あそうそう、自転車でも程よい距離、起伏と思います(徳島からだとちょっときついかな)

2013年5月25日土曜日

レトロなCM


 文化の森の文書館で古いポスター展をしているので見に行った。

 インターネット、テレビ、ラジオさえなかった時代、どのようにしてCMをしていたのだろうか。江戸時代は『引き札』というポスターとビラを兼ねたような印刷物があった。

 ああ、そうか、今の若い人にはポスターはわかってもビラってなんだろ?うわからない!ですね。

 ポスターは大きな張り紙で目につくところに貼って、そのCMの内容を人々に見てもらうものですがビラはもっと小さい粗悪な紙にCMを多数印刷し、それを個人の手にわたって読まれるよう、一枚一枚何らかの方法で渡すものです。

 手っ取り早いのは空中からばらまいたりしました。また一人一人手渡すのもありました。ワイの子どもの頃はこんなビラの配布の仕方もありました。ちんどん屋さんが撒くビラです。

 展示にはビラの類もありましたが、ポスターを撮ってきました。

 相当な古い時代を感じさせる美人画のポスター。今はこの手の美人は流行りませんね。
 蹴球?なんのスポーツか?サッカーです。サッカーと書かないところが時代を感じさせますね。
 昔は町に何軒か看板屋というのがあって、店の看板や映画館のポスターを手作りで作成してました。そんな看板屋さんが書いたんじゃないかと思わせるような手作り感あふれるポスターです。
 選手の闘志みなぎる顔の表情がいいですね。
 展示室の動画です。
 この動画の中で『かんくすり』と出てきていますが。これ何の薬かわかりますか?昔はこんな薬があったんですよ。

2013年5月24日金曜日

人は見かけによらぬもの、あったりまえだ!


 きにょうBSニュースをみてたら、えろう美人がうつっとる。そしてインタビューに答えてる。

 アメリカ人やが、ちょっと東洋的な顔をしているし(名前からスパニッシュ系らしいが)、さらさら髪のロングヘヤーだから日本人好みだ。

 ところがニュースによると彼女は一級殺人罪の被告人で死刑が選択されているという。

 相手の男(夫か婚約者かわっせた)をめった刺しにし、首をナイフで一文字にすぱった切ったというからすざまじい。

 日本では重罪の刑事被告人は起訴されたら、以後マスコミのインタビューは絶対不可能だがアメリカは違う。
この写真のようにインタビューに長時間答えている。

 こんな美人に勝手にマスコミを通して、あれは仕方なかったのよ、などと言い訳され、ヨヨヨヨと泣かれたら陪審員はコロリと減刑、無罪に気持ちが動くかもしれんではないか。

 ニュースによると陪審員団は男女混成、一回の表決では死刑の全員一致がなかった。(アメリカでは全員一致の表決で有効となる、一致がなければ表決不一致で別の陪審員団にバトンが渡される)
 しかし、裁判長は同じ陪審員団に再評議を命じたそうだ。(実質、選択は二つ、死刑か無期懲役)

 美人は得か、否か。一概に美人だからイイとは限らない、反感を買って厳しい量刑に傾くかもしれない。

 どうなるかなぁ~

2013年5月23日木曜日

がんばらにゃ


 病気、老化・・・最近、ちょっと落ち込むような日々が続くが、このニュースには元気づけられる。

 80歳世界最高齢で世界最高峰に登頂したとのニュースがさっき入ってきた。

 ワイも・・・・・^_^;

こんなウォーキングもあるんやなぁ

 ワイの住む田舎町ではこんなオシャレな歩きにはまだお目にかからないが、徳島公園では3年ほど前から見るようになった。

 「ありゃ、なんちゅう、かっこで歩っきょんかいなぁ~、季節外れの板のないスキーやがな」

 でも調べるとこのような歩き方は合理性があるらしい。名づけて『ノルディックウォーキング』という。なるほどスキーのノルディック競技(歩くスキー)に似てるわ。
ふぅぅぅ~~~ん!オシャレばかりじゃないんだ。運動、姿勢、体形、など歩きを通して改善できるようだ。
 背筋がピンと伸び、お尻がプリッと引き締まり、アップする。ええこっちゃ

 やっぱ、北欧から流行ったんかなぁ~

 なして、こんなことに注意が向いたかというと、昨日、某海岸でこんな風な歩きをするおばさんの集団にあったからです。

 「美しい姿勢、体形、プリケツを追求して、老化、弛緩、生活習慣に負けないよう頑張っているんだなぁ~、がんばってね、おばちゃん!」

2013年5月20日月曜日

蛙の夜回りガッコガコガコピョンピョン


 夜のウォーキングを最近また再開した。

 我が町は田舎の町であるため市街地の中にも田圃が点在している。五月中旬になってその田圃にも水が張られ、田植えがすんだ。夜、歩いていると、

 ガッコ、ガッコ、ゲッコ、ゲッコ、ゴビラ、グフッツ、グエグエ・・・・・・

 と私の耳には『ガ行』の擬声語が聞こえてくる。

 最近、ちょっと気になるニュースを聞いた。それは両生類の数が少なくなり、やがて絶滅に向かうかもしれないという。そういえばワイの子どもの頃よく見た、腹の赤いイモリやオンビキ(ヒキガエル)などは最近まったく見ていない。

 でも夜こうやって蛙の鳴き声を聞くのだから、まだワイらの町の田圃には蛙がいるんだろう。でも数が少なくなっているのも事実だ。道をピョンコピョンコ、跳ねる蛙も見ない。

 町中のレストランの横がこのように田圃だ。
 同じ場所から、もっと暗くなっての蛙のオーケストラをお聴き下さい。


 次に『蛙の夜回り、ガッコガッコゲコ、ピョンピョン』の歌をお聴き下さい。

2013年5月19日日曜日

空まめ子と飲む そして可愛い訪問者も



 雨が降っていて昼ごろ家の中で鬱々としていた。台所の隅を見るとビニルの袋に緑っぽいものが入っておいてある。

 「あれ、何だっけかなぁ、ああ、昨日、ちぎりたてのソラマメをもらったんだ。」

 することなく暇なのでさやをむいてソラマメを出すことにした。ソラマメをさやから出したことなど大人になってはやった覚えがない。やり始めたが、大きなさやで外郭の皮が固くて爪がなかなか立たないから割るのが難しい。

 かなり時間がかかったが何とか剝けた。

 剝きにくかった開いたさやを見ると豆は綿のような弾力のある内皮にくるまれている。


 なんかぁ、さなぎを包む繭のようだな。こんなことを思うのはおいらだけか。
 ところが調べてみると、このそら豆の別名の一つに『蚕豆』とついている。なるほどそう思う人が大勢いるんだ。と納得。

 夜、ソラマメは塩ゆでにしてチューハイとともに青い豆の外皮からプリッと内実を押し出し、食べる。


飲んでいると、今年初めて、可愛い、我が家の家を守る「家守」(ヤモリ)が窓をぺたぺた歩き、虫を取っていた。

 「おい、こっちきて、一緒に飲まんか」

2013年5月18日土曜日

おらが民主主義


 ワイの住んでる市では明日、市議会議員の選挙がある。
 民主主義とは読んで字のごとく民衆が主権者である政治形態である。民衆が法律を制定し、行政も行い、執行させるのであるが、社会の機能や仕事と同じように能力も、実行力もヒトはばらばらで、すべてがオールマイティーにできない人々はこの行為もその道の専門家にゆだねることになる。

 別にワイはゆだねたつもりはないのだが、世の中そうなっている。そんなんが「嫌~~」という人にはスイスのような直接民主制が考えられ、議会に住民全員参加させればよいと思う。我が市なんかの規模だと、今流行のネットなんかを活用すれば少数の議員なんか選ばなくてもイケそうな気がする。

 しかし、屎尿処理場がどうだ、保育所の給食をええもんにせえ、だの、あーだこーだなんかを一々審議した日にゃあ、ワイなんか頭がパニくる。多くの人もそうだろう。

 「ここは、まあ、やりたい人に・・・」

 ということで市会議員のお出ましだ。これを間接民主制という。間接という言葉を冠しているがそれでも民主制となっているのは4年に一回ワイらが選挙で選択できるからだ。まあそれでかろうじて民主制を保証しているのだ 。だけどそのかろうじての民主制も、誰でも意志さえあれば立候補できる、ことと選挙民が全くの自由意志で選べば、というのがなければ成り立たない。

 皆さんとこはそうなっていますか?

 ええ、我が市はそうなってますよ。金や名声がなくてもスッと立候補できます。選挙民も賢くて誰からも影響されることなく自由意志で選んでます。違反なんか露ほどもありまへん。

 「う~~ん、ワイは素晴らしい町に住んでいるんだなぁ」

 おお、いま午前八時半、聞こえる聞こえる!ここを先途と(明日は投票日だから)選挙カーでがなり立ててる、最後は名前の連呼、連呼、今日の夜の選挙活動終了時にはスピーカーの声がかすれてウグイス嬢が八代 亜紀や青江三奈になるのも毎度のことだ。

 「古き良き時代のように、夜中にお札(おさつ)が降ってこんかいなぁ、そうなれば明日はええじゃないか踊りをするんだがな」

2013年5月17日金曜日

和歌にみる、来ぬ、の二つの読み方


 来ぬ、を「こぬ」と読めば、否定打消しで、来ない、という意味になります。

 また、来ぬ、を「きぬ」と読めば、完了・強意の、ああ、来ちゃった、というような意味になります。

 といっても古典文法などは、もっともわけのわからないもの、何か具体的な例によって述べる方がいいですね。

 ここは古典の中でも比較的馴染みやすい和歌での例をとるのがいいですね。

 そういうわけで和歌をさがすと、ネットで探すことなかったです。私の過去のブログの蓄積の中に和歌の例がありました。

 まず、否定打消しの、『来ぬ』(こぬ)ですが、

 来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に 焼く藻塩の身も焦がれつつ

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 次は、完了の『来ぬ』(きぬ)です。

 秋きぬ(来ぬ)と 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる

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2013年5月14日火曜日

夏は来ぬ

 昨日も晴れて気温が上がったが、今日は朝から晴天で、各地で30度を超える真夏日となった。

 夏だ、夏だ、と思いたいが日本の季節はそれほど単純ではない。

 ここいら辺の夏は3つに分かれる。昼間は30度を超える日もあるが、朝晩は涼しくからっとした暑さの『初夏』、気温が高く湿度も高く雨の多い『梅雨』、そして比較的晴天の多い、きわめて暑い『盛夏』である。

 昨日今日などは典型的な『初夏』だ。

 「おお~、しょ~か!」

 と納得!

 ワイの身の回りの初夏の風物誌をいくつか紹介しましょう。

 植えたばかりの稲「早苗」(さなえ)、かわいい女の子の名前にもある。
 最近は機械化されて苗を植える乙女などいないが、昔はいた。こんな乙女を「早乙女」といった。これもかわいい女の子の名前だ。

 列車の窓から植えたばかりの水田が見える。苗もごく小さいので水面が見える、よく見ると水田の水面には周りの木々や家、そして初夏の空(天)が写っている。こんなのを「水天」という。

 
 果物屋の前を通っていると、そこの親父が

 「だんさん、高知の旬のみかんです、どうですか?」

 一袋買ってみた。小ぶりだが汁が多くて甘い。その名も「小夏」、これも女の子の名前っぽいなぁ

 今日からヤマさんは夏グッズをもって外出するようになった。まず、薄くなった脳天を直射から保護する『麦わら帽子』、水分補給の「お茶または水」、手のシミを増やさないための「軍手」、汗拭きタオル、そして「扇子」

 なんか爺くさいなぁ~

 「扇子はあるけど、センスないわぁ~」

2013年5月13日月曜日

銅の旅


 以前、長崎の旅で、出島からのオランダ向け輸出品で最も重要なものの一つに『棹銅』があるとブログに書きました。覚えていますか?

 この棹銅(ほとんど純粋に近い金属銅)は江戸時代大坂の泉屋(今の住友財閥の元)で精錬されたものが長崎にまわされました。さらにその原料である銅鉱石は伊予(愛媛)の別子銅山から採れて大坂に送られたものでした。

 きょうは天気が良いのでツレが芍薬が見たいというのでそれにちゃっかり便乗して、芍薬園よりずっと奥にある江戸時代から続いた別子銅山廃坑跡に行ってまいりました。

 下の地図でいうとここです。入り口近くにある道の駅マイントピア別子までは皆さんよく行くのですが、奥にある東平(とうなる)には知らなくてあまり行かないようです。
 そうそう、それからかなり山奥を走っていたら、シャーと速いスピードで競技用の自転車に乗った人が走っていました。最近しんちゃんがこんなスポーツをやっているというので興味深く、車を走らせながら観察しました。
 エイリアンのようなヘルメットをかぶり、シークレットサービスがかけるような黒メガネをかけ、(だから若いかオッサンかわからなんだ) 男子バレー(ダンス)の踊子が着るようなピッチリ、股間モッコリのタイツを履いてました。シャツもピッチリで、ド派手ないろどりでした。

 さらに奥へ入る進路をとってましたから、この人、物凄い山奥(石鎚山麓)まで行くつもりですよ。すごいなぁと思いました。並大抵の体力じゃないですよ。あった地点でも標高700mはありましたもの。

 動画をご覧ください。

2013年5月5日日曜日

子どもの日


 5月5日は子どもの健やかな成長を願う日である。これだけ少子化で子どもが少なくなるとこの日に込められる願いも昔に増して大きくなる。対する意味を持つ日に『老人の日(敬老の日かな)』があるが、こちらは該当者が大きく増えている。

 今日のニュースで15歳未満の男の子は840万人ほどと言っていた。(当然女子もそれくらいだ)日本の人口は1億2千万ほどいるが、その少なさに慄然となった。

 「将来の日本はいけるんかいなぁ?」

 身びいきかも知れないが世界の民族の中で日本人は、清潔で礼儀正しく、節度をわきまえ、知能も相当高い、総合評価では世界民族ダントツと思っている。そんな民族は子をたくさん作って是非人類ために頑張ってほしいと思うが、そんないい民族に限って少子化で民族の将来が危ういかもしれないとは何とも皮肉である。

 やっぱり、ド厚かましい、不潔でも平気で生きていける民族の方が生命力があるんだろうなぁ、昨日の外来種のタンポポとおんなじである。

 でもワイにそんなことを言う資格はないかもしれない。何せ率先して子を作っていないんだから(相手がおらんのだろう!との突込みはご容赦を!)
 この歳になっていまさら生殖活動も子育ても無理である。といっても別にそんなことをやりたいわけではない。しかし、社会の存続を考えるとこんなワイのようなものが増えても困る。

 子どもの日を考えると、ここは是非頑張って若い男女がせっせと生殖活動に励んで(別に結婚の形態をとらなくてもいいと思う)子を作ってほしい。子を持てなかったワイの分も。

 でも家畜の人工授精による繁殖じゃないんだから、人為的に子をボコボコ作るのは無理か・・

 地球史を考えるとどんな種でも百万年を超えて存続するのは難しいという。人類も生命力、繁殖力が衰えたら今まで地上に現れた幾百万の絶滅種と同じように滅びるのも自然かもしれない。

 子どもの日に祝う15歳以下の子どもの数は32年前からずっと減少している、このまま減少が続くのはさびしいことである。滅びの兆しのようで嫌なことである。

 五月の節句にふさわしく近くの公園に花菖蒲があったので撮りました。

 それと今日は菖蒲湯の日、スーパー銭湯もそうかなぁ~?、よく行ってる銭湯に行くと入り口付近にこんな張り紙、やっぱ今日は菖蒲湯だ。邪気を払うとあるが、そうあればいいなぁ。

2013年5月4日土曜日

お諏訪はんの躑躅


 お諏訪はんの裏道の石段は自然石を使っているのでところどころぐらぐらしている。自然石の石段の間からは雑草が伸びたり、絡みついたりしているので歩いて登っていると、街中の神社とは思えず、深い山奥の神社仏閣に参拝しているような雰囲気になってくる。

 雑草も春の柔らかい草から初夏の丈の高い芯の強い草に変わってきている。石段にはあちらこちらにタンポポが生えている。

 今はこんなタンポポがここ徳島でも主流であるが、私らの感覚では

 「これはタンポポじゃない!」

 というのが正直な気持ちである。まるでお化けだ。丈は異様に長く、葉は地面を絶対的に占有するぞ、という強固な意志さえ感じるようにぺたりと放射状に張り付いている。

 これは外来種である。わっしらの馴染み深い日本の在来タンポポはお目にかからなくなった。本来のタンポポは茎は短く花も小さかった。全体的に可憐で小さかった。

 この外来種は黄色い花をさっさと萎れさせ、すぐ丸い白い綿毛帽子を作り、風に乗って綿毛の種を撒き散らす。強い生命力を持っている。日本の在来種が駆逐されるのも当たり前である。

 登りきったら、つつじの満開だ。


 つつじを観賞した後はこの石段の真下にある甘党の有名店で和菓子を味わうのもいいなぁ~

2013年5月2日木曜日

つつじ


 「つつじ」とキーボードを打って変換すると漢字に直してくれる。『躑躅』・・ こんな漢字である。

 「難し~ぃ!こりゃぁ、この字だけ提示されたら読めんわ」

 ずいぶん画数が多そうである。当然、書けないし、読むのも覚束ない。画数の多い二字漢字は難字が多い。

 「そういえば、ドクロ、っちゅう漢字が画数が多くて、ツツジの漢字に似ていたぞ!」

 さっそくドクロを変換すると・・ 『髑髏』、似てるか?似とらん!一字目の旁(つくり)に蜀が共通で入っているだけだわ。

 英語でツツジは?これは私はよく覚えている。英語でツツジは『azalea』 ローマ字風に読むとアザレア、どっかで聞いたことありませんか?これ化粧品会社の名前です。だからこれに関連付けて早くからツツジの英語名を覚えました。

 冬でも枯れない木に赤色の華やかな花がたくさん咲いているのは女性の化粧品のイメージとしていいんでしょうね。そういえば資生堂のシンボルマークに入っている花は「椿」ですね。

 ツツジも椿も冬は枯れません。この枯れないというのが化粧品のイメージとして大事なのかなぁ、枯れ⇒老化を連想しますものね。

 もちろん花もきれいでアザレア、として化粧品のイメージアップにつながってますよ。ほら

 「あなたの奥さん、あるいは彼女・・・花に例えれば何の花?」

 椎の宮はんのツツジの動画もどうぞ

2013年5月1日水曜日

えっ 俺が最長老か


 昨日30日は雨、明石海峡大橋は小雨に煙っていた。
 その明石海峡大橋の見えるところで我が親族が集まった。
 最後の会食の時、ぐるっと見回してハッと気が付いた。

 「なななんと!俺が最も年上ではないか」

 もちろん親族にはもっと年上もいるが、高齢すぎて足が悪かったり、病気だったり、ボケていたりで会合には出ていない。集まった中ではワイが一番の年長だ。

 「ちょっとした一族の長老か」

 「いや~ぁ、こんな頼りない長老なんかいないだろう」

 「ただの最高齢の爺さんか!」

 集まった中には20代の男女が6人いる。そんな連中から見ると、俺は長老に見えまいか?
 
いやいや、そもそも長老とはただの年食った爺さんではない。経験、知識、そして一族を率いる統率力、有事の判断力、勇気、強固な意志、を持ったお年寄りでなければならない。

 「やっぱ、俺はただの爺だ」

 と言いつつ、聞いてもいないのに若いもの相手に満年齢と数え年齢の違いや計算方法の薀蓄を垂れる。

 「役立たない『知識』のみは長老としていけるなぁ~」

 長老の象徴的人物のモーゼを妄想する。